西東京市で月に3回くらい、つまりは週に1度くらいのペースで開室しているフリースクールに行ってきました。小さな学び舎。子どもたちは朝9時に集まってくるそうで、今日の出席者は4名です。小学校5年生、4年生2名、1年生が1名…西東京市に住んでいる子どもだけでなく、他市から来ている子もいました。
私は朝10時に合流して、まずは一緒に道路のごみを拾いながら、田無神社へ。子どもたちとワイワイ言いながら、トングでごみ拾いをしていたのですが、いつもやっているお掃除なので…子どもたちは「吸い殻ごみ」がたくさんあるところ、「ペットボトルとか缶」がたくさん落ちているというか、置いてあるところを良ーく知っている感じ。昨日の夜から風が強かったせいか「今日はあんまり落ちていない」とつぶやいている子どもたちでしたが…それでも、何とも不思議なものが落ちているもので…女性用の靴。まずは片方拾って、「どうしてこんなものが落ちているんだろう」と言いながら歩いていたところ‥‥「こっちにもあった!」ともう片方が見つかりましたが‥‥ごみとして処分してしまってもよかったのかしらと思ってしまいましたね。
「ちゃんと分別することが大切」…って分別にこだわる子どもたちの様子を見ていて‥‥私の子どものころは「燃える・燃えない」は一応あったけれど、ここまでちゃんと分別を意識していなかったなあと…時代を感じたのでした。
田無神社では、「ここで手を洗って」と教えてもらい、それから参拝もして、「触った方がいいよ」と促され、子育て親子石、ちゃんと犬にも触ってきました。
子どもたちはとても明るく、すごいおしゃべりで、「いつもゴミを拾う道」なのですごく丁寧に案内をしてくれながら、学校の先生から聞いた話しはもちろんのこと、クイズを出してくれたりして、行きも帰りも笑顔絶えることなく、とにかく元気でした。最後は子どもたちは思いっきり走ったりして…ついていけず。
その後、「お腹すいた」ということになり、少し早いけれど、みんなでお弁当の時間。近くの公園に行って、お弁当タイム。実は、今日は私自身が「どんな場所なのかなあ」を見に行きたかったということと合わせ、せっかくなので「政治って何?」ってことも子どもたちに伝えてほしいと言われていましたので、そんなお話しタイムにもなりました。
でも、ありがたいことに…今日は私だけでなく、来月、しかもクリスマスの日に市議会議員選挙が行われる西東京市で挑戦する予定になっておられる五十嵐まさおさんもご一緒でしたので、助かりました。「政治って何?」を伝えるのは実は本当に難しい。子どもたちに「民主主義」と言ったところで…はっきりいってまだまだ「ぽかん」と言う感じ。小学校1年生にまで伝えるというのはハードルが高すぎ。今日のところは「政治って、みんなのためにあるもの」が伝わるといいなあと思いながら、おしゃべりしてみたのですが、伝わったかしら?
みんなのためにルールを決めることとか、みんながみんなのために使うために税金を払ってるよね…ということで、消費税のことに触れてみたりとか…子どもたちに政治を身近に感じてもらうために「どう話すのか?」…これ、頭使う。
お昼休憩の後はみんなで「楽書」の時間です。学校の授業とは全然違う。同じように、硯、文鎮、筆を出してくるけれど、でもやり方は違う。無限未来を主宰されている西川梨世先生から学びます。梨世先生はこのフリースクールのスタッフのお一人。
子どもたちが何とのびのびと自由自在な筆使い。まずは、「好きな文字」を辞書で探すところから始まるのですが、各文字が決まればあとは、自分の思いを込めて筆を動かすだけ。
こういうの…大人はめちゃくちゃ苦手ですよね。私も「一緒にどうぞ!」なんて言われて、やってみたのでけれど、とてもとてもお見せできるような仕上がりにはならず…って、「そういう意識がダメ」なんだと思っていますが、「上手ってどういうこと?」と先生の声掛けを耳にしながら、とにかく子どもたちがスイスイと筆を動かす姿を見ていると「なんて自由なんだろう!」って出るのはため息…みたいな感じでした。
ホント、「お見事!」なんです。「私、『楽』しい、って感じが大好き。だって、楽しいって書いたら、楽しい気持ちになれるから。」そう何度もつぶやきながら、「楽」を書いてくれた小学校1年生。自分の気持ちをそのまま文字に転写しているようでもありました。そして、「楽書」が終わったら、今日一日が終了。
子どもたち、明日はいつものように早起きをして、いつものように支度をして、いつものランドセルを背負って…いつもの学校に行くんです。ちょっと学校には行けていないという子もいましたが、でも、「在宅学習ができるようになるみたい」と言っていて、楽しみにしている様子もありました。ここに来ることで、気持ちを調える、心を保つ…子どもが自分と向き合っているような気もしました。いつもの学校では「いっぱいお話しをしたり、おしゃべりはしない」…姿など、想像できないような子どもたちでした。
そして、子どもたち、我がままではない。小さな学び舎の子どもたちはみんながお互いに気持ちよく過ごすために協調もでき、決して、自分勝手ではないのです。大人が注意を促すと、ちゃんと聴くこともできる子たちばかりだったのも印象的でした。
子どもたちと「政治って何だろうなあ」をおしゃべりをしていた時、「どうして、ここに来てるの?」を尋ねてみました。子どもたちは「自由だからいい!」ってそのまま答えていましたね。「4時間目みたいなのがないからいい!」って。「全部決められているから、苦しい」って…さらには、「マスクが苦しくて、辛い」と。あとは「嫌いなものも全部食べないといけないから、給食がないからいい」と言う子も。「好き嫌いはよくありません。」と言うのは間違ってはいないのですが、「給食の時間が苦痛になり、学校に足が向かなくなる」という状態に子どもを追い込んでいるとすれば、それまたいかがなものか?…かもしれません。
ここから、しばし思い出話。私は多摩市に引っ越してきて、とにかくパンとマーガリンと、薬のような味わいのジャムが大嫌いでした。なので、給食をやめて、お弁当持参になって、どれだけ救われたことか…あと牛乳も飲まなくてよくなったのも幸せでした。転校生として多摩市にやってきた私は…学校は嫌いではありませんでしたが、給食だけは「とにかく、札幌の方がよかった。多摩市の給食はおいしくない。」とすごく苦痛でしたので、「給食だけが楽しみ!」というクラスメイトの気持ちなど、全く理解もできず、給食の時間が憂鬱な子どもの気持ちには共感できます。デザートに「みかん」…なのに「牛乳」が出ているとか…子ども心に「吐く献立」という位置づけでした。
というわけで、今日は一日、子どもたちと一緒に過ごし、子どもたちの姿を見ながら、「自由だから、縛られていないから、いろんなことを豊かに豊かに考えられるのではないか」と感じさせられ、ここに通ってきている子どもたちが…「ここがあるから、また、いつもの学校にも通える」というようなリズムをつくりながら、自分自身を「調えている」感じもして、「大事な場所、ここにあり」と思ったのですね。
「ここにどっぷり依存するようなことはさせないように。いつもの学校とのバランスも大事に。」
小さな学び舎で大切にしているポリシーと伺いました。ですので、学校もこの場所に子どもたちが通うことを否定はせず、ちゃんと時間通りに通い、一日を過ごすことができたら「出席扱い」にしてくれるそう。ここでは学校に「報告書」として取り組んだことなどを連絡するなど、校長先生や担任の先生ともやりとりをしているとも伺いました。「なるほど!」と。要するに、学び舎といつもの学校とがあって、両方あるから子どもたちが良く育っていくわけなので、お互いに牽制しあうわけでなく、「ひとりの子ども」の育ちを見守る良い関係性を育んでいくというわけですね。
これ、よーく考えなくても、当たり前のことって思いますよね。フリースクール的な場を怪訝な目で捉えたり、迷惑がって遠ざける必要って…ないですからね。こういう関係性があると、子どもたちは救われる気がします。もちろん、子どもたちは自主学習の時間もあるので、銘々にやらなければならない課題をこなしているようですよ(主に学校の宿題とか)。言ってみれば、通級指導教室に行くみたいなイメージかもしれません。子どもにとってその場所が必要であれば、そこは信頼関係さえあれば、「出席扱い」にして良いはずです。
「子どもが真ん中」
とか
「子どもを大切に」
とか
「子どもによりそう」
とかとかとか
子どもにとって大切なことは何だろう。一人ひとりをありのまま受け止めることができる環境になっているかどうか、私たち大人がそのことともっと向き合っていかないといけないような気がしてなりません。私たち大人がもう一度、自分自身に「問う」ことから始まるのかもしれません。深く考えさせられました。みんな、どうもありがとう。