明日から定例会が始まります!

明日から今年最後の定例会です。私は一般質問が来週の予定。発言順も市議会公式ホームページに掲載されました。市議会のホームページもたまにチェックしてもらえるとありがたいですが、認知度が低いのは歯科型無いですね

今日は一般質問のヒアリングがあり、市民の方にお会いして、住戸点検を受けて、そのあと、いろいろと書き物をしてから、明日からに備えて家事を終わらす・・・という一日でした。時間があったので、家の中を少しだけクリスマスにもしてみました。本当は今月中にやっておくはずだったことを先送りしていることを反省しながら、明日を迎えることになりそうです。

明日から12月、とても冷え込む朝になりそう。朝の活動で駅に行くためのコートをやっと出しました。明日からはコートを着用で臨みます。今日はなんだか一日大変だったのは、昨日の今日で父の認知症の悪化を痛感する出来事があったかもしれないな。妄想ではなく、過去の記憶に生きる時間が多くなっていそう。ちょっと、振り回されるな。

認知症のことを学ぶとは。

今日は午前中、明後日から開会する12月議会の日程などを確認する議会運営委員会などに出席し、午後から認知症講座として開催された「気づいてる?認知症への偏見・思い込み」の学習会に参加してきました。「認知症と共に生きる」とのタイトルで繁田雅弘先生からのご講演、そして、認知症当事者、介護者、そして、地域で支援をされている専門家の皆さんの座談会を聴いてまいりました。

繁田先生は「自分が認知症だったら」を考えること、「当事者はどうしてもらいたいのか」を想像しつつ支援することの大切さをお話しされていまして、まさに、身につまされる思いでした。

私の場合も、遠方に住む認知症の父に毎日電話をしていますが、ついつい「こんなことさえ理解できなくなってしまったのか」と思ってしまい、コミュニケーションをとることが日に日に難しくなっていくような状況に、時に強い言葉で叱責口調になってしまったり、ため息まじりの言葉で会話してしまうこともあります。そんな自分に嫌気がさしたり、忍耐力の足りなさを感じるわけですが、だんだんとコミュニケーションができなくなっていくことは私だけでなく父にとっても辛いことなのではないか‥‥とも考えることで、自分の頭を冷やしています。ただ、私の場合は当事者が目の前にいない、遠方に離れていることもあって、介護にどっぷり時間がとられたりすることがなく、自分自身の維持ができているように思います。いずれにせよ、とにかく知識としての認知症と自分の目の前にある現実と…。私が日々、父と接している中ではだんだんと言葉が失われていくというのか、自分の考えていることや思いを表現する言葉が出てこなくなり、意思疎通のしづらさが出ていることを実感します。いつか、会話をすることもできなくなるだろうなあを想像することも難くないので、こうして電話ができるだけでも良しとしなければと。

繁田先生は認知症当事者の皆さんはだんだんと行動や動作がゆっくりになっていくわけで、決してできなくなっているわけではないとおっしゃっていました。でも、記憶がどんどん消えていくというのか、娘の顔すら忘れてしまい、すぐには思い出せくなっているほどですので、父の場合には「だんだんと行動や動作がゆっくりになっていく」と見守れる段階を通り越してしまったのかもしれません。そもそも、父は自分が認知症であることも自覚しておらず、携帯電話の操作なども今まで通りにできなくなっているわけですが、「ちょっと、勉強しないといけないと思っているんだ」と至って普通に前向きなところには救われるというのか…何というのか。

座談会では当事者の方がお話しをしてくださり「アルツハイマー」という診断を受けた時には人生が終わったと思ったとおっしゃっていましたが、もしかすると父も「自分は認知症かもしれない」と薄々考えていた時期もあるのかもしれません。その時に診断を受けていれば、また、今の状況も違っていたかもしれません。当事者の方が、自分自身を放棄せず、人生を豊かにする努力を続けていくことをしていきたいし、そのことがとても大事だと思っていると繰り返し強調されていたのは印象的でした。「認知症」の診断を受け止めて、次に一歩踏み出していくところのエネルギーや葛藤を乗り越えた時、見えてくる景色があるのかなと想像したのですが、やはり周囲のあたたかなサポートが必要不可欠であると感じます。

認知症当事者であるかどうかは外見からはわかりませんし、父の場合も全く普通に見えます。まだ、自分一人で出歩くこともできるわけですが、しかし、「信号丸無視」で歩くので、危険極まりない老人‥‥。でも、悪気があって、自己中で信号を無視するわけではなく、彼は信号の存在を忘れているよう。とにかく歩くことにだけ集中しているというのか、目的地だけのことしか考えられなくなっているというのか。いつか交通事項に遭うかもしれないと冷や冷やするのですが、高齢者の多く住む田舎町なのと彼なりのセオリーにて、何とかなっているようです。心配は尽きませんが、「信号が危ないから、出かけないようにさせる」ほうが酷だと思っているので、毎晩「信号は赤と青がある」を伝えるようにしています。私としては、今、父の認知症の進行をなるべく遅らせたい、今をどれだけ長く維持できるかだと思っていますが、なかなか難しいですね。今日の繁田先生の話しを聴く限り、認知症の薬についてもその内容を正しく理解しておく必要があることがわかりました。

「老いていく」

誰もが歳を重ね、老いるわけですが、「認知症のことを学ぶ」というのは、老いていく自分を自分自身で受け止めたり、認めていくためにあるのかもしれません。今日は何となくそんな風にも感じました。そして、「認知症予防」とも言いますが、やっぱり、好奇心が旺盛なことは大事、自分自身にとって楽しい時間、自分の好きなことを知っておくことが大切ですし、そのことを周りと共有しておくこともポイントかなと。今日の座談会でお話ししてくださった方は、バンドでドラムをやっているそう。会場では机をドラムに見立てて、「イパネマの娘」を披露してくださったのですが、自分自身の「好き」があって、自分自身を「維持する」につながっているようにもお見受けしました。

「もしかしたら、物忘れしやすくなっているかもしれないな」‥‥という早い段階で診断を受けることが、むしろプラスに転じていくのかもしれません。父の場合にももっと早くに診断を受けていれば…どうだったのかなあと考えれば悔やまれますが、今、過去を振り返っても、何も取り戻せません。

「物忘れの診断を受ける」ことをお勧めしたりする行為そのものが高齢者の方のプライドを傷つけることになったり、それもまた現実ですが、気軽に診断を受けることができる状況、みんなが診断を受けることが当たり前と思えるような環境になっていくことも必要かもしれません。認知症に対する恐怖心なく、「認知症になっても大丈夫」と言えるような社会環境を整えていきたいものです。今後、80歳代の30%、90歳代の50%が認知症とも言われる時代にあって、社会の側が長寿社会に対応しきれていないのは明らかです。団塊の世代が80歳代になっていくのもあと数年後・・・社会全体としてはようやく「子ども真ん中」とあえて言わなければならない時代にもなっているわけですが、国全体の税金の使われ方も考えてほしい。

できることとできないことと。

たまには違うところに出かけてみようと思い立ったので、少しだけ遠出してきました。色とりどりの美しさを目の当たりにしてきてエネルギーをチャージしてこれたかなあと思います。とにかく最近、ニュースを見るのがしんどくなるというか、ガッカリすることの方が多く、気が滅入りますので。「税金って何のために、誰のために…」がこれほどまでに問われるようなことが続々と。自分で何とかできることと、自分の力ではどうしようもできないこととがあるわけですが、それにしても、大抵の場合、できないことのほうが多いなと思います。

最近、いろんな人から話しを聴くと「人を大切にできる組織とは」を考えさせられます。いろんな意味で、人を粗末に扱っているようにしか感じられなかったり、思えなかったりする話、あるいはとてもフェアではない判断、理不尽さがにじみ出てるとしか感じられないエピソードなど…私の場合は組織に所属をする働き方でもなく、政党から拘束されるような立場でもなく、自分が直接経験することはないのですが、リアル体験でしんどい思いをされている方からの話しをシェアしていただけることはありがたいですし、勉強にもなります。それでも、話しは聴くことができても、それに対して、何か具体的にできることがあって、手を差し伸べるとかそんな立場でもなければ、そんな偉そうに言えるような大した経験もないのでそこは歯がゆいですね。

今週末から議会が始まるので、そのための準備を進めなければいけないなあと思っているところで、「議員さんなんかに困りごとを伝えても無駄ですよ。無理ですよ。」的なことを行政から遠巻きに言われたという話しを聴いて、本当にびっくり。まあ、どんな口頭表現がなされていたのかは直接的にその場に居合わせて耳にしたわけではないので、何とも言えませんが、しかし、市民がそのように受け止めたという事実があるわけで。「議員」の権限というか権利を振りかざすようなことをしようとは思いませんが、市民からの相談事やらに向き合って、そこに問題点があるとすれば、きちんと対応しようとするのが議員の役割だと思っているのです。たった一人の職員さんの対応なのかもしれませんが、残念です。そしてまた、やっぱり、フェアな立場でいろいろな物事が判断できる行政であるべきとも思います。市民はフェアな行政であるかどうかについて、実はとても敏感に感じ取っているものなのです。行政がいつも正しくて、行政がいつも間違っていないというわけでもないです。

それにしても、寒暖差がありすぎるのは身体にこたえます。季節感があるのかないのか‥‥という感じで、地球環境の変化を肌で感じるようになっています。今年もまた「年賀状じまい」をするかどうか家族で悩む時期になってます。

総合教育会議。

昨日、見に行きそびれた児童館50周年の記念展示@グリナード永山2階広場へ。昨日の「まるっとじどうかん」を思い出しながら、児童館らしさ満載な展示を見てきました。

お買い物途中とか、何となく通行したみなさんの目に触れ、チラッとでも眺めてもらえますように。子どもたちだけでなく、大人も頼りにできる、頼りにしていい場所であることもまた知ってもらいたい。

sさて、今日は今年度2回目の「総合教育会議」でした。この会議の存在はあまり知られていませんが、日程が合えば優先して傍聴するようにしています。教育委員会と市長とが協議をする場。市長と教育長を含む教育委員さん5名の顔ぶれを知ることもでき、私としては傍聴をおすすめしたい会議でもあるのです。通常の教育委員会とは異なり、「教育政策」のことについて市長も交えて協議されるという建付けになっているのは興味深いと思っています。そんなわけで、多摩市の教育に日頃から興味や関心をお持ちの皆さんに宣伝したところ、会議室に入ってきた市長が「今日は、何かあるの?」と驚かれたように傍聴席満員御礼でした…と言っても私、白田議員を含めて6名でしたが。会議はやっぱり、傍聴者がいた方がいいはずですね(議会でも傍聴者がいる、いないでは異なります)。きっと。

会議の前半は報告事項中心で退屈でしたが、後半になってから、ようやく会議らしい会議といいますが、「中学校部活動の地域移行」について話題に上り、委員同士の意見交換もちょっぴりだけ行われました。これは前回の会議からの引き続き協議事項です。そして、速報値でしたが、中学校1,2年生の生徒、部活動に関わる顧問の先生に対するアンケート調査結果について報告があり、意見交換が行われました。

特に、予想通りでもありますが、顧問の先生たちの負担軽減は課題です。もともと教員の働き方改革が強く言われるようになり、ようやっと表面化されてきたのが部活問題。

自由意見欄にある通り、「部活動を通して、子どもたちが学ぶこともあると思いますが、それを差し引いても抱えきれないほどの負担が顧問にはかかっています」‥‥これは現実なんでしょうね。「昔は…」とか「俺たちの時代は‥‥」とか‥‥ひと昔前のスパルタ指導をテーマにしたドラマやアニメの世界はもう古典にしかなりませんから。傍聴していた友人は「うちらが、子どもの頃はどうだったんだろう…」とつぶやいていましたが、「抱えきれないほどの負担」…ここをもっと検証していくべきですし、してほしいです。

自治体としては、子どもたちが部活動をやりたいという希望を叶えるとして、国が指し示す方向性のとおり、部活動の指導を学校現場とは切り離していく。そして地域スポーツクラブ、文化団体などなど、専門的な指導のできる地域人材などの活用で…となれば、もちろん人材確保も必要ですが、何よりも求められ必要なのは・・・人件費!ですね。新たな費用負担が発生するとも言えます。ですので、市長にとっても頭を悩ませずにはいられず、総合教育会議の場でも議題に上がっているのだと思います。基本的には市長が財布の紐を握っている立場であり、全体の調整をしていかねばなりません。国は方向性は示していますが、それに伴う財政的な対応は十分に示せていないのです。

今日の会議ではまだ結論にまでは至らず、アンケート結果の分析も含めて、さらに議論が深めていかねばならないと思われますが、「多摩市なりのやり方」を模索していかなければならないのだと思います。ただ、議論をするにしても、令和7年度には…ということで、それほど時間的な猶予があるとも思えず。ここからどんな風に議論が進化していくのか…冷や冷やしながら見守りたいと思っています。

児童館50周年おめでとう!

勤労感謝の日くらいは…市内でのすべてのイベントはお休みしたらいいのに…とも思ったりしますが、毎年この日は青少年問題協議会諏訪地区委員会の地域清掃。中学生を中心にして、小学生も参戦、先生、保護者と地域の皆さんといつものように清掃活動。今年は「タイワンクズ」の育つ勢いが半端なく、特に諏訪中学校校庭南側の入り口付近は「タイワンクズ」が巻き付いた木がかわいそう。一緒に清掃活動をして、ごみ拾いをしていた荒谷議員と「これは、ちょっと教育委員会にも対応をお願いできないものかなあ‥‥」などと付近の点検をしておりました。

そして、永山北公園の「まるっとじどうかん」に足を運んできました。多摩市立児童館50年を記念して、市内児童館10館が集結して開催。個人的にもとても楽しみにしていたのです。先週、児童館スタンプラリーをやっていて、「まるっとじどうかん」の準備が着々と進められていることを垣間見ていたこともあり、ホントにワクワク。

しかも、開催場所が永山北公園で、永どんも参加しているというのがポイント!多摩市児童館の「あそんじゃ王子」とコラボしたステージなど、MCをつとめているのは若手の職員さん。去年の「児童館アウトドアフェス」でも、職員さん同士がつながり、交流しながら、多摩市の児童館ならではの「場づくり」に取り組んでいて、今年はその輪がさらに広がった感じ。

前回の大谷戸公園とは異なり、駅から近い永山北公園で開催でしたので、行き交う人々にも見守られながら、50年の歩みを重ねてきた児童館がお披露目されたような雰囲気もあり、図書館や公民館側からも「何かやっているみたい」と覗きに来てくださった方もおられたよう。とてもよい空間が出来上がっていました。子どもたち用に準備していた配布物も500ほどあったようですが、あっという間に無くなってしまう勢い。この盛況ぶりには主宰した側のうれしい見込み違いとも伺いました。参加者からは「来年もやってほしい…」という声まで聴こえてきました。

 

児童館はコロナ禍のとき、各館でかなり頑張って動画作成をしていた印象がありますが、今回も告知動画はかなり出来映えがいいというか、面白い。出演者の顔を知っているから余計に面白いのかもしれませんが‥‥今日のステージイベントでも児童館10館、10レンジャーは大人気だったようです(見れなくて残念)。

お天気に恵まれたこともありますが、永山北公園は子どもにとって心地よいサイズ感というか、会場全体を見回し、キョロキョロできるスケールがいい。そして、うるさすぎない空間で子どもの姿を眺めているだけでもあっという間に時間が過ぎていくというか、公園のベンチに腰を下ろす高齢の方の姿を見ていると「非日常なのに日常」で、イベントが日常に溶け込める雰囲気があったのは、ステージパフォーマンスなどもうるさすぎなかったからだと思います。一般的には、こうしたイベントも、ついついステージパフォーマンスなど音量を大きくしがちでもありますが、それに嫌悪感、嫌がる人もいますから。子どもも。

児童館が企画運営で行政が主催しているわけなので、商業ベースなものとは一線を画し、まさに児童館のコンセプトである「誰でもおいで(お金が無くても遊べるよ)」になっていて、華美にごてごてしていないのが本当に良くて、それが他のイベントと区別できて、まさに差別化できるところ。昨年の「アウトドアフェス」の時にも思ったことですが、本当はこうしたイベントが大事で、「多摩市の顔が見える」になっていくと思います。「子育てを育てるまち」を掲げている多摩市がどんなことをやっているんだろう…が可視化される。

「おさんぽアニマル」で風船に装飾して、持ち帰ることができる工作ブースや木の実などをつかったクリスマス飾りづくりなどは大人気で、帰り道にも、かわいい風船を片手に、お散歩している親子の姿をポツポツ見かけました。こうして持ち帰ることのできた作品は家に帰ってからも「今日は、楽しかったなあ」を振り返ることができるアイテムですね。

ところで会場には「みらいへのメッセージボード」があり、「つぎの児童館イベント」に子どもたちから(大人も)の声を集める工夫もあって、「子ども参画」とか「子どもの声を聴く」もちゃんと実践されているところにも職員さんたちの感度の良さがありますね。それも、みんなの意見も見れるところがいい。

以前、上述したとおり、こうしたイベントを通じて、職員さんたち同士の交流があり、そしてまた日常では伝えきれない児童館職員としてのノウハウなど互いの学び合いにもなっていると聞いたことがあるのですが、きっと、今回もいろんな意味で「職員力底上げ」につながるような場面もあったのではないかしら?…と勝手に推測。

これからの児童館どうあるべきか…についても、やっぱり、これまでの積み上げを無視することはできず、そのベースの上に築かれていくものですから。これは単なる市民向けのイベントと…いうだけではない、重要な開催意義があるのだと捉えています。

そういえば、「温故知新」ですね。「くらしに、いつもNEWを」とかっていうキャッチフレーズもあったこと思い出しました。「子育てを育てるまち」でも「くらしに、いつもNEWを」でもまあ、どちらでもよいですが、いずれにせよ、まちの歴史、そしてまた、児童館で言えば現場の職員さんたちが重ねてきた歴史を丸無視するようなことはできず、そこを再評価しながらも、少子化時代にどうあるべきかをきちんと議論し、方向を見定めていくべきです。

児童館は必要。しかも、直営で必要なんだと思います。地域によっては、民間委託とか指定管理者とかで運営されていて、それなりに上手くいっているところもあるでしょう。でも私は、児童館は「直営だからできる」を見極めておかないと、「子ども政策」の柱そのものがやせ細る気がしています。保育園、幼稚園や学童クラブでは存分に民間の力を借りているので、児童館は数の維持よりは「直営を維持」を念頭にして、どうあるべきかを考えていくことが望ましいと思っているのです。そして、「ただ、減らすだけ」であっても困る。きちんと質、その内容もしっかりと充実させていく必要があります。

こうしたイベントでも感じるのですが、やっぱり「チームワーク」なんですよね。全部の児童館が直営だからこそできることがあるはずです。もちろん、それを束ねていくところの要があってこそ!とも言えますが、「だから、できる」があります。

そんなわけで、プレイベントだった児童館スタンプラリーにも参戦し、10館全部を制覇しましたので、缶バッジ3つもらってきました。あ、そう、ゴールドカードも作れるようなので、せっかくなので諏訪児童館で作成しにいくつもり。

こうしたイベント開催までの苦労やら、何やら・・・開催当日しか見ていない私にはわからないことも多い。でも、やっぱり、このイベント開催までに重ねてきた協議や準備があって、今日に至っていることを思うと拍手拍手拍手であって、「ありがとう」ですね。児童館が地域に感謝しながら、私たちも直接、児童館に感謝を伝えられるような場所になっているのは本当にいい。児童館Tシャツを着ているスタッフ、職員さんたちの顔が見える。顔がわかるはやっぱり大事です。

「行政がやらなくてもいいこと」「民間でできること」をどんどん民間や市民シフトにしているなかにあって、がっつり行政が主催するイベントの良さがあったと思います。「行政があえてやったほうがいいこと」もあります…を再認識。ま、今日のイベントもガッツリ、児童館だからできたはず。おつかれさまでした。

新百合ヶ丘のイルミネーション。夜空に映えていました。

子どもと学校と地域と。

この間、児童館でスタンプ集めをしていた時に、落合児童館にとてもかわいらしい飾りつけがあり、「西落合中学校で飾る」と聞いたので、その様子を見てきました。

学校にちょうどいい具合の木があって、そこにクリスマスツリーを。脚立に登ったりして、子どもたちが銘々につくった工作=作品を飾りつけして、キラキラ光っていました。まだ明るいのでキラキラがボヤんとしていたのですが、日がだんだんと暮れてくると綺麗なんだろうなあと想像しました。

夕方から青少年問題諏訪地区委員会があり、参加している中学校、小学校の校長先生から「行事など、子どもたちが経験を通じて成長をしていく」とか「自信をつけていく」という話しなどを伺うと、コロナ禍にいろんなことがストップしていた期間、私たちが失ったものは決して小さくないなと。そしてまた、成長過程にある子どもたちであればあるほどに、そのかけがえのない時間にもしかしたら得ることができたものを手にすることができなかったのかもしれないなと。「我慢」とか「忍耐」とか…「息苦しさ」とか…知らず知らずに身につき、無意識のうちに纏いもので自らを覆ってしまう‥‥そんな感覚も身に着けてしまったかもしれませんが。

青少協の地区委員会も諏訪地区だけでなく、その在り方が問われている気がしていて、イベントを開催するにしてもいろんな意味で難しくなっているかなあと。「子ども、学校、地域」とのつながりを切り離せるものでもなく、結局、ゆるやかなつながりを維持していくことが必要だし大切なんだと思っています。学校が地域に頭を下げまくるようなことも違うと思うし、地域が学校のためにと一生懸命になりすぎることもたぶん違うと思っていて、「学校は本来何をするところ、どうあるべき場所なのか」ということに都度都度、時々の環境やらを踏まえながら、了解しあったり、確認し合いながら、進んでいくことが理想なんでしょうね。

「子ども真ん中」

それって、どういうことなのか。そして、それは地域でどう実践されていくのか。大人たち一人ひとりはそれをどう捉えているのでしょうね。「子ども真ん中」と言っているのに、子どもの出番よりも大人の出番が多いとか、子どものために過干渉になりすぎるとか…そういうのはきっと違うんでしょうね。今、子どもたちが成長している社会の状況をどう捉え、そしてどう変えていくべきと思っているのかが見えない…。お金の問題だけではないはずなので。

明後日は勤労感謝の日。

一般質問通告書、出しました。

週末は地域で管理している花壇にやっと届いたお花の植え替え。道路交通課でやっているアダプト制度に登録をしながら活動しているグループのお手伝いをしています。植え替え作業の前には土を耕すなど準備をするのですが、ここの土質というか土壌は本当によろしくないことを実感します。諏訪第二公園が大規模改修した時に新規に植えた木も全然育っていないのはそれが要因になっていると考えています。

さて、先週末に引き続いて、諏訪2丁目団地建替え10周年記念の行事で、東京ドームの約1.4個分の面積のあるマンション敷地内での散策。「10年前と現在を比較しながら歩いてみましょう!」という企画です。午前と午後に分かれて実施したのですが、ガイド役を仰せつかっていましたので、企画メンバーのみなさんで作成してくださった資料などを踏まえて、にわか仕立てで勉強を。「やっぱり、10年は短いようで長くて、それなりそれだけの時間を重ねてきたんだなあ」としみじみしてしまったのでした。そして、その時間のなかで何を積み重ねてきたのか…って振り返りが大事ですね。

明日が一般質問通行書の提出日ですが、スケジュール的にもバタバタしたくないので今日中に提出してしまおうと見直し作業などをしながら、久しぶりに夜更かし中。今回の一般質問はとても地味で、市民のみなさんには「自分たちの生活とどう関わりあるの?」と思われがちな「自治基本条例について」取り上げることにしました。こちら、来年で制定から20周年を迎えます。どれだけの市民の皆さんに認識されているかわかりませんし、認知度を調査するとその結果は…と見えてしまいそうですが、行政活動や議会の活動は「自治基本条例」が制定されたことで少しは変わったところもあると思います。

「一丁目一番地」(今はほぼ廃れてしまった表現)‥‥まさに、私が議員になった時に最上位に掲げていた公約が「(市民自治)基本条例の制定」でしたので、個人的にはとても思い入れがあるのです。来年20年目を迎えるにあたって、周年記念行事みたいなことに取り組む考えはあるのか?…とか聞いてみようかなと思っています。この条例、多摩市が制定する最高規範という位置づけです。つまり、全ての条例の最上位に位置づけられる条例という感じですね。

(条例の位置付け)
第2条 この条例は、私たちのまちの自治について、最も基本的な理念及び行動原則を定めるものであり、市が定める最高規範です。

条例が制定されたときには渡辺幸子市長時代でした。「自治基本条例の啓発は大切なこと」とおっしゃっていて、自らPR活動をされていたことなど懐かしく思い出されます。市民参画とか協働とか今は一定程度定着し、当たり前のことのようですが、当初、本質的にめざしていたものは何なのか、「市民の声を聴く」というのはどういうことなんだろう‥‥って改めて考える時期に来ているような気がしています。

第2節 市民の役割
(市民の権利)
第5条 市民は、まちづくりに参画する権利を有します。
2 市民は、まちづくりに関し、自らの意見を表明し、又は提案することができます。
3 市民は、まちづくりに関し、市議会及び市の執行機関の保有する情報を知ることができます。
(市民の義務)
第6条 市民は、まちづくりに参画するにあたり自らの発言及び行動に責任を持つものとします。
2 市民は、前条で定める権利の行使にあたり、公共の福祉、次世代及び市の将来に配慮するものとします。

公共の福祉、次世代及び市の将来に配慮…このあたり、今後ますます問われていきそうですね。

ということで、一般質問のことを頭であれこれ…というか、ぐちゃぐちゃと考え、悩ませながら、多摩市立中央図書館へ。豊中市議の白岩正三さんが見学をしたいというのでご案内してきました。予め連絡をしてので、館長が丁寧に対応してくださいました。ちょうど図書館50周年にあわせた「お話し会」をやっていましたので、少しだけ覗くこともでき、雰囲気も味わうことができました。「図書館の運営も市民と協働して進めていきたい」とあらゆる場面でも語られていたので、こうした市民の活動がこれからも継続されていくことは理想です。

私も絵本の読み聞かせなど、学んだことはないけれど、大好き。いつかボランティアしてみたい。市民活動にはいろいろな分野、取り組みもあって興味も関心もありますが、つまみ食いのように関わることは自分のセオリーには合わない。もっと自分に時間の余裕ができたなら、やってみたいです。

さて、図書館で「児童虐待月間」、「税を考える週間」に合わせた展示コーナーがありました。後者は市役所課税課とも連携をし、持ち帰ることのできるパンフレットや資料も配置するなど工夫がされていました。「これはええなあ。」と関西弁の白岩議員からもお褒めの言葉をいただきましたが、展示の内容に関心の有る無しに関わらず、目につく場所に資料が並べられていて、親子でふらっと立ち寄りながら、眺めている方の姿を多く目にしました。とても見やすくていいなあと。

そして、こうした展示ができるのはやっぱり直営の良さかなあと。もちろん、直営でなくてもやろうと思えばやれるのかもしれませんが、スムーズな連携を考えると、直営だからこそできることもありそうに思ったのでした。自治基本条例のことを考えていても、やっぱり、「社会教育」を重視する視点を今こそ再確認しておきたいと思うものです。だから、図書館や公民館が直営であることは重要であって、「なぜ、そうあるべきか」を言葉にできる教育行政であり、市政運営にすることも大切かなあと。

とりあえず、通告書はメールにて提出を完了したので、ホッとしたところ。いよいよ今年最後の定例会に向けて、議会モードにシフトします。

市役所建替え。

児童館を巡った時に「児童虐待防止月間」だったことを思い出しました。愛宕児童館でも入り口で紹介されていましたが、図書館がディスプレイをするときの素材などを提供してくれるのだとか。職場体験の中学生が壁面を飾ってくれたそうです。

今日は多摩市役所本庁舎建替基本計画特別委員会があり、前回は会議時間を十分に確保できなかったこともあり、現状確認など質疑をするところから始まったのですが、すでに、基本構想が決定していて、そのうえで、基本計画、基本設計、実施設計みたいになっていくのかな?‥‥というところで、まずは「骨子」をつくるというのです。基本構想と基本計画の間の骨子というのはどういうものなのか?私には未だに理解できず、一体、何を策定しようとしているのか、そして、市民に意見を求めるつもりなのかしら?と思っております。「骨子」は箇条書きのもので、「基本計画」は文章化されたものという説明なのですが、何をどう区別すればよいものか。イメージが全然掴めません。どうやら要点だけをまとめたもののようですが。こちら、多摩市役所本庁舎建替基本構想です。

議会側では、とりあえず、「議会エリア」について検討すること。

まずはここから議論を進めるわけですが、来年1月末までにお願いします‥‥とか言われているという。しかし、その前提になっているのが「総務省は議員一人当たり35平米」という基準?目安を示していますということが示されていて、そういう意味で、議論するにはとても窮屈。以前、議会でのやり取りで「総務省の示している基準に縛られる必要はありません」という回答があったとも聞きましたし、未だに「総務省の基準」を持ち出さなければ議論できないという状態だとすると、これまた、「地域主権」とかっていう言葉が泣きますね。

そして、既に‥‥ご丁寧にというか、行政側が作成してくださった?資料が私たちには与えられ「市役所建替基本計画ボリュームイメージ(議会機能)」、これをさらに簡素化させればいいだけのような気もしますね。

せっかくなので、議会に示されている策定スケジュールと、議会で検討するときのポイント・・・あくまでも「例」議会機能を検討するための参考資料-圧縮済みについてもここに共有しておきます。

今日は特別委員会でワークショップ風なことをやりながら、意見を集約していくための準備をしたのですが、4月に改選があって、やや仕切り直し感もある議論になっているところもあり、意見集約をしていくためには相当根詰めてみんなで頑張っていかないといけないだろうなあと感じました。そもそも論で「どんな議会にしたいか」まで遡ることはできませんが、特別委員会のメンバー同士の意思疎通を図っていくのも…言ってみれば、これから!…という段階なので。

 

そして、今日は12月の定例会に先立つ、市長提出議案の説明がありました。市税が約4億円強の増になったというのは、ちょっと驚き。納税者の皆さんの賃金増などが影響しているという説明でしたが。

 

児童館50周年。

多摩市で一番古い一ノ宮児童館が開館して50年を迎えます。その当時を思い出すというのは‥‥なかなか難しいわけですが、多摩市で児童館行政がはじまってから50年が経過したということでもあって、来週記念イベント「まるっとじどうかん」が行われます。

それに先立って、児童館スタンプラリーが行われています。やっと、諏訪児童館をスタートし、全部の児童館のスタンプとシールが集まりました。今日は水曜日で、学校の終わる時刻も早いので、児童館もにぎわっているかなあと思ったりして。ちょっと無理して周ってきたので、一か所の滞在時間は短くなってしまいましたが、それでも利用する子どもたちの風景を見て、「やっぱり、児童館って大事ね。」と思ったのでした。

何の前触れもせず、ふらっと立ち寄ると、普段通りの様子を見ることができ、職員さんが子どもたちとどう関わっているのか、声掛けの様子なども見ることができます。少し気持ちがざわついて落ち着かなくなった子どもに対応している職員さんの姿、怪我をした子どもへの接し方、一人ポツンとしてしまった子どもへのアプローチとか、ちょっとした子どもの振る舞いも見落とすことなく適切に注意を促すとか、短時間であっても瞬間的にいろんなことが起こり、そこに職員さんたちが対応していて、それは当たり前のようで当たり前ではないのではないかと感ずるものでもありました。館ごとに、子どもたちの過ごす雰囲気も異なっていましたが、でも、どの児童館でも子どもたちがホッとして、息抜きしているような姿もあったり。

いつでも来ることができて、そして、人がいてくれて。場所があるだけでなく、そこに信頼できる「人」がいることの意義は大きいですね。信頼できる「人」=職員さんたちになると思いますが、「信頼できる」になるための関係性づくりもまた必要不可欠で、やっぱり、問われるのは児童館職員さんたちのスキル。ただ遊ぶだけではなく、そこにいる大人に話しを聴いてもらえたり、時には相談をしたり、そしてまた、注意もされたり…そんな繰り返しなんだろうなあとも。子どもたちに「相談場所がありますよ!」と看板を掲げて、待ち構えていても、そうそう寄せられるものではありませんから。何というか、とてもナチュラルで、いつもの時間を重ねていくことがあって、初めて打ち解けられるというのか。

子ども真ん中、「子育てを育てるまち」というからには、それに応えられる環境づくりしていきたいですね。児童館の存在、大きいと思います。宣伝文句倒れならないように、アドバルーンだけは立派…にならないよう相応しい設えを整えたいものです。ハードもソフトも。

ただ、子どもたちは施設が古くさい、傷んでいる…というような問題は二の次にしていることもまた事実。もちろんハード面で充実していること、きれいであることは大事だと思いますが、それ以上に、そこで過ごせる時間に価値を感じ、足を運んでいることは今日の光景からも伝わるものでした。

ところで、スタンプラリーで押してもらえるスタンプ、シールもともにオリジナル。桜ヶ丘児童館のシールだけはちゃんと角が面取りというのか、丸くなっていて、一番かわいい感じ。「せっかく、渡すなら」という心くばりを感じますね。全部集めて、比べてみてはじめて、見えてくる違い‥‥もちろん、館ごとにその対応の違いが見えることも面白さの一つ。10館全部をほぼ一気に回るから、わかること多かったかも…という印象でした。さて、全館制覇して、来週の「まるっとじどうかん」のイベントに行くと、何かご褒美がもらえそう‥‥楽しみ。

もう半分終わる。

唐木田菖蒲館に立ち寄りましたら、クリスマスツリーが飾ってありました。今日で11月ももう半分が終わりまして、今年最後の定例会までスタートダッシュな雰囲気が漂います。明後日は定例会前の提出議案の説明会です。早いなあ…。この間、11月が始まったばっかりだと思っていたのですが。

そんなわけで、いろいろやらなければならないことが溜まってきて、考えなければならないこととか、気にしておくべきこともいろいろあって…忘れてしまいそうなので、一度、棚卸というか、書き出し作業をしてみようと思ってやり始めたら、1時間では終わらないことに気がつく。そしてまた、自分の記憶がいかに曖昧なのかということも気がついたりして。

次の定例会の一般質問の内容もまとめ始めたのですが、答弁する側の市長、教育長というよりは、部長の顔が思い浮かぶと…「うーん、さて、どうするかなあ。」と躊躇することもありますね。議会の答弁は「動かぬ証拠」になってしまうので、そういう意味で、タイミングをはかるというのか、よい塩梅になるように見極めるというのか、そういうことが意外と大事だったりするので。もちろん、忖度するということではなく。そんな思いが頭をかすめると、パソコンを開いていても、まるで画面フリーズ状態に。

毎朝、しらた議員と一緒に駅前で挨拶運動?していますが、市政に関する話題については「これからどうなっていくのかしら?」というドヨンとした気持ちになり、晴れやかにはなれずです‥‥国政を見ていても「政治の責任とは何か」と暗澹たる気分になることも多いですが、それはそのまま自分にも返ってくることですね。

「フェアな市政ってすごくいい表現でしたね」と言われました。今でも駅前では「フェアな市政」と書いた幟を立てていますが、「フェアであること」「フェアに振舞うこと」…きちんと客観的に物事を捉えて、判断することができているのかどうか、自分たち自身も我が身を振り返るですね…としらた議員と常日頃から話していることです。 「多摩市の未来は明るいです。」に似たようなことを市長が発言していることがあるのですが、今の市政運営、この先にどんな絵を描いているのだろう…と思えてならず。何を根拠にしているのかとか、すごく聞いてみたいです。まさか「暗いです。」とも言えないわけですが、「明るいです。」という言葉が空しく響かないようにしたいものです。