久しぶりに「多摩市議会報告会」リアル開催します。

地域のみなさんがお世話をしている花壇も…ますます華やかになって、花盛りの時期を迎えています。気持ちも軽くなるような気がします。昨日とは打って変わっての良いお天気に恵まれた一日でした。

数年ぶりにピアノの調律をしました。なんとまあ…狂った音で弾いていたかと思うわけですが、さすがに「これは、弾いていて気持ちが悪くなる。耳障りな音になっている。」と思ったので、調律を…私の耳でも聞き分けられるので、つまりはそのくらい酷い状態になっていたというわけです。中古のオルガンを買ってもらってピアノのお稽古をはじめて、その2年後くらいにピアノを買ってもらった時にどんなにうれしかったことか。黒光りをしてピカピカのピアノでなおかつグランドピアノに一番近いグレードの製品を買ってもらったのですが、今、これを売却するとなれば二束三文の世界です。「まだまだ、大事に使えば、長持ちもするし、いい音が出ている」と言われているので、本当はこまめに調律をしたほうがいいに決まっています。

 

さて、明後日土曜日、3年ぶりに多摩市議会の議会報告会をやります。一応、Youtubeで配信するなど、コロナ禍でも何もしていなかったわけではありませんが、久しぶりの報告会なので多くの方に参加してもらえるとありがたいですね。先週末、ココリア多摩センター前の広場でもチラシ配りをしたのですが、「私は多摩市民ではないので」とか「市外なので」とおっしゃる方が意外と多く、人の動きを何となく垣間見た気もしました。

明後日は多摩市立中央図書館のセミナールームでの開催なので、たまたま図書館に居合わせて…という方にも覗いていただけるかと期待しています。ちなみに、便宜的にはスタッフというのか、担当議員を決めているのですが、どうしてもの都合が悪い場合はのぞいて、ほぼ全議員が揃って、出席すると思います。市民のみなさんに参加していただいてこその議会報告会なのですが、いろいろな催しなどがある中で市民の方に「選んでもらえる催し」にしていくためにはまだまだ知名度も足りていないのは事実。手応えを得ていくのが大変というのか、難しさを感じつつですが、「市議会」の存在はもちろんのこと、「市議会議員」を身近に感じてもらうことを通じ、市政運営だけでなく、「政治」に対するアレルギーを減らしていけるといいな。

ぜひ、ちょっとのお時間あれば、出入り自由ですのでいらしてくださいね!お待ちしています。

 

四国へ行ってきました。

かつて民主党に所属していた時からのつながりで参加をしている勉強会があり、毎年4回ほど研修やら視察やらをしているので、いつもは東京で開催されている研修会で日程が合えば出席しているのですが、今回は思い切って「視察」の企画に合流しました。

行き先は四国で徳島県神山町と香川県の高松市。なかなか行くことができない神山町ですが、特に私は「神山まるごと高専」に関心があり、ぜひ行ってみたいと。ここはプライベートで行くとなると、何といっても視察費が…基本料金にさらに参加人数に合わせての料金設定があって、結構、お高いのです。とても注目されている学校なので、直接お話を伺えればと思っていたので、絶好のチャンスと足を運びました。未来に向けてどんな人材づくりをしていく必要があるのか、そのために小中学校ではどんな学びを展開することができるのかとか、考えるヒントをいただいた気がします。

また、神山町の地方創生の取組みも合わせてヒアリングもしてきましたが、いわゆる「田舎にあるもの、都会にないもの」「都会にあるもの、田舎にないもの」について考えさせられ、「ないことが吉」というのか、「ないことを嘆かない」というのか、島根県の海士町が「ないものはない」というスローガンで町民と共に奮起しているのと同様のマインドを感じさせられるものでした。高齢化率は50%を超えている地域とは思えない奮闘ぶりを感ずるというのか、移住希望者も多く、空き家の待機者数も百人単位とか。空き家があっても、貸出するまでには至っていないところなどもあるようですが、驚きの数。かつていち早く、町全体に光ファイバーを敷設したことが話題となり、「神山まるごと高専」の創設者も「日本一のシリコンバレーをつくる」との意気込みで街の活性化に協力されたとも伺いました。

外からの人材とよい関係性を構築しながら、まちの未来を創造している様子が可視化され、ある程度町民にも共有できるわけなので、そこは多摩市とは全く違いますね。人口は4500人くらい。もちろん今後も人口減少、高齢化は避けて通れない課題として直視しています。

こうした視察に参加し、他市の自治体議員の皆さんと交流できることもまた視野も広がり、勉強になります。各地域の政治状況の違いなども聞くことができるので、その他諸々情報交換がとても楽しかったりします。

香川県高松市では「スマートシティ」の取組みについてヒアリング。さすが県庁所在地で多摩市とは全く規模が異なるのですが、「デジタル推進」という意味では旗振りをしている総務省のもとに置かれている自治体の立場としては相通じる点も多かった気がします。「IT化」と「DX化」は全く異なる概念であって、今求められているのは「DX化」なのですが、これを進めるためには発想の転換というか、何よりも行政事務に関わる職員の意識改革が求められるのですが、そこをフォローするための人材確保の必要性を含め、「そんなにたやすくは進まない」という自分の認識が当たらずとも遠からずだなと確信できたのは良かったです。

防災分野ではデジタル化を進めているようで、そこは多摩市でも「取り組みやすさ」があり、進んでいる分野でもあって、それが仕事の在り方を根本的なところから改革改善できているかは改めて検証が必要な気がします。

例えば、多摩市でも「マイシティレポート」を導入していて、道路などの困ったを投稿できるようなシステムを取り入れています(アプリを使用するので、その使用料金の予算を取っているだけ…とも言えます)が、市民から苦情を寄せやすくなったのかもしれませんが、職員の立場で言えば、それによる業務改善につながったかどうか…が問われるとき、ここに、しっかり評価の視点を入れていくことは求められるでしょうね。寄せられた苦情の対応、処理の仕方が変わってこそのDX化だと思う時、さて、さて…どうなのでしょう…。

高松市でもそのことを伺ってみましたが、「業務改善にまではつながっていると断言できない」というようなお答えでしたが…。他市の議員の皆さんからの質疑などもあり、その視点にも多く学べるのがこうした研修の利点だと思いますが、自治体議員とは言え、政令市や都道府県レベルのみなさんとなれば、やはり「地元自治体との連携」がとても気になるようでした(ここもまたすごい難しい感じ)。

以前にも高松市にヒアリングに行ったことがあるなと思い出しましたが、かれこれ20年前に「子育てタクシー」のことで。そのころとは駅前の様子も様変わり。一か月前にオープンした立派な駅ビル…圧倒されましたが、入居している店舗は「変わらずだなあ」という印象。多摩市のショッピング街でも目にする「あれらの店舗」…なので。「この土地ならでは」を探すのが難しい時代になっているような気がするのは気のせいか。

これから、視察報告書などを書くために自分なりの振り返りをしてみます。調査活動の結果はどのように多摩市の政策づくりなどにとって活かされるものであったか纏めなければ。

今日は朝からランチハーモニーのお手伝いでお弁当づくりを。とても雨が降って、冷たい一日だったように思います。夜からも会議があったのでその間に、ちょこっと用事を済ませてから、美容院にも行ってきました。ようやっと。明日はとても暑くなりそうだと天気予報。留守の間に届いていたので市議会レポートのポスティングも始めます。

平和紙芝居の体験。

議会だより編集会議で取材をしたこともある恵泉女学園大学の平和紙芝居研究会「KPKA」の顧問をされている多摩市教育委員の岩佐玲子先生と代表の学生さんがいらしてくださいました。編集会議のメンバーでもある本間議員がとても熱心で、ご縁をつないでくださり、次号の議会だよりでも「KPKA」のみなさんの活動紹介の記事も掲載する予定なのですが、「せっかくなので私たちも体験を…」というお声掛けがあり、今日につながったのです。たまたま、次号の編集会議に加わっていたのがラッキーだったとも思います。ちょうど、今日は次号発行に向けての最終確認の打ち合わせで、編集会議への参加は白田議員にバトンタッチ。ですので、今日は白田議員も一緒に編集会議にも参加しましたので、これまでの経過など熟知はされていない白田さんも突然の紙芝居参加。

紙芝居あるいは絵本の読み聞かせについても、男性の読み手に出会う機会は少なく、その意味でも私にとってはとても新鮮で、議会だより編集長の小林議員の語りもとてもよかった。

戦争のことを語るのはとても難しい。当事者の心情を想像するのがおこがましいというのか、想像しきれないと思えば程に、口を開くのが重たくなるというのか。「戦争は反対」という気持ちだけは揺るがなくとも、それが根ざしている自分自身の経験が薄っぺらいことも実感しているのですが。

今日改めて感じたことは「声に出す」ことの大切さ。自分の発する言葉にはやっぱり魂が宿っていくように感じたので。「言霊」とも言うのかもしれませんが、平和を願う気持ち、戦争をしないでほしいという気持ち、「殺さないで」という気持ちも含めて、ちゃんと自分の言葉を持ち、人に伝えることの必要性を体感したというか、その手ごたえみたいなものを掴めたような気がします。

岩佐先生も平和紙芝居に取り組むために「自分なりに学んだ」とおっしゃっていたのですが、私も平和を伝える…戦争反対という気持ちを伝えるためにも自分なりの学びを重ねていく必要があることもまた、同時に気が付いたこと。とてもよい時間をいただきました。ありがとうございました。

 

★KPKAのみなさんの活動などはこちらから!

ほりたての!

大きくて重たい。たけのこは皮向きが楽しいのですが、そこに時間はかけてはいられませんが。ここのところ連日、懐かしい人や友達やらに会ったりして近況報告をしていますが、数年ぶりに会うと、やっぱり互いの状況は変わっていたりしますね。自分だけ、全く変わらない日々を送っているような気がしますが、変わっているというのは年齢、子どもの大きさかもしれません。

ところで、新型コロナワクチンの接種後に家族が亡くなった遺族のみなさん、健康被害に苦しんでおられる皆さんが国に賠償を求める訴えを起こしました。しかし、国のワクチン推進の広報活動が、副反応や死亡例を適切に報告せず、リスクに関する情報提供も不十分であったことが理由です。裁判所がどのように判断を下していくのか、もちろんその過程もフォローしていきたいと思っていますが、国に連なり、都道府県レベル、市町村レベルにまで関わってくる問題にもなってくるようにも思っています。新型コロナワクチンの接種が原因と思われる(断定しない)死亡、健康被害などに国が対応している事例は、他のワクチンに比べても比較にならないほど多すぎる。健康被害の救済制度にたどり着けていない事例はその裏にはまだまだたくさんあるのではないかと私は思っていますが。

今、3月末で「無料接種」も終わりましたが、それに伴って、「予防接種健康被害救済制度」における位置づけというのか、取扱いも変わってきます。こうしたことも、新型コロナワクチン接種のことを調べ始めて、初めて分かったことなのですが、知識を得ておくこと、そして正しく情報を得ておくことがどれほど重要であるのか。そしてまた、正しい情報を得られるような環境をつくっておくことが大切で、その環境をつくるがわの姿勢こそが何よりも問われていくのだと感じています。

新型コロナの感染症で社会全体が停滞するというのか、動きが止まっていたときの記憶もどんどん過去になっていきますが、「新しい生活様式」とか、阿部市長もまた「ニューノーマル」という言葉を使って政策を語っていたことを思い出します。今、どれほどの人が「新しい生活様式」とか「ニューノーマル」とか…そして、今を「ポストコロナ」として意識しているのでしょうね。なんか、私にはとてもピンと来なくて、一番の実感はやはり人間は社会的動物であるということかもしれない。そしてまた、やっぱり、「リアル」は大事ということですね。会議をするとか、相談をするとか…「直接」の必要性を痛感するということです。

今はいろんなことがある程度、インターネットなどでわかる時代にもなっていますが、それは「わかって気になっている」場合もとても多いことを意識しておきたいですね。「百聞は一見に如かず」…まさに、これかなと。そんなわけで、今週末から、時々参加している勉強会のメンバー企画の視察に行くことにしました。コロナ禍で方々に足を運んで調査活動をすることへのハードルも随分高くなってしまったので(受け入れてもらえないことも多く)、何となく、自分の活動もすごく狭い範囲になっているかもなあとしみじみと。

その前に、まだやることもあるのですけどね…。書き物の宿題を終わらせておかないといけない。

ほりたて!

自宅の敷地内に竹やぶがあるのがうらやましいなあ…。ほりたてのたけのこです。たけのこ掘りは簡単そうで難しいので、久しくやってない。でも、こうして毎年、お裾分けが届くので本当にありがたく旬を楽しんでおります。米ぬかの代わりに、玄米を入れて茹でるとバッチリとのこと。そうしてみたいと思います。

今日は、しらた議員と市民の方からヒアリングをさせてもらって、「いざという時の備えとは…」について、意見交換をしたのですが、災害時を想定すると言っても、想像しきれないことの方が多いことを前提にしておくことが必要なんだろうと感じています。被災地へも足を運んだりして、状況をリアルに捉えていくことも重要なんだと思いますが、災害直後のこととともに、それ以降に長く時間がかかり、必要とされる支援の方が気になっています。「継続していくこと」は本当に大変なことなので。

「共同親権」のことが話題になっていますが、きちんと話し合いをして「共同親権にする」ことが選択できるようにならなければ、子どもたちが被害を被るに違いありません。SNSなどの情報や家庭裁判所などで離婚など家族の問題に関わっておられる弁護士さんたちからの話しを聞けば聞くほどに、「共同親権」にすることが世界のスタンダードとして押し切ることへの疑問が募ります。「子ども」を真ん中にした最善策になっていくのかどうか。

高齢者が多くなり、今まではそれほど聞いてこなかったトラブルなどが耳にも入るようになっていて、考えさせられることも多いです。市議会でも健康福祉常任委員会が「認知症」について調査を進めているようですが、遠方にいる父の状態を考えてみても、いつなんどき、何があるかがわからないというか、本人には「直近の記憶」がないので、「自分自身がしたこと」すらうまく説明できないのです。自分自身の行動やら行為すら覚えていないので。それでも、時々、携帯電話の使い方を思い出せるのか、電話がかけてくれるので、なるべく出るようにはしているのですが、こちらから電話をかけてみても、出られないことの方が多いという状態になっている気がします。声を聴く限りは元気そうで、ホッとはするものの、私にとっても「介護問題」は他人事ではなく、介護にかかる費用の問題を含めても、降りかかってくるのかもしれないと先行きを考えると、不安の方が大きいです。こうした思いを共有できる市民の方は少なくないと思っています。所得の格差がどんどん広がっていることも実感しています。日本の富裕層が増えているそうですが、自分とは別世界ですし、目に入るというか見ている範囲で言えば、全然そんな実感もなければ、むしろ、年金で暮らしている方々のお話しを伺っていると、「1円でも安く買いたい」という心がけを持っている方の方が多い気がするんです。

今日から衆議院選挙の補欠選挙が始まっていて「まっとうな政治」というスローガンが目に留まっていますが、本当にそうしてもらいたい、そうしていくためにできることをしなければいけないという気持ちになりますね。私はやっぱり「正直にやっていく」ことが一番大切なことだと感じています。それは、多摩市政についても同じことを感じているので。市民に対する情報公開の在り方、され方など含めて、まだまだもっと考えていかなければいけないところが多いと思います。

 

八つ橋とコラボの「あいすまんじゅう」。やっぱり、プレーンというか、いつもの「あいすまんじゅう」のほうがいいですね。試してみる価値はあるかもしれませんが、「みるく」の味が一番おいしい。

レイチェルカーソンの命日で。

ちょっと思うことところがあって、レイチェルカーソンの本を購入。高校生の時に図書館で借りたことがある「沈黙の春」でしたが、難しいな…と思った記憶のほうが強く、再読するのは楽しみですね。「センス・オブ・ワンダー」も手にとってはみたことがあっても、買うまでには至らなかったのですが、たまたま昨日がレイチェルカーソンの命日だったこともあり、もう一度、環境問題のことや自分の環境に対する意識を整理するためにも読んでみたいと思っています。

今日は5月5日発行予定の議会だよりの編集会議があり、出席しました。市民が「読みたくなる」紙面づくりの工夫が積み重ねられているのですが、実際のところはどのくらいの方目を通していただいているのかなと。紙面モニターのような制度等、市民が議会に参加する一つのチャンネルを増やすことも今後の検討課題です。それによって、市民にとってよりよい「議会だより」になれば、願ったりかなったり。全部、市民の皆さんの税金で行われていること…ここをきちんと意識して取り組むことが大切ですね。

自分の市議会レポートもようやく入稿にたどり着きました。配布するのは今月下旬から、連休中かな。

さくらのある風景。

さくら咲く景色はには、特に自分の「心象」を重ね合わせることができるように思っていますが、多摩センター駅や聖蹟桜ヶ丘駅の周辺の華美で派手さに比べれば、落ち着いているともいえるかしら?… 私にとっては、諏訪下橋から桜ヶ丘方面に歩いていく乞田川沿いが子どもの頃から親しんだ散歩道であって、この風景が定点的にもとても気に入っているのです。混みあわないので、人々の動きがのんびりしている印象もあるからかもしれません。

先週末のさくらまつりで、脳裏に焼き付いてたのが、アニメに登場するキャラクターというのか、アイドルたちを取り囲むファンのみなさまの姿でして、初めて知りましたが「シャニアニ」。「アイドルマスターシャイニーカラーズ」。どうやら、その舞台が聖蹟桜ヶ丘なので、聖地ということですね。その人気ぶり、こういうのが推し活?とか思ったりしましたが…ファンが来てくれるんだなあとうれしくなり、遠巻きに眺めてしまいました。

そして、無料配信されている第1話だけ視聴してみたのですが、見慣れた景色が出てくるので、それを見る楽しみがあるにはあるのです。しかし、きっらきらの登場人物たちが眩しすぎて、昭和時代に親しむ私にはすぐには馴染めず。どうも、最近の傾向ですが、アイドルグループとか、一人ひとり見分けがつかないのと同じように、こうしたアニメにも年々同様の感覚が…。

高齢者の方、体調を崩されていると聞いて心配です。寒暖差もあるからかとも思いますが、いい季節になったので、近所のお散歩を楽しめる時期になっているのになあとか。外に出て、人に出会うことがめんどくさくなってしまった…ということを聞いたりもするとますますですね。一人暮らしの高齢者の方々が増えていくことが避けられないので、そうした皆さんへのフォローも気になります。

多摩聖蹟記念館と建築家・蔵田周忠

2月末から開催されている聖蹟記念館での企画展。先月も足を運んだのですが、やっぱり、桜のある季節にも…ということで足を運んでみました。先月、たまたま伺った際、喫茶コーナーの方とお話しをしたり、喫茶コーナーの常連のお客さんともおしゃべりをして、「もっと、いろんな方に来ていただくといいのになあ」と思いました。こじんまりとした企画…スペース的にもと言いますか、そんなにたくさんの展示物があるというわけではないのですが、モダンで洒落た建物を設計した蔵田氏の横顔が垣間見ることもできて、おススメです。

こうした企画展には監修者がいらっしゃり、教育委員会側と協議を重ねて、開催までこぎつけたようでして、その苦労はなかなかを慮るしかないのですが、もう少しポスターなどの色合いが目立つものであると良かったかなと…個人的にはそう思っております。淡い色合いで景色に溶け込んでしまうので、ちょっと目を引く感じではなくて残念なのですが、都立桜ヶ丘公園を楽しむついでに記念館まで足を延ばしてくださる人が多いといいなと。

最近、街中で目につくのは…というのか、自分が気にしているのは「傷み具合」ですね。聖蹟記念館のところにも「遠目に見て何だろう…」と思いましたけれど、「手を触れたり、寄りかかったりしな(いでください←だと思うが)」て貼り紙。

 

危険なものであるなら、撤去することが望ましいと思うのですが‥‥。ここだけじゃないということかもしれませんし、撤去するために必要な費用よりも先に優先しなければならない取り組み、対応があるということなのかもしれませんが、しかし、この貼り紙もいつからのものかわかりませんが、とにかく、危険可能性が高いんでしょうね…きっと。

つい、今回、特別職(市長、副市長二人、教育長と議員)の期末手当が増額されたとして、それに必要な費用(税金)は1千万を超えていたなあと思うと、やっぱりその金額は大きい。ま、議員については現状維持になったので、市長と副市長二人と教育長分で年間では1,846,044円の増額で済んだとも言えますが、市民からの貴重な税金だと思うと、ホントに何に使うべきなんだろう…と考えさせられるものです。そして、今年度の予算は議員分も期末手当が増額することで予算化されていたので、現状維持になったということは「予定されていた分が不要になった」わけで…さて、お金には色がついていないので、何にかに融通されていくのでしょうね。

「俯瞰してみて」

今日は3か月以上ぶりにピアノのレッスンに行ってきたのですが、都合がなかなかつかないことを理由にして、サボりすぎていたので…それだけでやっぱり、指やら腕やらの筋肉が退化していることを実感せずにはいられないのです。毎日10分でもいいので、鍵盤に触るほうがいいと痛感したので、なるべくどんなに忙しくても「10分」を心がけてみたいと思った次第です。さて、いつまで続くか…ですが。

ことほどさように…と言いますか、やはり「継続は力」であって、どんな小さなことであっても自分にとって大切にしたいこと(ちっちゃな習慣とかでもいいはずで)を日々積み重ねることは必要ですね。

久しぶりにお会いした市民の方から、多方面に渡りお話を伺うこともでき、「子ども食堂というのがよくわからない。」と言われましたが、私も「子ども食堂」が「すばらしい取組み」のように語られることにはちょっとした違和感があり、貧困対策的にどうしてもやらざるを得ないような現状があることへの解決を急ぐことの方が優先ではないかと思うのです。「ちゃんと家でご飯を食べることができる」が重要なことであって、何らかの事情があり、それが果たせなくなっているとすれば、そこにこそ問題があるというか。

もったいない・・・ということでフードロスをなくすための活動ももちろん良い活動だと思いますが、消費期限間近のものを集めて、いわゆる貧困対策的に活用されているような現状にも複雑な思いがあるのもまた事実。

「俯瞰して考えて」

と言われたのですが、確かに、本質的な問題がどこにあるのかなど、捉えようとする視点というか姿勢を忘れないようにしたいですね。ところで、市議会レポートで、議員や市長などの期末手当増額のことを書いてみることにしました。 「市議会議員って、議員年金も無ければ退職金も無くて、大変なのに、ほとんどの市民はそのこと知らないよね。」とも言われたこともきっかけで。例えば、市民の皆さんは、3月の議会で議員や市長などの期末手当増額の提案がされたことについてどう感じるのかな?も聞いてみたいなと。来週には原稿を印刷に出せるようにと作業中(でも、なかなか思うようには捗ってない)です。

去年は4月は改選でなかなか忙しかった気もしますが、それに比べると今年は穏やか。「お花を見る余裕がある。季節を愉しめる心を持てる。」ことは幸せですね。

春の嵐で。

今日は市内中学校の入学式でしたが、ある意味、思い出深い入学式になったのではないか…とも思えるようなの春の嵐。体育館の天井を見ながら、ずいぶん傷んでいるけど、まさかの雨漏りはないよね…とか思わず、心配になるほどに強い風と雨でした。私が出席したのは諏訪中学校ですが、やはり事情あってで一クラス1名ずつの欠席者がいることは気がかりなことでもありました。そういえば、東愛宕中学校内に不登校対策として開設されたクラスにも新入生がいたと伺いました。昨日は諏訪小学校で新入生1クラスしかなかったのですが、諏訪中学校は4クラス編成だったことに、なんか「よかった」と思ったりもしました。

3月末に定例会が終わってから、毎日が慌ただしく過ぎていくので、こんな暴風雨の日は少し自宅で作業をしたり、読書をしたりできるかなと思いましたが、結局、自宅にいて何をやり始めるかと言えば…真っ先にくるのか「家事」になってしまう。在宅で仕事をするというのは、よほど集中できるような環境づくりというか、きちんと拘束でもかかっていない限りは、つい、他が気になったりで、今日も気がついたら…掃除と片づけをし始めていたという感じでした。

「いや、これではダメ」とばかりに、今月末から連休中に配布できたらいいなと考えている市議会レポートの原稿だけは作成してみて、推敲作業などまでやっとたどり着きましたが。ところで、新商品の「つらターン」ですが、これは、普通のおやつにはなりませんので失敗でしたが、試してみる価値はあると思います。でも、私はリピートないかなあ。

さて、夕刻からは学びの多い会食の機会を得ることができ、とてもありがたく。これから少子化が進んでいく中で、私たちが考えていかなければならないことがたくさんあることを再認識、再確認できました。「おひとりさまの老後」についても、課題が多いなとか。私と同世代は就職氷河期でもあって、いわゆる安定的ではない仕事で生計をつないでいる人数も多いのです。最近、よくこちらを見かけるのですが、「就職氷河期世代への支援」ってどこまでどう進んでいるのか、よくわからないので調べてみないといけないですね。

国民の違和感は9割正しい

これから読みます。「違和感」は具体的な言葉として表現されることが少なかったり、「なんか、モヤモヤするよね」ということで表すのが難しかったりすると思うのです。でも、その感覚を見過ごさないというか、そのままにしておかないことが大事だと考えています。