定例会最終日は淡々と終わる。

定例会の最終日でした。円滑な議事運営とでも言うのでしょう…すべての議案において、各会派からの討論もなく、挙手だけで進み、約1時間ほどで本会議が終わりました。振り返ると、実はとっても問題含みなことも多く、多摩中央公園の大規模改修にあたっての予算の増額、補正予算の修正案可決などなど、「モノの進め方」というのか、業務の進め方などにおいて、改めて見直した方が良いのではないかという点もあります。議会に共有される、可視化されるというか、私たちに知らされることは日々の行政業務からすると本当に一部のことであって、「氷山の一角かもしれない」という気持ちを忘れずに、行政活動をフォローすることは必要だと思っています。それが議会のチェック機能であり、仕事なので。

多摩センターの駅前の階段。フラッグも含めてリニューアルされていました。多摩市立中央図書館が開館します。ここまでの経過をたどると、かなりすったもんだもしてきて、当初は、旧西落合中学校の跡地に桜美林学園が小中一貫校を新設したいという意向があり、もともとサンピア多摩のプールだった場所(今は桜美林大学アカデミーヒルズの一部)と交換する話しからはじまったことですし。土地を交換してもらい、そこに多摩市が図書館の新設をするという話しですね。議会でかなり議論して、結果的には、多摩中央公園を破壊して図書館を建設することになったのですが、にもかかわらず、「信義則がある」ということで、多摩市は桜美林学園との土地交換については「やらねばならない」と非常に強硬に主張し、強行に進めようともしていました。

今、その話しは一体どうなったのか。あのときに、当時の副市長まで出張ってきて、ものすごく、大学側との信頼関係を主張されていたあの場面は今でも脳裏に焼き付いています。「そういうことはしてはいけない」と私は思っていて。法的位置づけの無い口約束だけを何となく書面にまとめた土地交換の「確認書」(すでに多摩市の公式ホームページからは削除)についても、どうなったのかな…と。確認したけれど、約束が不履行になった場合には、そのことをもう一度双方で確認する必要はないの?…と思っていますが、そのことについて尋ねても、「もう、あの話しは終わりました。」となっているようですね。しかし、もう一つ、多摩市は懲りずに…と言いますか、日本医科大学多摩永山病院の建替えに際しても、同じような対応をしていますが、「確認書」の存在をどう受け止め、双方で市民や地域などのために、その役割と責任を果たしていくんでしょう…と感じています。

中央図書館についてですが、オープンセレモニーは行われる部屋が狭いので、議会からは議長、副議長、子ども教育常任委員会に所属する議員に招待状が届いているそうですね。それ以外の議員の皆さんも(その他大勢で?)、テープカットは屋外でやる予定なので、ぜひいらしてください‥‥

市長から本会議最後のところで、議員全員に向けて呼びかけがありましたが…「え?」と…思いました。せっかくのオープニングですから、これまでの経過を思えばこそ、議会全体に呼び掛けるような配慮はあってもいいのかな?と思いましたが、まあ、議長が代表者として行けば足りる…なんですね。こうしたセレモニーの在り方などを含めて、どう案内状を出すのか…というところ、結構、大切ですよね。

ということで、私たち議員には三つ折りパンフレットと、「しおり」が配付されました。公園の伐採した木をリメイクした「しおり」だとか。とにかく、またいずれ…と思っていますが、とても素敵な調度品というか備品類も並んでいて、一脚…そのお値段は?と思ってもいますので、また決算審査が近づいてから、資料要求してみようかなと思っています。

今日は本会議が終わってから、土地開発公社の評議会でしたので、そちらにも出席。昨年度はほぼ開店休業状態で、土地開発公社としての動いた実績がなかったので、こちらも説明を一通り聞いて終了しました。

ちなみに、明日からグリーンライブセンターも再開館することになりますので、また、どうぞお出かけください。私は明日は必ず、聖蹟桜ヶ丘駅の朝顔市に行きます。朝顔買いたいので。

今年もまた、中央大学の授業に参加しました。

木が大きくなっていて…図書館の2階の窓が見えなくなっていました。今年も中央大学のキャリアデザインの授業にお招きをいただき、「ジェンダー、子育て、ワークライフバランス」というテーマにて話しをしてきました。私が伝えられることはどこまであるのかなあ…といつも悩みますし、それと同時に…気が付けば、子どもと同級生たちが目の前に並んでいるということで、「もう時代が違うのでは?」という気もしているのですが、毎年お声掛けをいただくことはありがたく、お役に立てるなら…との気持ちで再びという感じです。

しかし、どう考えても、私の人生には「キャリアデザイン」というものが存在せず、もちろん学んだこともなく。それは「なりゆきまかせ」なのかな…とも思ったりするのですが、とは言え、節目になるような出来事はあり、その都度その都度、出会ったハプニングに対しては逃げずに向き合ってきたのかな?とか。 話しをするとなると、そうしたことを自分でも振り返ることができるので良い機会にもなります。

それにしても「ジェンダー平等」については、つい先だって発表された「ジェンダーギャップ指数」についても、日本はまた振るわない結果。昨年公表されたときには世界146か国中116位でしたが、今年は125位になっていて後退しているという。

私が大学を卒業した1999年3月、そして、その年の6月に「男女共同参画基本法」が成立してから、もう何年経っているのか?という話しです。最近は、「子どもまんなか」ということで、ようやく本腰を入れて、「今まで以上に真剣に」と取り組まねばと思っているのかもしれませんが、家族のかたちが多様化していて「昭和モデル」から「令和モデル」へ…なんてことが言われていて、個人的には今さら…と感じないわけでもなく。

いずれにせよ、時代とともに、そしてまた、受けた教育(学校教育だけではなく)があり、自分自身の育ちの過程、全ての取り巻く環境が「自分」の価値観や考え方をつくっていく。ジェンダー問題を理解するというのは「学校で平等であることが大事」と学んだところで、理解し、認識し、解決に進む…というような問題でもなく、なんか、すごく身体に染みついているというか、もっともっと根深いところの意識に気がつくこと、アンコンシャス・バイアスにハッとさせられることからしか始まらないようにも実感します。自戒を込めて…。自分自身の生き方、考え方を定点観測のようにしていくことが大事なのかもしれませんね。

というわけで、最近の大学生の真面目な授業態度にはこちらが恐縮してしまいますし、とにかく、授業をサボるなんてこともあり得ないくらい、きちんと授業に出席し、講義が終われば必ず課題が出され、それを提出する…出欠確認も合わせてという景色には時代を感じるというか、「随分と大学の在り方も変わったなあ」という印象。ちょっと堅苦しくなったというか…。大学の先生たちも気が抜けないでしょうね。単に学者の研究成果を発表する場=授業というので、自由にやっていた時代の雰囲気とは様変わり。それはそれで、これが大学に対する時代の要請と理解すべきなのでしょう。

「自由にものを考える」「考えるためには学びが必要」

そういえば、週末…多摩市立中央図書館が開館を迎えますが、どんな風に学び溢れる場になっていくのか楽しみですね!私は中央大学の図書館、また、使いたいなあと最近思っているところですが。卒業生だと利用できるのはありがたいですね。明日は6月議会の最終日です。

議会運営委員会がありました。

わっ。

…ということで、早朝に携帯電話を思いっきり落としまして、画面がバリバリになってしまいました。保護ガラスとともに砕けた感じ。そして、新しい機器と交換し…「補償に入っていてよかった」とホッと胸を撫でおろしましたが、交換機が到着するまでは不自由な感じですが、画面を見る気もしませんし、ある意味、いつもより携帯電話から解放されて自由。

そして、壁の中の羽音の原因は、壁の中ではなくて窓のサッシに挟まってもがいていたカナブンが原因だったようで、こちらも胸を撫でおろしました。バルコニー側のガラス窓はFIX窓なもので、どうやって入り込んだのかよくわかりませんが、挟まって出られなくなっていたようです。

うちは洗濯物も外には出さないですし、ベランダにもほとんど出ないのに…どう潜んでいたのか…。とりあえず蜂ではなかったことと、原因がわかったので本当によかったです。

さて、今日は議会運営委員会がありました。明後日の本会議最終日の議事日程を議論するのが主でしたが、今後、庁舎建替え問題を議論するために特別委員会を設置する方向にもなりました。すでに「建替え前提」になっている委員会なもので、そもそも建替えに対し反対とか、否定的な立場の議員だと入りにくいですね。いずれ建替えは必要だと考えてきましたし、必要性は高いと思っているのですが、しかし、現在地での建替えにし、市民に身近な駅前その他をサテライトオフィス的に活用するのかどうかよくわかりませんが、「場所のアクセス性ではなく、サービスのアクセス性を向上させていく」…ここに見出されている発想の転換について、私はまだ納得しきれていません。いろんな意味で議論が追い付いていないと言いますか、「それはこれからの話し」と逃げられてしまうと思いますが、十分に煮詰まらないままにとりあえず「建替えてみて」になりそうな懸念があるからです。

建物をつくる…ということは、つくってしまったら、ちょっとやそっとでやり直しがききません。それだけに、きちんと議論がなされるべきと思うのです。現在の市役所の場所は、多摩市内全域から考えると「市民には等しく不便な位置にあって、ある意味…平等というか公平」みたいな捉え方もできるのかもしれませんし、仮に、その不便さをカバーする利便性が今後、議論されていくとはいえ…。

しかし、公民館や図書館以外のベルブ永山のフロアをいつまで借り続けるのか、さらに、多摩センター駅前の出張所についても、ずっと賃貸物件で借りてきた場所であって、自前の場所ではなく…それこそ、これから先、「出張所機能の充実」を語る時にどう対応しようと考えているのかなど、どこにも答えはありません。本庁舎を建て替えてまで、賃貸し続けて、未来永劫家賃を払い続けるつもりなのか?…とかとか、議論すべき課題というか、税金を少しでも有効に使っていく、市民の負担を軽減するための議論の欠片が見当たらない感じ。これから、税収が減っていく時代になることは目に見えているわけで、そこを見据え、最適化していく議論がなされているようには見えないのです。

なんか、心配。

ということで、議会で特別委員会を設置することは良いと思うのですが、そこで何を議論していくのか、市民からの意見をもらっていくのか?とか…そこもまた今後協議になっていきそうですね。市役所建替えに向けて、議会がどう動くのか…そこに、議会の力量も試されているとも言えそう。

 

新しい携帯電話にデータを移し替えることができました。時間かかった‥‥。こういうの苦手。

代表者会議での意見調整。

今日は代表者会議がありました。オブザーバーとして参加。オブザーバーが5名もいるので…とても大所帯過ぎて、「いい迷惑」と思われているかもしれませんね。座長は持ち回りで3か月ごとに交代します。今回は維新の会の藤條さんでした。議会事務局長が万全にサポートし、座長の采配と言いますか、会議を円滑に進めていくことが必要で、予め…式次第とともに、座長の「読み原稿」までが共有されていますので、「こう進んでいくのね」というのが可視化されています。

とはいえ、やっぱり、その場になると各会派からちょこっとずつでも意見が出たりして、座長が機転を利かせ、もっと言えば、事務局長もその上を行く格好で気を利かせて、機転を働かせることが求められるのです。今日は代表者会議で協議する案件も少なく、意見書についてもすんなりと提出する市内を決めることができて良かったです。

ちなみに「意見書」については、多摩市議会は「全会一致」で可決しなければ、出さないことになっているため、オブザーバーの意向も確かめることになっているとはいえ、まずは交渉会派のみなさんで議論が整った後に私たちオブザーバーの意向が問われるので、その後に、議論を覆すこともできません。交渉会派の皆さんが調整してくださった結果に対し、とりあえず「頷く」という感じです。

さて、その後‥‥買い物などをしてから自宅に戻って、やっと、議会レポートの原稿を仕上げましたので、内容チェックに出しています。いつもレポートについても、読んでいただいて、加筆や修正などをしていただきながら完成させています。より市民の皆さんにも読みやすいように、届きやすいようにと…このやりとりにも結構時間をかけています。完成したら、印刷して、その後…健康づくりのためのポスティング。一番つらい時期です…猛暑の中になるなと今から覚悟。

で…すごく困ったことに、作業をしているとどこからか…ブンブンと音がするのですが…たぶん、その場所を特定するというか、カーテンをくまなくチェックしたりしていて判明したのですけれど…壁の中に…何かがいるみたい。

まさか‥‥蜂!

ではないかと思っているのです。管理事務所の方に来ていただいたのですが、「こんなのは初めてです」‥‥と言われて、さてどうしたものかと。もう一度、明日見に来てくださるようですが。

陽が落ちるころには、その子の活動もお休みに入ったようで、静まり返ったのですが…。でも、こういう時にはどうしたらいいのでしょう。それこそ、どこから侵入したのかもわからず、ベランダに出たりして、音を確かめてみたのですが…ベランダ側からもじーっと耳をすますとブンブンと羽音が聞こえますし、一生懸命「外に出たがっている」ような気もするのです。まさか、隙間から家の中に出てきませんように‥‥とガムテープを隙間に貼り付けてみたのですけれど。

怖いし、薄気味悪い昼下がりを過ごしました。夕刻から、ローカルフード法オンライン学習に参加したり、もう一つ、興味があったオンラインの会にも参加してみたのですが、気が気ではないと言いますか‥‥専有部分とは言え、私の専有部分のどこから侵入したのかわからない羽音の原因者…どう対応したらよいのかと情報検索がやっぱり優先。こうした場合どうすればいいのか、情報があればご存じの方、教えてください!

人生100年時代の社会保障を考える。

「絶対、気に入ると思う」ということで、娘からお土産…。私の好みをホント熟知していてさすがと思います。週末、中央大学が主催をした学術講演会に参加をしてきました。タイトルは「人生100年時代の社会保障を考える。」ということで総合政策部の川崎一泰先生からのお話を伺いました。おっしゃっていることには、いちいち頷けて、やっぱり、これから負担と給付の問題はさらに深刻に若い世代に背負わせていくことになるんだろうな…と感じたのですが、どちらかと言えば、若くない世代の世代の皆さんがお話しを聴かれていて、結果、どのような感想やご意見を持たれたのかなあと。

しかし、あまりにも具体的なのは、湿布薬は1枚20円から30円だけれど、利用者がとっても多く、年間700億円ほどの医療費がかかっている…って、嘘のような本当の話しで、もっとこうした事実を知ることで、「薬のもらい方」とか変わっていかないかなあ…行動変容につながることはないのかしら?と。本当に必要なところに湿布薬が処方されているのかしら、ちゃんと見極めができているのかと思わず、疑いたくなるような数字です。

病院にはほとんどかかることのない私はとにかく「国民健康保険税の負担が重たい」と常日頃から思っていて、一体、どこまで負担が重たくなっていくのか、それこそ将来心配にもなります。が、それでも、多摩市の国民健康保険についても、加入している市民の納める保険税(保険料)だけで賄うことができていないのが実態。国民健康保険特別会計には、一般会計からの補填が行われていて、財政運営は決して楽ではないのです。厳しい状況はずっと続いていて、これからも続いていくと思うのです。

私は、軽くはない病にかかった時には、国民皆保険で守られている仕組みの恩恵には預かれる仕組みそのものはとても良くできていると思っていて、この制度を今後、いかに維持していくことができるかもっと議論すべきと思っています。少なくとも、社会保障を手厚くしたい、でも、手元での負担を増やすことはしないで…と考える場合には、やっぱりそれなりに、多摩市全体で集めた税金の使い道を考えていくことが必要であって、改革というよりは、使い方を変えるが必要。それが「改革」なのかもしれませんが、「改革」なんて言うほどに、たいそうな事とも言えない印象を私は持っているのです。あ、もちろん、これは現状を前提としての話しで、国全体で大胆な見直しが行われたとすれば、それに左右される多摩市の国民健康保険の在りようもまた変わっていくわけですが。

いずれにせよ、こうした問題は一自治体で考えるというよりも、国で取り組むべき大きな課題でもあって、なかなか力及ばないわけですが、考えれば考えるほどに、国の方向性とか考え方が重要で、国政に私たちがいかにコミットするのかが問われていると感じます。とは言え、「政党を選んで」となると、なかなか「この政党がいい」と太鼓判を押せそうなところがないのが困った。解散総選挙があるかもしれないと混沌とした空気感からは一時的に解放されましたが、いずれ国政選挙は行われますし、それに向けて、「現状を変えてほしい」という思いを投じられる政党の登場を待たれます。待っていても現れないかもしれませんが。そうなると、「ここよりは、マシ」で選ぶしかなくなりますね。

今後、「子どもまんなか」ということで、子育て世帯の負担を減らしていくことが示されていますが、負担が減れば、本当に少子化が改善の方向に向かうのかしら?と思っています。それでも、子育てをしている世帯の負担感は半端ないと思っていて、そこを軽減することは賛成。ただ、子どもが小さいうちよりも、中学校、高校大学と…子どもの成長とともにお金のかかり方も変わっていき、やっぱり高等教育の無償化こそ必要というのが私の考えです。そしてまた、18歳成人というならば、18歳以降の高等教育分について今のように親に払わせる仕組みを変えてもらいたい。手厚くない奨学金制度の在り方も含めて、その在り方を根本的に変えてもらわないといけません。誰しも、長期的な見通しを持ちながら、子育てをしていくわけで、子どもが成長する先にかかってくる経済的な負担のことを考えると…現状で子どもが増えていくような道筋は中途半端にしか描かれていないと思っているのは、どうやら私だけでもなさそう。もちろん、今から、今まで以上の少子化対策をやったところで、100年くらい後にならないと、真価が証明されない気もしますし。

「国家百年の計」の立ち位置から、検討され進められている政策なのか…それとも、目の前の集票対策のためにやっている政策なのかも含めて、やっぱり、ちゃんと見極めるのが私たち一人ひとり。選挙ってやっぱり大事な機会だなあと思えてならないのでした。

明日は代表者会議、翌日は議会運営委員会、30日が定例会最終日となります。今日はとてもたくさんの新じゃがいもをもらったので、気持ちもホクホクした昼下がり。ありがたいなあとしみじみと。

沖縄戦78年 慰霊の日。

毎日が慌ただしく過ぎていき、そして、沖縄戦から78年であることも忘れてしまいそうになりますが、運転中のラジオでしっかりと知らせてもらえてよかった。

旧統一教会が取得した土地の件、先方から返事があったということ。市内在住に限らず、多くの方が注目をしていることもあり、ほぼリアルタイムにその状況を市民とも共有していこうという姿勢で臨んでいることがわかります。土地建物の取引自体は合法的なものであって、それに対して、私たちが口を出せるものではありません。今朝も、市民の方から「ぜひ、市長さんも頑張ってくださっているようですから、議員の皆さんにも市長のことを応援してほしい。」と声をかけられました。定期的に更新される市長メッセージも昨日、発信されています。ぜひ、ご覧ください。

今日は市議会では生活環境常任委員会が行われました。私は今日は朝からずっと、事務作業をしていましたが、午後から「障がい者の雇用」に関するオンラインセミナーを視聴しながら、「多様な個性を受け入れ、多様な人材が活かされる社会をつくっていくには・・・」ということを考えたりしました。ゆっくりでも前進していればよいなと思っているのですが。そしてまた、もちろん障がいのあるみなさんの雇用を増やすこともまだまだ必要ですが、その「質」の面でももっともっと改善されて行かなければならない現実があるというのはその通りですね。低い工賃の問題なども含め、一つひとつクリアしていかなければならないことが多いという指摘がされていました。この分野ではもっと情報収集をしていかなければとならないなあと。まだ、足を運べていないので、アロンアロンに行き、那部さんとまた話しをしてみないと。

今年も、例年と同じように大学の授業でスピーチをさせてもらうのですが、いよいよ我が子と同級生たちがずらりと目の前に並ぶのかと思うだけで、そろそろ私のお役目も終わりになりつつあるな…と思っているのです。去年でお終いと思っていたのに、今年も依頼が届いたので、引き受けることにしたものの…。

それにしても、ジェンダーギャップ指数。日本の現状は一体どうなっているのでしょう。世界からますます取り残されていく…?先日、公表されていましたが…昨年度より、順位を下げたというニュースもその他ニュースにかき消され、ほとんどに近いほど話題に浮上してこないのですが。関心のある人にだけしか届いていない感じですね。女性に活躍してほしいとか云々と取り組んできたこの間の歩みの真価が問われている証。私も毎年データが公表されるのを楽しみにしている一人なのですが、本当、いただけないですね。困った。男女共同参画法は私が大学を卒業したその年に成立したのになあ。あれから、もう何年…?というレベル。私たちが大学の時にも「夫婦別姓」がいつも話題になっていて、民法などの授業やゼミでも取り上げられていたことを思い出します。未だに「選択制夫婦別姓」すら認められないというわけで…これが、政治と宗教との関わりにて、それこそ旧統一教会からの影響なども指摘されています。「多様性」と言いながら、多様であることを認めず、家族のカタチも多様であっていいと口ではいろんな場面で言われているけれど、でも、そうはなっていない現実。いろいろ実感させられます。

そんなことで、あっという間に6月も下旬になりました。衆議院解散総選挙も先送りされたようで、良かったのか悪かったのか。それにしても、私たち市民と政治との距離はますますかけ離れていく一方で、これではいけないと思っているのですが、どうもそこに抗えるだけの勢いを持ち切れていない空気感に危機感さえ覚えています。

ということで、ちょっと気合いを入れて、議会レポート作成します。「みんなの暮らしが少しでも良くなりますように。」と平和を祈りながら。

市民感覚で、税金のやりくりを考える。

期間限定ということで、かりんとう風でしたが、みたらし団子風にも感じました。結構、毎日、いろいろやることがあるのですが、それなのにニュースの原稿が書き終わらずに焦っています。

昨日、自分の出席する委員会が終わったので、今日はオフと言えばオフですが、オフにはなりませんで、不動産の登記のことやらを調べております。金融機関にちょっとだけ席を置いていたので、登記簿謄本には慣れ親しんでいて、抵当権やら根抵当権やら設定の契約書なども自分で作成することも可能ですが、実際には添付する書類などのこともあるので、間違いのない手続きどうあるべき…を一つひとつ確認しているところです。

そういえば、市役所建替えのことを尋ねられて、思い出したのですが…昨日の委員会で「庁舎のレイアウト変更」が協議会案件になっていましたが、もともと教育委員会のあった「はなれ」の第二庁舎の2階が空きスペースになっていて、そこを利活用することが検討されていたことの結果を踏まえた報告がありました。レイアウト詳細については、また、いずれ、たま広報に掲載され、市民にも告知され周知されていくことと思いますが、現在手狭になっていて、市民との相談スペースにゆとり空間もなく個人のプライバシーが守られていないとの指摘なども考慮されているようです。

しかし、そのために必要な予算が約4,500万円。そのうち、備品関係を新調したりに約1,300万円です・・・とのこと。何とも言えない予算額。備品などについては、大学から譲り受けるリサイクル品もあるようですが、それにしても・・・金額としては結構なものですね。かなり大掛かりにもなりますし、職員さんたちへの負担はもちろんのこと、フロアを移動するための引っ越し作業をするために土日返上となれば・・・伴う人件費も当然ながら嵩みますね。出勤するわけなので、そのための手当ても必要となります。

意外と、そういうところ・・・気になるんです。ある意味、見えていそうで見えていないコストがかかっていて、教育委員会がベルブ永山に移転するときの様子も見ていたのですが、とにかく・・・平日は業務をストップさせることはできませんから、やっぱり土日祝日など休日を使ってになるわけで。

庁舎を建替えすることが目前に迫っていると言えば、迫っているわけで、その間は「我慢の子」という考え方もできたはずなのに、そうではなく、教育委員会を移転したり、それに伴って…空いたフロアを遊ばすわけにはいかないにせよ、レイアウト変更をしていき、結果…「億単位」で予算をかけることに対しては、やっぱり疑問だなあ(遠い眼)。市民感覚的にはどうなんでしょうね。

なるべく節約したい…と私は思っているのですが、これは「なるべく節約した結果の結論」として市民に理解されるのかなあと。快適な職場空間になれば、職員のパフォーマンスがあがることにつながる。それも理解できるとは言え、けど、私には躊躇いが…。税金のやりくり。市民感覚と言っても、人それぞれの感覚の違いもあり、私の感覚だけではないとはいえ。

ところで、とてもとても気がかりで、気になるニュースがありました。

「聞いてるふり」は通じない? 集中しない生徒をリアルタイムで把握 教員からは期待、「管理強化」に懸念も

授業中の生徒が集中しているかどうかを、教師がリアルタイムで把握する。まるで漫画や小説の世界のような取り組みが、ある公立中学校で試験的に始まっている。生徒の脈拍から「集中度」を割り出しているといい、校長や教員からは、上手に活用すれば教育をより良くできると期待の声が上がる。一方、使い方次第では子どもや教員の管理強化にもつながりかねない。現場を訪ねると、驚きの光景が広がっていた。(共同通信=小田智博)

‥‥(以下、続く)

久喜市の中学校で実験が行われているようですが、「これ、何?」…というのが私の感覚なのですが、こうしたことがもてはやされるようになっていくのでしょうか?「生徒の評価には使わない」そうですが、これがテクノロジーの力を駆使して…とイノベーションだと言われるようになるの?!

総務常任委員会がありました。

市議会は今日から委員会です。私はずっと子ども、教育政策をやりたくて10年近く…子ども教育常任委員会に席を置き、その後は環境政策をやろうと思って生活環境常任委員会にいたわけで、本当に久しぶりの総務常任委員会です…といいますか、私はひとあたり、すべての常任委員会に所属した経験があるのですが、総務常任委員会のメンバーだったのは、自治基本条例を制定した時でした。なので、それ以来ですので、まるで浦島太郎のような気分ですが、すごく新鮮。

今日は議案審査は市民税に関わり、国の税制変更に伴う市条例の変更でしたので、ほぼ素通りと言いますか、質疑することもなく挙手をして採決。もちろん、全員一致で可決しています。その後、協議会に入りましたが、企画政策部、総務部、市民経済部からそれぞれ所管している取組みの中で議会に報告をしておきたい事柄について説明などがありました。内容についてはこちらから(市議会ホームページ>市議会の日程)ご確認ください。(総務常任委員会の審査日程

いろいろ好奇心そそられることばかりが案件として並んでいたのですが…。

健幸まちづくり政策監が廃止され、代わりに「健幸まちづくり政策担当部長」が新設されるということで、これに関しては、委員会メンバーから「え?」という疑義の声が上がっておりました。「廃止なら、廃止」でいいのに、なぜ、それをある意味で格下げの「部長職」にするのでしょう?

これまでと同様に厚生労働省と人事交流を続けるそうなので、「厚生労働省のためのポストづくり」をしてあげているとしか…ますます思えなくなっていて、そのことがなんか悔しいというか、やりきれない想いにもなります。多摩市から人件費が支出されるということを含めてです…。今までは「健幸まちづくり」の意識づけをするために「政策監」という位置づけだったそうですが、一定、意識づけはでき、全庁で取り組めるようになってきたので、「部長職」にしていくそうです。正直、説明を聞けば聞くほどに「なぜ、廃止しないのかしら?」と。

そしてまた、組織図的には健康福祉部に席を置くようでして、そこもまた疑問。業務としては「健幸まちづくり政策」に関わる調整をしていくことが主になるそうですから、それなら「企画政策部」などに配置するほうが良いですね。それについては、委員会でも意見が出されました。私も意見してしまいました。みんなが思っていることが伝わった方が良いと思って。「今後、新たな総合計画を策定していく中で、よりよい体制づくりをしていく」という方向が示されましたが、個人的にはやっぱりそのポストの必要性からして改めて検討してもらいたい。厚生労働省がどうしても多摩市の「健幸まちづくり」を支援させてほしいというなら話は別かもしれませんが…。どうせなら、「保健医療政策担当部長」のところで、国あるいは東京都から人材を招致できないかと思います。市長がコロナ禍でおっしゃっていたように「保健所行政は東京都」ですし。医療政策は多摩市の権限が及ばず、及びにくいところで采配されているところもあって、それなら東京都や国とのパイプ強くしておきたいですから。今後、日本医科大学多摩永山病院の移転問題にも絡んで、多摩市の医療政策が問われていくことと思います。

 

いずれにせよ、国や東京都などから人を送り込んでいただくのは、とても難しくって…「お客様」みたいなんです…。あくまでも私から見ていての範囲ですが、任期が近づくと「ああ、戻っていくんだなあ」という気持ちで見てしまうのがダメですね。

 

 

総務常任委員会では、シティセールスのこと、経済観光のことも所管しているので話題としてはとても面白い。

それ、何年言い続けてるのかなあということで、今日もまた、まちの魅力を「もっと、発信をしていかないといけない」と意識が披露されていましたが。発信できるコンテンツも必要ですしね。以前に比べたら、頑張っているというか、奮闘して、だいぶ健闘していると捉えていて、若手の職員さんたちを中心にしながら、一生懸命やろうとしている…その兆しは感じております。ただ、トップを行くような取組みにはなっていなくて、何となくまだ周辺を見ながら、慎重運転されているところで、一皮むけない印象です。

私、まちの外への発信を否定するものではありませんが、住んでいる人たちを大切にしていることがわかるような発信。ここにももう少し力を入れてほしいと思っています。私は「多摩市のまちが好きだなあ」って思いのある職員さんたちの存在を市民に伝えることって意外と必要で、大事なことではないかなあと感じているのですが。

「住み心地」を高めていけるようにしていきたいですね。

ところで、市議会にも情報提供がありましたが、旧統一教会の土地建物購入の件。建物解体工事を実施するということがわかったので、それに関して、市長が記者会見を行っています。多くの方が注目をしています。「少なくとも法律に基づく解散命令が行われないことが確定するまでの間、今ある建物の解体や新たな建物の建設などの一切の行為を行わないよう申し入れました。」ということですね。とにかく、今後どうなるのか、その行方を握るのは国。不安の声を届けていく…草の根的に運動が行われています。

課題山積。一つひとつしかクリアできないですが、前向きに取り組みたいものです。今日は夏至で、世界キリンの日でした。

未来の教育を語る会@Benesse

先日、「未来の教育を語る会」という集いが行われたので参加。東京都内近隣だけでなく、関西方面などからも参加者がいたというのでびっくり。あまり意識はしていないものの、やはり、市内にBenesseコーポレーションがあるというのは「うらやましい」とも言われる我がまちの価値の一つになっているようです。総勢300名くらいの方が集まり、立場の違いを超えて「未来の教育」について対等な立場で意見交換し、交流し合う場。多摩市の学校からも参加者がいるかなあと思いキョロキョロしましたら、数名の参加者がおられたようです。多摩市在住で他市の学校で先生をされている方も数名。教員だけでなく、日頃から教育に携わっている企業、塾関係の方や地域で関心のある保護者、日野市からは教育長も参加されていました。

こうした場に意欲的に参加される皆さんなので、問題意識や感度がバリバリ高い…。ものすごい熱気あふれる会場で下。

話題提供をしてくださる方々がいらっしゃり、取り組みの実践を伺いながら、参加が4~5名で感想を述べあったり、自分の問題意識などを述べあったり。コロナ禍でこうした場が乏しかったこともあり、何だか新鮮な気持ちになりました。話題提供の内容はとても刺激的でもありましたが、ついつい私は「理想と現実のはざま」を思ってしまうのでした。

学校現場の現実を見れば見るほどに、会場での熱い議論と隔たりを感じるのではないか…と。実際に、先生たちの日常を想うと「言われていることはわかるけれど…」となりがちではないかなあとか。意見交換で同じ輪にいた小学校の先生が「枠を外す」という話しをされていましたが、「枠にとらわれず」に考えることが先生たちの現場でどれほど許されているのかなあと思ったりもします。

そもそも「多様性が大事」とか「違いを認め合いましょう」…と声高に叫ばれていると言ってもいい時代ですが、にもかかわらず…だいたい職員室内で多様性やら違いがどこまで認められているのか?‥‥と感じています。

先生たちの置かれた状況、大人の在りようがそのまま子どもたちに伝わり、それこそアンコンシャスバイアスではないですが、無意識のうちに子どもたちにも伝わっているモノ・コトが多いのではないかと私は思っていて、「未来の教育」に理想はたくさん語りつつ、そこと明日からの日常をどうつないでいくのか、自分自身の現在と折り合いをつけていくのかが大事なことだなと感じたのでした。

まだまだ特異な事例とも言えますが、通知表を廃止したり・・・なんてことに挑戦している学校もありますので。いずれ、「夢みる校長先生」も見に行かねばと思っているのですが、「夢みる校長先生」…あくまでも属人的で、その人しかできない取り組みだとしたら、「夢しか見ず」になってしまいますね。よい取組み、価値があり、それがこれからの時代であるとすれば、その方向にしっかりと歩んでもらえるような制度や仕組みが整えられていく必要があるでしょう。まあ、公教育は上意下達バリバリで、私は学校教育って「本当に子どもの方を向いて行われていますか?」と常に問いながら、現場を捉えてきた一人でもあり、学校の管理職の先生たちは特に…教育委員会ばかりを見て仕事しているような雰囲気を感じることも多々ありで。教育委員会は「現場を大事にして」と言っていますが、何となく、それとは真逆?…。

そして、話題提供で渋谷区教育長のかたが登壇されまして、これからの取組みを披露してくださったのですが…さすが渋谷区…その財政力に支えられて新しいことが展開していけるのだなあと。「多摩市では夢のまた夢」とすら思えてしまったのもまた事実。自治体の財政力によって公教育の内容が左右されていきそうな気がしてしまいます。会場でもPRされていた動画も高いクオリティを誇っておりまして、私の近くの席の方からもため息聞こえておりました…。

もちろん、「未来の教育を語る会」のなかでも「不易と流行」ということが言われていたように、新しいことを取り入れることの必要性もありながら、私はやっぱり「変えなくてもいいところ」あるいは「変えることができないところ」があると思っているのです。昔から「読み、書き、そろばん」と言われますが、機械に頼らず、自分の手を動かしてやることが必要だし、大事なことではないかしら…とさえ思える今日この頃。

「未来の教育を語る会」…あと一つ印象に残ったことは、「知り合い同士が多い」ということ。顔見知り同士の方も多いようで「久しぶり!」というような会話も交わされていまして。もしかすると、こうした場に参加をしながら、日頃は学校現場と格闘し、しかし「志は忘れず」ということで奮闘している先生たちが集まっているのかなあとも。それは、とっても良いことで、休日返上で勉強している先生たちがたくさんいるんだなあと知れたこともうれしいことでした。多摩市が会場なので、多摩市でお勤めの先生たちがもっとたくさん集まってくれることが私の勝手な理想でもありますが。

 

最近読んでいる本。今の学校、子どもたちを考えるために。

補正予算、思わぬ修正案の提出で可決。

アイスランドウィークで、買おうと思っていた「イーセイスキル」のプレーン味が売り切れていたのが本当に残念。そして、変わらず、フラッグが切れていたり、裂けているのが本当に残念。「行き届いていない感」が満載なんですよね。駅前のハローキティ看板の裏側の汚れも何とかしたいと思いますが、駅前壁装飾も汚れがひどいなーという感じになり、キティちゃんの顔はグレーがかっているのです。加えて、レンガのペイントもみすぼらしくはがれています。

 

今日は補正予算の審議と農業委員会など委員の選任に同意する人事案件などが議題になっていました。それほど争点になる課題もなく、いつものように淡々と議事進行が進むのかなと思っていましたが、補正予算の質疑のやり取りを通じ、「これ、議会として〇にはできないでしょう‥‥」ということが明らかになり、結果、全会一致にて修正案を可決するという事態になりました。まるでハプニング…でもあって、想定外の出来事でもありました。

担当者が事業を企画し、その必要性が市長にも理解されたからこそ、必要な予算が計上され、補正予算案として議会にも議案提出がされているわけです。市長からは「市民のためにぜひ、事業を実施したい。そのための予算を認めてください。税金を使わせてください」ですので。

ところが、補正予算が成案された段階と本日の予算審議をするまでの間に、どうやら事情変更が生じてしまったようです。当初段階では市がやるはずだったのに、東京都がやりますよ…ということになり、事業の予算は東京都が面倒を見てくれることになったらしい。つまり、市がやるはずだった企画が白紙になってしまったということです…。質疑を通じてそのことが明らかになり、「だったら、その予算、不要でしょう…」になってしまったのです。

担当者にとってはいかにも不運…とも言えますが、結果、議会からは「使い道のなくなってしまった予算をそのまま予算書に載せておくわけにはいかない」となり、企画政策部長や副市長が「本事業の予算については、再考します。」「これについては執行しません。改めて、9月議会に提案したいと思います。」という発言もありましたが…、議会としては、「予算だけあって、何をやるか決まっていない。」ことが明らかになってしまったものをそのまま「はい、そうですか、再考してくれるならいいですよ。」というわけにはいかなくなり。そして、修正案を出す運びに。

市がやるつもりで市の財源を確保していたところに、あとから、東京都の予算を引っ張ってくることができた…という事例などは普通にあります。その場合にはタイミングに合わせて、予算書上では「財源を変更した」ことがわかるように対応していくのですが、今回の場合はそうした対応が間に合わなかったようです。結果的には議会から修正案を出さざるを得ない状況になってしまったとも言えますが、予め、何らか手を打つことができなかったか?とか、振り返ることはできるかもしれません。

6月議会なのに、意外と補正予算でいろんなことが提案されている気がしました。庁舎のレイアウト変更やら、DXを進めるということとか…。既定路線に乗っかって、いろんな取り組みが進んでいく。全部、市民からいただいたお金でやっていく。「市民がやってほしと望んでいることなのかどうか」とか今まで以上に真剣に考えて一つひとつ税金の使い道を判断していかなければならないでしょうね。今まではやれてきたこと、やってきたことも時代に合わせ、取り巻く環境に合わせてきちんと見直していくことが求められます。波風立たないように今まで通りにやっていくことは私たちにとっては安全なのかもしれませんが。「今だけ、自分だけ」になっていないか、考えていきたいものです。

明日は休会で、明後日から委員会。私も明後日、総務常任委員会に出席します。