2024年第1回定例会 本会議3日目

昨日の夜は、今日の質問に備えて、いつもよりも2時間も遅くまで起きていたのですけれど、なんか、すごい嫌な予感がしていたんです。というのは、事前に市長にも質問意図を直接伝えるかどうか迷って、やめてしまったから。遠慮したわけではなく、「素」でやりとりするほうがいいと思ったから。4月になれば、市長は任期の折り返し。後半の2年間のスタートを迎えるので、やっぱり、あと2年間で何をやり遂げるのか、聞きたいですよね。そこで市長なりの成果を上げるために、目標をもって「仕事をやり遂げてほしい」という気持ちを込めつつ、投げかけた質問。

「(13)市長が任期後半で『これだけはやり遂げる。また、結果を出す。』と考えていることを伺います。」

これが今回の質問の肝かなと勝手に思っていて、市長からどんな答弁が返ってくるのか、楽しみにもしていました。今回の施政方針を読んで、感想をくださった市民の方からの言葉を借りれば「あっちこっち食い散らかしている市政の状態に見えるんですが…」という印象を払拭したいなとも思ったので。

しかし、市長の答弁は下記の通り。

「自然災害の激甚化や地球沸騰化などによる気候危機、少子化・高齢化の進行と担い手不足など、今、社会や自治体を取り巻く諸課題はこれまで以上に深刻化しています。例えば気候危機の問題ひとつとっても、今、行動を起こさなけば取り返しつかなくなる瀬戸際になると思います。

限られた任期の中で、あらゆる課題を完全に解消することの困難さを感じていますが、今、市としてできる最善の対応を果たしていくという考えのもと、それらの課題に向き合い、行政として取り組んでいくとともに、未来を担う子どもや若者たちのビジョンをしっかりと次世代につなげられるよう、一人の大人として市長として責任を果たしていきたいと考えています。」

「え?」

すっかり、思考が止まりました。これは、はぐらかされているのかどうか…。予め答弁原稿を眼を通し、かなりフリーズしていたのですが、いざ発言席で通告を読み上げたのち、市長の答弁を聴いているうちに、「もう、再質問するのやめておこう」という気持ちになってしまって。実は、市長の代わりに部長が答弁することが不可能だろうな…という内容で再質問を準備していたので、なおさらのこと、「なんか、もう無理。これ以上、質問したくない。」と思ってしまうほどにガッカリ。何度読んでも、市長からのリアルゼロ回答の衝撃は大きかったな。「心底、残念」という気持ちを訴えるだけで、今日の私はギリギリ精一杯でした。でも、せっかく作成した再質問、葬り去ったことはもったいなかったかなあ…帰宅後、反省。ま、こんな時もあっていいかなと。でも、また気を取り直して、次へ。

 

「今だけ」「自分だけ」「金だけ」でなく、動ける市政運営にしていけば、必ず、「持続可能な市政運営」にできるし、そうなる。

2024年第1回定例会 本会議2日目

今日は3会派(あすたま維新、自民党、生活者ネット・社民)から代表質問があり、その後、共産党の橋本さんからの一般質問でした。私も明日、市長の施政方針について一般質問するのですが、よく考えてみたら、一般質問なのに、質問数が全部で21個くらいあって、すごい迷惑がられそう…。でも、これでも、質問数を絞り、頑張って減らしたんです…。正直言って、施政方針のどこにポイントがあるんだろう…と読み始めたら、ポイントがどこにあるのかわからなくて、その挙句、質問数が多くなってしまった感じ。ということで、再質問にどのくらい時間が残るかわかりませんが、30分の持ち時間のなかでできるだけ、言いたいことを言うつもりです。

さて、今日の一般質問では、生活者ネットワークの岩崎さんが「自治基本条例」について質問をされていましたが、市民参画や協働のまちづくりを進めるにあたって(自治の推進にあたって)、「条例は改正しなくても、取り組みができないわけではない」ということで、相変わらず、条例改正がなぜ必要なのか、根拠を含めて、全く不十分にしか語られていない状況。そこに感じる違和感が、次第に、嫌悪感に変わってしまいそうで…あ、感情的になってはいけないと思いますが、ホント、何のため、誰のための条例改正なのかわからなさすぎる。

私は単に「実態が伴っていない」と判断しているのと、何しろ「協創」という造語を喜んで使おうとしているその感性に何よりも疑義が。国語的に正しくない表現を用いることについて、明日は再度、市長の意思を確認する答弁をもらう予定です。議事録にしっかりと痕跡を残しておくことこそ必要だと思うからです。以前に、市長は「文字、活字、文化」へのこだわりを示しておられましたし、「国語の重要性」についても言及されていたこともあります、その市長からの答弁ですから、議事録に残す価値がより一層あるのではないかと、勝手に想像するものです。

今日は橋本議員の一般質問では、第33次地方制度調査会答申の問題点として、多摩市自治基本条例の基本理念に反した方向性に異論が述べられていました。すでに、日弁連も反対の意見を表明しています。私も改めて、争点になっている「国による補充的な支持の必要性」について、勉強しておかねばと思いますが、これに対する市長の答弁がまた何とも言えず「あいまい!」。「制度の創設についてはただちには反対するものではありませんが、その制度化及び運用にあたっては、十分な配慮が必要と考えており…」…だそうです。

 

あ、そうだったんだ。「反対じゃないの?!」みたいな。

 

市長は地域主権やら市民主権やらに人一倍思い入れがあるのではないとも思いますし、その証として、今回の施政方針でも「コモンの再生」なんて言葉が引用されています。こうした言葉を安易に用いているとは思っていませんが、もし、こちらの本に市長がいたく共感しているのであれば、「反対」となりそうなものなのに。

自治を進めたい、そのために「コモンの再生」となるわけですが、何はさておき、重要なことは、伴う実態を作り出すために、市長は一体何をするのか?どうアプローチしてくれるのか?という話しですよね。

結局、今回の自治基本条例の改正にあたっても、、それこそ、もっともっと具体性をもって、「協創」とか「地域協創」を語ってもらえない限り、説得力に欠けけ、何のために改正するわけ?…という疑問が湧くことはあっても、共感はできません。例えば、杉並区の岸本聡子区長のように「参加型予算」でもやるような構想はあればまた話は別かなと思いますが、そんな構想など皆無。

結局、今と何がどう変わるのかもわからないまま、そしてまた、条例を変えなくても、取り組みは進められると言い放ったままに、条例だけが改正されていく虚しさ…。まあ、捉えようによっては、自治基本条例を改正して、目新しい造語「協創」を盛り込んだことで、看板がプチリニューアルして、何となく「やってる感」が醸し出せるくらいの効果はあるのかもしれませんがそれでは何も変わらない。

★参考図書★ コモンの「自治」論

2024年第1回定例会始まりました!

北風なおかつ強風で‥‥これは春になるための道のりか…とも思いますが、本当に冷えますね。今日から多摩市議会第1回定例会が始まりました。先日は乞田商店会にて「河津桜の鑑賞会」がありまして、参加してきたのですが、凍えそうに冷たかったものの、桜はほぼ満開に近くて美しかったです。とても良いピンク色でした。

さて、4月から始まる来年度に向けた市長の施政方針演説がありましたが、今回ほどに残念に感じた演説はなく、予め、「演説原稿」が議会には示されていたので、内容はわかっていたものの…リアル演説を聴いてみても、やっぱり、残念というか「気合い」や「意気込み」やらををどこからも感じない気がして、市長どうしちゃったのかなあ…みたいな。覇気がないというか。

見方を変えれば、余裕があって落ち着き払っているということなのか?

今日は代表質問で、日本共産党と公明党の2つの会派からの質問でしたが、その答弁を聴いていても、あまり面白みも感じずに、ただ、最後のところで、公明党の渡辺議員が市長への答弁を求めたところで「事件は現場で起きている」…と答えたのは、まあ、今までの市長らしさかもしれませんね。「現場が大事」とおっしゃりたいのだと思いますし、その台詞はこれまでも何回も耳にしています。とはいえ、「その現場」…市長はどこまで掴むことができているのだろう?と散見されることも多く、「ホントに、そう思っていますか」と問い返したくなるようなこともあるのですが…私は。

渡辺議員が永山駅前の「日本医科大学多摩永山病院予定地」に関する動向につき、現況が述べられたのですが、どうも「移転建替えの動きについて、保留されているまま」の状態にありそうですね。交渉事で、しっかりと進めて欲しい…という立場から、「その先にはあまり突っ込むことはしないけれど」ということでしたが、答弁を聴く限り、移転建替えの動きについて雲行き怪しそうな雰囲気が漂っている気がしたのは私だけでしょうか。すでに建物の解体工事なども終了し、すっきりさっぱりと更地になっているところ、いつまで、この状態なのか?‥‥我が家の近所なだけあって、その動向を気にされている方が周りには多い印象です。ついでに、多摩永山情報センターも閉鎖に向けて着々と段取りが進んでいますし、駅前エリア、坂の上と坂の下…一体どうなっていくのかとますます心配を募らせている方もいらっしゃるのです。

施政方針では2040年をめざして、永山駅前の再生?再構築?活性化?…に取り組むようなことが示されていたのですが、2040年って…今から何年後?…で、私はその時、何歳になる~…と思わず計算してしまいました。明日は代表質問と一般質問のトップバッターの一人が質問に立ち、私は明後日の2番目に発言順が回ってくる予定です。そろそろ、再質問事項を考えて、纏めていかないとなあ。市長も議会前まで、いろいろとお忙しかったり、疲れが溜まっておられるのかなとも思いますが、もうちょっと元気取り戻してほしいですね。

明日からに備える。

生活者ネットワークの岩崎さんからの呼びかけがあり、女性議員有志で、連光寺六丁目の(仮)農業公園(予定地?)を見てきました。私は数回、足を運んでいるのですが、安心して車を止めておける場所もなく、歩いて行ったりもしますが、気軽に行ける場所とは言えないところ。もともと、この場所の一角にホタルが生息していること、ホタルの好む絶滅危惧種の生物が発見されたこと、生物多様性を守っていかなければならないという観点からも、東京都が「連光寺・若葉台里山保全地域」に指定をするという経過をたどり、その後、相続により売却されるかもしれなかった土地を税金で取得して、現在に至る。そして、「農的な活用をしていきましょう」→行政だけでやりきることのは不可能なので、市民と一緒にやりましょう‥‥「市民との協働で農業公園をつくっていきましょう」という流れに乗り、取り組みが進んでいる場所です。

「健康」「食」「いのち」とのつながりを考えていくことは大切で、農作業や農体験を通じて、自分たち自身の食卓をより意識的に捉えることができ、考え、行動していく市民が増えていくことは必要。それは、つまりは、地域の環境や地球の環境を守ることにも確実につながると思うからです。…決して「悪い話」ではありません。取り組んでいきたいし、取り組むべきこととも思います。何より、私は、私たちの「土」を守ることが必要不可欠だと思っているので。

ただ、やっぱり、「あれもこれも」で欲張りに市政運営をやっていけない時代。だからこそ、どんな公園を構想していくか、その後、維持していくためにどれだけの経費を必要としていくのか…もっと、市民的にも納得度を高めていかなければならないはず。すでに来年度から「農業公園」にしていくための公園の基本設計をしていきたいと予算の提案がされているのですが、個人的には、今のこの状況で、本当に基本設計、実施設計からの工事…開園…と進んでいくこと…このままGOサインを出してしまっていいのかと悩んでいます。

行政だけではやれないので、市民にも参加してもらう…ということですが、どの程度で市民に参加してもらい、農業公園の運営に参加してもらうこと、もらえることを想定しているのでしょう…?とか、懸念事項が解消されていません。その運営に対し、どのくらい税金を使っていけると考えているのかも。公園の維持管理、これからますます考えていかなければならない時期にきています。

また、農作業というのは、決して楽ではなく、夏場など、毎日毎日畑に行かないと大変!…と、実際に家庭菜園などをやっている友人に聞いても、「そのまま放置しておけないから」という声は聞こえてきます。市が想定している市民参加というのが、植え付け体験やら時々の草取りや、あとは収穫体験くらいのものならば、「ちょい参加」でできる人はいるのかもしれませんが、そこが「本格的に」となれば、また話は違ってくるはずなんです。

しかも、里山を保全していくことが前提になっており、そのための農業ともなると、まさか、除草剤などの散布は不可ですし、農業のために使える資材などもこだわっていくことが必要かもしれませんし、いろいろ検討をしていかなければならない事項もありそうです。よい状態で農地を保っていくために必要な作業ができるかどうか、そのための人材確保はどうなのか、無償ボランティアでアテにしてできるようなレベルの場所ではなく、本当に広大な土地面積。相当に覚悟がなければできないと思っています。

「農業公園にして、そこで生産した収穫物を市民の人に販売しながら、その収入も農業公園の維持管理経費などにしていって…」‥‥それは、理想的な話しかもしれませんが、そもそも、里山保全のための農業ですから、バシバシ利益を上げていけるような状態というのか、生産活動をすること自体に無理があるのでは?とも感じたり。

まだ、他にも何か、良い知恵はないのかと考えていかないと。検討するための時間、必要ではないのかなと感じています。少なくとも現状に照らし、私が理解できている範囲の中では、まだ時期尚早というか、ちょっと前のめりになりすぎている気がしてならないのです。

何しろ今、市民活動などなど含めて、「担い手不足」の時代でもあり、そのこと含めて、未来につながる仕組みをつくっていくことができるかどうかも問われるのかなと。

そんなモヤモヤ感が払拭できないままなので、今日は生活者ネットワークの元市議で里山保全活動にずっと関わっていらっしゃる向井さんに案内をしていただき、折戸さん、おにづかさん、中島さん、岩崎さんと私で、現地確認できたことはとても良かったと感じています。

ボランティアの皆さんで、整えてくださったようです。ありがたいことです。ここが今の状態で維持出来てきたことはなぜか。守ってきた水脈や水質などがあったはずです。そこを含めて、この環境を守っていくための人手とお金。

「地球環境を守るためにお金を投じていかなければならな時代」にあることをつくづく考えさせられたひとときでもありました…。私たちが失ってきたもの、手放してきたもの…その代償の大きさ。

 

そして今、私たち大人は子どもたちに何を残そうとしているのでしょうね。

今日は何の日。

やっと、「当たり」がでて、グラスをゲットしました!お花を飾るのにちょうど良さそうなグラスでして、いつか「当たり」が出てほしいと思っていたので、すごくうれしい。

さて、今日は議会運営委員会でした。来週から始まる3月定例会の日程などが確定しました。私の一般質問は本会議2日目に回ってくるかなと思いましたが、3日目の午前中になりそうです。何となく、週末をかけて準備をしようかなと思っています。議運の話題で、思わず…「それって、違うんじゃないかなー」と思ったのは、文書質問のこと。一般質問の発言当日にやむを得ない理由により欠席した場合に、それをいったん取り下げ、文書質問という形式に切り替えて、市長が準備していた答弁書を文書質問への回答に変えていく…というもの。確かに考えようによっては、そういうやり方もあるのかもしれませんが、「欠席は欠席」であって、欠席してしまった議員の救済措置としての文書質問の位置づけはなんかおかしい。

多摩市議会の議会基本条例では「文書質問による質問」ができることになっていますが、とりあえず、「閉会中に」ということだけは決まっていて、それ以外のことはまだ具体化されていない現状もあります。そこで、せっかくの文書質問を活用しよう…とのことなのかもしれませんが、それは「一般質問当日にやんごとなき理由にて欠席した議員」のために活用すべきものではないというのが私の考え方。そりゃ、休まない方がいいに決まっていますが、本人体調不良、育児や介護などなど、いろんな理由があって欠席せざるを得ない時もあるでしょう。確かに、質問の当日だったりすると、それまでに答弁調整なども行っていたりして、質問が日の目を見ない残念さがあったり、悔いが残ることもあると思いますが、でも、それはそれ。まあ、こんな考え方は古臭く、昭和とか言われるのかもしれませんが、それでも、育児や介護休暇制度が議員にも保障されていることを思うと、以前に比べて飛躍的な前進と私は捉えているので。

なんか、一般質問を文書質問に切り替えて、市長の答弁書を回答に変える。

一見、すごく良さそうに見えますが、だったら、議場でわざわざやりとりすることなく、極端な話し…「すべて、文書でのやり取りで足りる」なんてことになっても困りますし。文書質問というのは、やっぱり、それなりに、その役割があるように思っていて、どういう場合に文書質問ができるのかなど、私たち自身がもう少し議論を深めていく必要があるかなと感じています。

もう一つ、議会だよりの編集会議にも参加。よりよい紙面をめざすためにモニター制度などができないか?など検討をしているところですが、たま広報でもすでにやっているようにアンケートフォームを作成して、意見を集めることもできそう…「やれるかどうかも含めて、検討しなければならない」というのが議会事務局の担当者のご意見でしたが、十分に対応できそうですね。こうしたアンケートフォームを活用して、市民からの意見募集などもう少し気軽にできるといいなあと思いますが、「意見を募集している」ということを告知したり、周知するための術が次の課題かなー。

今日は2月22日。「222」で猫ちゃんの日を思い浮かべますが、もう一つ「BP祭ですね」‥‥と教えていただいて、そういえばと思い出しましたが、今日は「世界友情の日」です。ボーイスカウト創始者のパウエル氏の誕生日であることは知っておりましたが、何と、ガールスカウトの創始者のパウエル氏…つまり、ご夫妻揃って同じ誕生日だったことは今日初めて知りました。ご夫妻揃って「2月22日」というのも、何とも。「ふふふ」ですね。まったく。

「おたがいさま」のある社会に。

また、冬に戻りました。今日も私は午前中から、一般質問前の答弁調整がありました。今回は施政方針について質問するので、調整も何もないかなーという感じがしております。市長は市政運営にどう向き合っているのかを一番聞きたい。

それにしても、この寒さ。いろんなところでご縁をいただいている皆さんと、時々、連絡を取り合ったりしていますが、一人で暮らす高齢者の方の安否については気になるものです。

歳を重ねると、どんなにかお達者な方であっても、やっぱり、若い時とは異なるものですね。動作はどうしてもスローになっていきますし。それでも、外出したい、しようとする意識をお持ちで、出かけた先で転倒してしまうとか、そんなこともあるみたい。それでも、「他人様にお世話になるのは申し訳ない。」とおっしゃり、自分で何とかしなければ‥‥と踏ん張っている方も多いような印象もありますが、「困ったときはお互い様」という言葉は何のためにあるのでしょう…とか言いながら、お手伝いをさせてください…という気持ちになるのは、父を他所に任せているからなのかもしれません。認知症が進行している父とは離れて暮らし、他に介護をお願いしている分、ここで私ができる高齢者のみなさんへのお手伝いができるといいなあという気持ちでボランティア。

お子さんがいらしても、市内や近隣に住んでいるわけではなかったり、現役で仕事をしていると、平日日中昼間はなかなか対応できないことも多いですね。私自身が時々ですが、お手伝いをすることで、気持ちが救われている部分もあるだけの話しですが、「介護予防」という言葉を頭の片隅に、お節介になりすぎずでの手伝い。

これから、後期高齢者がもっと増えていくので、地域でどう支えていけるのかは課題。しかし、訪問介護報酬が下がるとか…そうなると、そのしわ寄せは…どこに?住み慣れた地域で、在宅で。理想と現実と、そして、実際問題として、社会保障費全体のやりくりと。お金の使い方、それを考えるところの議論…どう行われてきたのか、行われているのか、ちゃんとフォローしておかないといけないですね。結局、問われるのは、最終的には「私たち一人一人がどうしてほしいか?」なのです。

それとは別にして、「おたがいさま」で助け合えるというか、譲り合えるというか、そんな社会全体の空気感、欲しいですね(取り戻したい?)。

備忘録で。

今、ホームページのサーバーお引っ越し作業をやっています…と言っても、人にお願いをして、やっていただいているのです。こうした作業も協力してくださる人あってこそできるわけで、ありがたい話です。そんなわけで、少々ブログの更新も遅れているのですが、いろいろ書きたいことというか、自分が忘れないようにするためにメモしておきたいこともたくさんあるのですが、今日は晴れていたのに、ひな人形を出せないまま終わってしまい、明日からお天気が悪くなるなあと思案中…出さずに終わってしまいそうな。

久しぶりにリバティに行き、ちょっとご無沙汰していて、久しぶりに出会った子どもたちが成長していて、本当にうれしい。中学生になると、ぐんと背が伸びたりして、立派になっていくなあと。モリモリご飯を食べている様子も頼もしいですね。食事メニューはハヤシライスだったのですが、いつもはリバティに来所して、ご飯を食べているのに、体調不良でお休みし、テイクアウト用に準備するお弁当箱の蓋にも「お大事に!」の一言。お休みになった子どもたちのことを想像すると、うれしいだろうなあと…それだけでほっこりします。そして、食べ盛りの中学生がプールに行くというので「ご飯山盛り」になっていました(ルーは別に)。

子どもたちができるだけ、居たいように居れるように。ありたいように、そこで「在る」ことができるように。

来所を検討している子どもたち、すべてにフィットしているかと言えば、もちろん、そういうわけではなく、合う合わないはあるのは当然のこと。もちろん、リバティでの子どもたちの過ごし方についても理解を示していただけるかどうか…保護者の方のお考えもあると思っています。でも、来所している子どもたちやその家族にとって、「この場所があってよかった」と思えるようにしていくだけ。財政運営的には決して楽ではなく、来年度末で日本財団から受けてきた助成も期限が終わってしまうのです。存続についても、考えていかなければならない時期でもあります。

子どもたちの姿を見ていると「何が正解なのか」について、本当に考えさせられます。学校になかなか足が向かない…その理由はどこにあるのか。諏訪小学校の学校公開に少しだけ足を運んできたのですが、どの子どもたちにも等しく未来があること、そしてまた、大人になっていくために一斉に同じ道を歩いていくことはあり得ないしな…とか…授業を受けている子どもたちの様子を見ながら、取り留めもなくいろいろなことを考えさせられました。

また、大妻女子大学で「保育領域に心理職は必要?」という興味深いタイトルのシンポジウムがあり、こじんまりと開催されていたものに参加してきました。公立小中学校に学校に馴染めない、発達障害のある子どもたちは1クラスに3名ほどいるとの調査結果もありますが、つまりは、小中学校に…ではなく、保育園や幼稚園にも同じ割合で対応が必要な子どもたちが存在するということですね。まだ就学前の場合、子どもの年齢が低ければ低いほどに「子どもらしいだけ」という言葉で片づけられてしまうことも多かったりで、見過ごされてしまうことも少なくありません。また、園などでは「もしかすると、少し、手厚い対応がいるかな」と感じていても、保護者がその状況などを受け止めるのか…も場合によっては課題に。もしかすると理想は、すべての保育園や幼稚園に心理職を一名ずつ配置して…になるのかもしれませんが、そんなに予算は潤沢にあるわけではなく、難しいですね。多摩市の場合には、市内にある島田療育センターなどと連携しながら、保育園や幼稚園への巡回相談など実施していますが、実態としては足りていないのかもしれないなと思ってみたり。現場での実際を知る必要がありそうです。

今日は午前中から、午後からと…一般質問の内容について答弁調整というものをしたのですが、「忖度しなくていいですよ。」って何度言ったことか…(笑)。別にそんなに捻って質問するつもりのないので。きなこねじりは、やっぱり、この「ひと捻り」があるのとないのとでは違う気がします。捻ってあるところに他よりもちょっぴり分厚く溜まってる砂糖がいい。今日って「アレルギーの日」なんですね。初めて知りました。

レターパック裁判。


多摩市議会の第1回定例会は2月27日火曜日に開会します。昨日は提出予定議案の説明会で、今日は正午に代表質問、一般質問の事前通告の締め切り…ということで、一人会派の場合には代表質問はできないので、一般質問で市長の施政方針について尋ねることにして、結構なボリュームになってしまいました。とりあえず、質問を出せたのでひと段落。

 

昨日は「レターパック裁判 勇者の証」(予告編の動画  Youtubeに一度はバンされたようです)の上映会があったので、観てきました。映画の内容についてはもちろんのこと、考えさせられましたが、なかなか感想を書き留めることも難しい。

 

とは言え、今、一人ひとりが本当に問われていると感じています。自分の置かれている社会の状況をどう捉えていくか、そしてまた、考えていくか‥‥。具体的に何か行動に起こすことは難しいかもしれませんし、声を発することまでには至らない場合もあると思いますが、でも、「おかしい」と思ったことを「おかしい」と言えないのが世の中の空気感だとすると、そこが、おかしい。この映画に対しては、賛否両論あると思っていますが、でも、一度は見てみること、そして考えてみることは大切かなと。新型コロナウイルス関連で私が気にしているのは、やっぱりワクチンのこと。

 

 

「コロナワクチンその不都合な真実」…これ、おすすめです。多摩市の図書館にもあります(よかった)。

ひと昔前には「生活は政治」という言葉が盛んに言われていたようにも思いますが、最近はあまり耳にしなくなり、そしてまた、くらしと政治とのつながりがますます意識されなくなっているのかもしれないという危機感すらあります。「政治の話しって、ホント、しないよね。」‥‥。政治に対する意見を口にすることすら憚られるというのか、触れてはいけない話題というのか、「遠い存在」になっている状況、これを変えていかなければならないのですが。

 

今日は午後から、友人たちとひたすらおしゃべり。話題の中心は「食」と「美容」と「健康」と。自分の心がけで身体の組成が変わっていくので。いろいろ情報を聞いていたので、早速また実践してみるつもり…。

 

地方自治と子ども施策シンポジウム@小金井市

今年で20回目を重ねるという「地方自治と子ども施策シンポジウム」に足を運んできました。兵庫県川西市で開催された第1回目には参加した記憶がありますがそれ以降は、ご無沙汰していたのですが、久しぶりに出席して思ったのは、多摩市が子育て施策先進市として注目されているなら、こうしたシンポジウムの開催地になれるんだろうなあ…ってことかもしれません。

多摩市にも「多摩市子ども・若者の権利を保障し支援と活躍を推進する条例」が制定されていて、子ども参加の取組みも皆無というわけではありませんが、全国から一目置かれるような状態にまではなってはいない。個人的に多摩市の子育て環境は決して悪くはないとも思っていますし、自治基本条例もあって、子どもたちの声を聴くような取組みも実施されていたり、何しろ、児童館もたくさんあって、かなり健闘していると思いますが、先進的でキラリと光る事例として研究者の方々の目に留まるまではなってはいない。いつか、こうしたシンポジウムが多摩市でも開催されるとうれしい!…もちろん引っ張ってくるための宣伝やら、人的つながり、ネットワークも必要で、そこの開拓には職員さんの熱意もあるのかも…いつか、多摩市でもできるといいなあと思いながら、事例発表など勉強してきました。

個人的には「権利救済」の視点を持った施策展開を進めてほしいとも考えていて、多摩市にも公的な第三者機関としてヨーロッパなどでも広がっている「子どもコミッショナー」「子どもオンブズパーソン」を配置できると良いなとも思っていますが、既に、多摩市にもある総合オンブズマン制度を活用する視点も含めて要検討と考えています。先行事例としては、近隣で、国立市のオンブズマン制度には「一般オンブズマン」と「子どもの人権オンブズマン」という区別があり、運用されているようですが、ただし、これは苦肉の策みたいなところもあるやに聞いています。本当は「子どもオンブズパーソン」はそれ単体で設置した方が望ましいという意見もありつつ、まあ、楽ではない財政事情により今のカタチで落ち着いている側面もありそう。なにしろ、様々な声を受け止める側も「子どもの権利」を正しく理解して対応していく必要があり、意外と神経も使いますし、それなりの見識というか、子どもと直接向き合うレッスンというのか、スキルも求められ、簡単ではない様子。

ところで、オンブズマンに持ち込まれた様々な問題については、何よりも、その事務局を担う職員の意識やその姿勢、構えも重要だと言われます。事務局職員に求められる「第三者性」をしっかり貫けるかどうか‥‥(市の職員が従事することになるので、場合によってはすごく大変になることも)。「第三者」であったはずが、「実はそうではないの?」と感じるような対応になってしまうことも(念のため。多摩市の事例ではないです)。

いずれにせよ、今の多摩市の総合オンブズマン制度の体制をそのままに「子どもオンブズパーソン」の機能まで盛り込もうとすると、結構無理あるかもな…と思っています。欲張りにはなれない。また、子どもオンブズパーソンの仕事というのは、クライアントが子どもであることや、学校などにも関係してくる問題も多いので、それこそ下調べをする職員さんをはじめ、スタッフが子どもの「守秘義務」をもとに動いていかねばならず、そこに対する配慮や慎重さも必要です。今すぐに、「多摩市でも必要だから、じゃあ、設置する」という風にはならないと思っていますし、そうすべきでもないと思いますが、今後の検討事項の一つとしていくことかなと私は考えています。

来年度、多摩市教育委員会ではスクールロイヤーをするようですが、まあ、相談窓口というのが多様に存在することやら、アドバイザーが複数配置されるようなことを否定はしませんし、選択肢が増えるという意味では望ましいと思う一方で、結局、縦割り行政の枠組みのなかでしか動けない非効率でスクールロイヤーの活躍が幅慣れることがないことを願うものです。何よりもスクールロイヤーは「子どもの利益のために動いていくアドバイザー」であって、学校のの味方をする立場ではないことを認識し、機能発揮してもらいたいですね。

ということで、「子どもの最善の利益」を大切にして、子どもたちの育つ環境づくりをさらに磨いていきたいものです。

多摩市 子どもみらい会議-2023年度

今年は、諏訪中学校で「多摩市子どもみらい会議」が開催されました。多摩市教育委員会が全小中学校をユネスコスクールとし、ESDに取り組んできたのはいつの頃だったかな…と思い出せないくらい昔のことですが、「多摩市子どもみらい会議」が始まったのは平成27年度のことですから、こちらもまた短くはない時間かけ、取組みを重ねてきたとも言えます。

しかし、どうも…大人がぐるっと取り囲んで、各小中学校代表の子どもたちの発表を参観するというスタイルで…私にはとても違和感があるのです。もちろん、子どもたちは毎年入れ替わり、先生たちも入れ替わっていくので…取組みを次へとつなげていくために、こうしたシンボル的な場を設け、各小中学校での動機づけにしていく意味はあるかもしれませんね。

以前とは異なり、行政もきちんと関わっていくという意味では、多摩市役所の各部署からもズラリと一同が集まり、子どもたちのミーティングに立ち合い、助言などをしている風景は昔と比べればバージョンアップしたかもしれません。

「2050年の大人づくり」とか「持続可能」をキーワードとしながら、取り組んでいるESDですが、その成果がきっといつかの未来に結びついていくことを期待しながら、私もこの取り組みを見守ってきた一人です。様々な考え方と価値観があり、違いを確認し合い、そして「違いを力」にしていくことがとても大切なんですが、子どもたちがその経験を通し、学んだり、考えたり、相互作用で深めていく作業を進めていくことが何よりも必要不可欠なんだと考えています。疑問を持つこと、そして、その回答を見つけること考えること…私はずっと考え続けていくことと、それとともに行動していくことが大事で、自分自身も常に「自分のダメさ加減」と向き合いながら、心がけていることでもあります。

やっぱり…「子どもたちにそのことを教育する側というか伝えている側の大人たちはどうなんでしょう?」

ってことかもしれませんね。ところで市長が挨拶のところで、子どもたちの直接話しかけながら、「これから、どうしたらいいと思う?」などと一人ひとりに意見を求め、すべての子どもたちが自分なりの答えを述べていたわけですが…。

「それで、市長は、そうやって子どもたちの意見を聴いてどうするの?」

素朴にそう思いました。途中で割り込みで挨拶をした結果、後から予定されていたスケジュールがかなり押せ押せになってしまったので、参加していた議員たちは「わ、市長、空気読まないと時間が…」と一様に気にしていたわけですが、まあ、市長が子どもたちの直接、聞きまわるという行動そのものは、面白いというか、「市長から直接話しかけられた!」という子どもたちの良き思い出には残るかもしれませんね。ただ、そんなこと以上に私は「わざわざ子どもたちに意見を聴きまわったその先」の方が気になります。

「多摩市はみどりがとても豊かだけれど、暗いところがあって、街灯がないと怖い。」

という子どもの声…。「まさに。」ですよね。手入れができていないみどりは私たちの生活に支障をもたらしている場合も少なくありません。今はボサボサになっているところも多いですから、「街灯が隠れてしまっていて」と子どもたちが「もう少し、何とかしてほしい」という声、その通りだと思うわけです。

「豊かなみどりはいいけれど、暮らしとの調和が大切」

今に始まったことではなく、以前からずっと問題指摘されていることですが、結局は「お金の使い方」に阻まれている現実があることに問題を感じます。市長は子どもたちの声をどう受け止めたのでしょう。せっかく、子どもたちから良き提案があっても、「聞き置くだけになっていないか」…これこそ「多摩市子ども未来会議」の課題の一つになっているやもしれません。ふと、そう感じたのは私だけでしょうか。「結局、大人は聴いてくれない」になっていませんように。

 

緑を保全していく
清潔で安心して住める
健幸で安全、
地域に根差した取組みを行う

→それが住みやすい多摩市

 

今回集まってミーテイングをした子どもたちからのメッセージです。