ほりたての!

大きくて重たい。たけのこは皮向きが楽しいのですが、そこに時間はかけてはいられませんが。ここのところ連日、懐かしい人や友達やらに会ったりして近況報告をしていますが、数年ぶりに会うと、やっぱり互いの状況は変わっていたりしますね。自分だけ、全く変わらない日々を送っているような気がしますが、変わっているというのは年齢、子どもの大きさかもしれません。

ところで、新型コロナワクチンの接種後に家族が亡くなった遺族のみなさん、健康被害に苦しんでおられる皆さんが国に賠償を求める訴えを起こしました。しかし、国のワクチン推進の広報活動が、副反応や死亡例を適切に報告せず、リスクに関する情報提供も不十分であったことが理由です。裁判所がどのように判断を下していくのか、もちろんその過程もフォローしていきたいと思っていますが、国に連なり、都道府県レベル、市町村レベルにまで関わってくる問題にもなってくるようにも思っています。新型コロナワクチンの接種が原因と思われる(断定しない)死亡、健康被害などに国が対応している事例は、他のワクチンに比べても比較にならないほど多すぎる。健康被害の救済制度にたどり着けていない事例はその裏にはまだまだたくさんあるのではないかと私は思っていますが。

今、3月末で「無料接種」も終わりましたが、それに伴って、「予防接種健康被害救済制度」における位置づけというのか、取扱いも変わってきます。こうしたことも、新型コロナワクチン接種のことを調べ始めて、初めて分かったことなのですが、知識を得ておくこと、そして正しく情報を得ておくことがどれほど重要であるのか。そしてまた、正しい情報を得られるような環境をつくっておくことが大切で、その環境をつくるがわの姿勢こそが何よりも問われていくのだと感じています。

新型コロナの感染症で社会全体が停滞するというのか、動きが止まっていたときの記憶もどんどん過去になっていきますが、「新しい生活様式」とか、阿部市長もまた「ニューノーマル」という言葉を使って政策を語っていたことを思い出します。今、どれほどの人が「新しい生活様式」とか「ニューノーマル」とか…そして、今を「ポストコロナ」として意識しているのでしょうね。なんか、私にはとてもピンと来なくて、一番の実感はやはり人間は社会的動物であるということかもしれない。そしてまた、やっぱり、「リアル」は大事ということですね。会議をするとか、相談をするとか…「直接」の必要性を痛感するということです。

今はいろんなことがある程度、インターネットなどでわかる時代にもなっていますが、それは「わかって気になっている」場合もとても多いことを意識しておきたいですね。「百聞は一見に如かず」…まさに、これかなと。そんなわけで、今週末から、時々参加している勉強会のメンバー企画の視察に行くことにしました。コロナ禍で方々に足を運んで調査活動をすることへのハードルも随分高くなってしまったので(受け入れてもらえないことも多く)、何となく、自分の活動もすごく狭い範囲になっているかもなあとしみじみと。

その前に、まだやることもあるのですけどね…。書き物の宿題を終わらせておかないといけない。

ほりたて!

自宅の敷地内に竹やぶがあるのがうらやましいなあ…。ほりたてのたけのこです。たけのこ掘りは簡単そうで難しいので、久しくやってない。でも、こうして毎年、お裾分けが届くので本当にありがたく旬を楽しんでおります。米ぬかの代わりに、玄米を入れて茹でるとバッチリとのこと。そうしてみたいと思います。

今日は、しらた議員と市民の方からヒアリングをさせてもらって、「いざという時の備えとは…」について、意見交換をしたのですが、災害時を想定すると言っても、想像しきれないことの方が多いことを前提にしておくことが必要なんだろうと感じています。被災地へも足を運んだりして、状況をリアルに捉えていくことも重要なんだと思いますが、災害直後のこととともに、それ以降に長く時間がかかり、必要とされる支援の方が気になっています。「継続していくこと」は本当に大変なことなので。

「共同親権」のことが話題になっていますが、きちんと話し合いをして「共同親権にする」ことが選択できるようにならなければ、子どもたちが被害を被るに違いありません。SNSなどの情報や家庭裁判所などで離婚など家族の問題に関わっておられる弁護士さんたちからの話しを聞けば聞くほどに、「共同親権」にすることが世界のスタンダードとして押し切ることへの疑問が募ります。「子ども」を真ん中にした最善策になっていくのかどうか。

高齢者が多くなり、今まではそれほど聞いてこなかったトラブルなどが耳にも入るようになっていて、考えさせられることも多いです。市議会でも健康福祉常任委員会が「認知症」について調査を進めているようですが、遠方にいる父の状態を考えてみても、いつなんどき、何があるかがわからないというか、本人には「直近の記憶」がないので、「自分自身がしたこと」すらうまく説明できないのです。自分自身の行動やら行為すら覚えていないので。それでも、時々、携帯電話の使い方を思い出せるのか、電話がかけてくれるので、なるべく出るようにはしているのですが、こちらから電話をかけてみても、出られないことの方が多いという状態になっている気がします。声を聴く限りは元気そうで、ホッとはするものの、私にとっても「介護問題」は他人事ではなく、介護にかかる費用の問題を含めても、降りかかってくるのかもしれないと先行きを考えると、不安の方が大きいです。こうした思いを共有できる市民の方は少なくないと思っています。所得の格差がどんどん広がっていることも実感しています。日本の富裕層が増えているそうですが、自分とは別世界ですし、目に入るというか見ている範囲で言えば、全然そんな実感もなければ、むしろ、年金で暮らしている方々のお話しを伺っていると、「1円でも安く買いたい」という心がけを持っている方の方が多い気がするんです。

今日から衆議院選挙の補欠選挙が始まっていて「まっとうな政治」というスローガンが目に留まっていますが、本当にそうしてもらいたい、そうしていくためにできることをしなければいけないという気持ちになりますね。私はやっぱり「正直にやっていく」ことが一番大切なことだと感じています。それは、多摩市政についても同じことを感じているので。市民に対する情報公開の在り方、され方など含めて、まだまだもっと考えていかなければいけないところが多いと思います。

 

八つ橋とコラボの「あいすまんじゅう」。やっぱり、プレーンというか、いつもの「あいすまんじゅう」のほうがいいですね。試してみる価値はあるかもしれませんが、「みるく」の味が一番おいしい。

レイチェルカーソンの命日で。

ちょっと思うことところがあって、レイチェルカーソンの本を購入。高校生の時に図書館で借りたことがある「沈黙の春」でしたが、難しいな…と思った記憶のほうが強く、再読するのは楽しみですね。「センス・オブ・ワンダー」も手にとってはみたことがあっても、買うまでには至らなかったのですが、たまたま昨日がレイチェルカーソンの命日だったこともあり、もう一度、環境問題のことや自分の環境に対する意識を整理するためにも読んでみたいと思っています。

今日は5月5日発行予定の議会だよりの編集会議があり、出席しました。市民が「読みたくなる」紙面づくりの工夫が積み重ねられているのですが、実際のところはどのくらいの方目を通していただいているのかなと。紙面モニターのような制度等、市民が議会に参加する一つのチャンネルを増やすことも今後の検討課題です。それによって、市民にとってよりよい「議会だより」になれば、願ったりかなったり。全部、市民の皆さんの税金で行われていること…ここをきちんと意識して取り組むことが大切ですね。

自分の市議会レポートもようやく入稿にたどり着きました。配布するのは今月下旬から、連休中かな。

さくらのある風景。

さくら咲く景色はには、特に自分の「心象」を重ね合わせることができるように思っていますが、多摩センター駅や聖蹟桜ヶ丘駅の周辺の華美で派手さに比べれば、落ち着いているともいえるかしら?… 私にとっては、諏訪下橋から桜ヶ丘方面に歩いていく乞田川沿いが子どもの頃から親しんだ散歩道であって、この風景が定点的にもとても気に入っているのです。混みあわないので、人々の動きがのんびりしている印象もあるからかもしれません。

先週末のさくらまつりで、脳裏に焼き付いてたのが、アニメに登場するキャラクターというのか、アイドルたちを取り囲むファンのみなさまの姿でして、初めて知りましたが「シャニアニ」。「アイドルマスターシャイニーカラーズ」。どうやら、その舞台が聖蹟桜ヶ丘なので、聖地ということですね。その人気ぶり、こういうのが推し活?とか思ったりしましたが…ファンが来てくれるんだなあとうれしくなり、遠巻きに眺めてしまいました。

そして、無料配信されている第1話だけ視聴してみたのですが、見慣れた景色が出てくるので、それを見る楽しみがあるにはあるのです。しかし、きっらきらの登場人物たちが眩しすぎて、昭和時代に親しむ私にはすぐには馴染めず。どうも、最近の傾向ですが、アイドルグループとか、一人ひとり見分けがつかないのと同じように、こうしたアニメにも年々同様の感覚が…。

高齢者の方、体調を崩されていると聞いて心配です。寒暖差もあるからかとも思いますが、いい季節になったので、近所のお散歩を楽しめる時期になっているのになあとか。外に出て、人に出会うことがめんどくさくなってしまった…ということを聞いたりもするとますますですね。一人暮らしの高齢者の方々が増えていくことが避けられないので、そうした皆さんへのフォローも気になります。

多摩聖蹟記念館と建築家・蔵田周忠

2月末から開催されている聖蹟記念館での企画展。先月も足を運んだのですが、やっぱり、桜のある季節にも…ということで足を運んでみました。先月、たまたま伺った際、喫茶コーナーの方とお話しをしたり、喫茶コーナーの常連のお客さんともおしゃべりをして、「もっと、いろんな方に来ていただくといいのになあ」と思いました。こじんまりとした企画…スペース的にもと言いますか、そんなにたくさんの展示物があるというわけではないのですが、モダンで洒落た建物を設計した蔵田氏の横顔が垣間見ることもできて、おススメです。

こうした企画展には監修者がいらっしゃり、教育委員会側と協議を重ねて、開催までこぎつけたようでして、その苦労はなかなかを慮るしかないのですが、もう少しポスターなどの色合いが目立つものであると良かったかなと…個人的にはそう思っております。淡い色合いで景色に溶け込んでしまうので、ちょっと目を引く感じではなくて残念なのですが、都立桜ヶ丘公園を楽しむついでに記念館まで足を延ばしてくださる人が多いといいなと。

最近、街中で目につくのは…というのか、自分が気にしているのは「傷み具合」ですね。聖蹟記念館のところにも「遠目に見て何だろう…」と思いましたけれど、「手を触れたり、寄りかかったりしな(いでください←だと思うが)」て貼り紙。

 

危険なものであるなら、撤去することが望ましいと思うのですが‥‥。ここだけじゃないということかもしれませんし、撤去するために必要な費用よりも先に優先しなければならない取り組み、対応があるということなのかもしれませんが、しかし、この貼り紙もいつからのものかわかりませんが、とにかく、危険可能性が高いんでしょうね…きっと。

つい、今回、特別職(市長、副市長二人、教育長と議員)の期末手当が増額されたとして、それに必要な費用(税金)は1千万を超えていたなあと思うと、やっぱりその金額は大きい。ま、議員については現状維持になったので、市長と副市長二人と教育長分で年間では1,846,044円の増額で済んだとも言えますが、市民からの貴重な税金だと思うと、ホントに何に使うべきなんだろう…と考えさせられるものです。そして、今年度の予算は議員分も期末手当が増額することで予算化されていたので、現状維持になったということは「予定されていた分が不要になった」わけで…さて、お金には色がついていないので、何にかに融通されていくのでしょうね。

「俯瞰してみて」

今日は3か月以上ぶりにピアノのレッスンに行ってきたのですが、都合がなかなかつかないことを理由にして、サボりすぎていたので…それだけでやっぱり、指やら腕やらの筋肉が退化していることを実感せずにはいられないのです。毎日10分でもいいので、鍵盤に触るほうがいいと痛感したので、なるべくどんなに忙しくても「10分」を心がけてみたいと思った次第です。さて、いつまで続くか…ですが。

ことほどさように…と言いますか、やはり「継続は力」であって、どんな小さなことであっても自分にとって大切にしたいこと(ちっちゃな習慣とかでもいいはずで)を日々積み重ねることは必要ですね。

久しぶりにお会いした市民の方から、多方面に渡りお話を伺うこともでき、「子ども食堂というのがよくわからない。」と言われましたが、私も「子ども食堂」が「すばらしい取組み」のように語られることにはちょっとした違和感があり、貧困対策的にどうしてもやらざるを得ないような現状があることへの解決を急ぐことの方が優先ではないかと思うのです。「ちゃんと家でご飯を食べることができる」が重要なことであって、何らかの事情があり、それが果たせなくなっているとすれば、そこにこそ問題があるというか。

もったいない・・・ということでフードロスをなくすための活動ももちろん良い活動だと思いますが、消費期限間近のものを集めて、いわゆる貧困対策的に活用されているような現状にも複雑な思いがあるのもまた事実。

「俯瞰して考えて」

と言われたのですが、確かに、本質的な問題がどこにあるのかなど、捉えようとする視点というか姿勢を忘れないようにしたいですね。ところで、市議会レポートで、議員や市長などの期末手当増額のことを書いてみることにしました。 「市議会議員って、議員年金も無ければ退職金も無くて、大変なのに、ほとんどの市民はそのこと知らないよね。」とも言われたこともきっかけで。例えば、市民の皆さんは、3月の議会で議員や市長などの期末手当増額の提案がされたことについてどう感じるのかな?も聞いてみたいなと。来週には原稿を印刷に出せるようにと作業中(でも、なかなか思うようには捗ってない)です。

去年は4月は改選でなかなか忙しかった気もしますが、それに比べると今年は穏やか。「お花を見る余裕がある。季節を愉しめる心を持てる。」ことは幸せですね。

春の嵐で。

今日は市内中学校の入学式でしたが、ある意味、思い出深い入学式になったのではないか…とも思えるようなの春の嵐。体育館の天井を見ながら、ずいぶん傷んでいるけど、まさかの雨漏りはないよね…とか思わず、心配になるほどに強い風と雨でした。私が出席したのは諏訪中学校ですが、やはり事情あってで一クラス1名ずつの欠席者がいることは気がかりなことでもありました。そういえば、東愛宕中学校内に不登校対策として開設されたクラスにも新入生がいたと伺いました。昨日は諏訪小学校で新入生1クラスしかなかったのですが、諏訪中学校は4クラス編成だったことに、なんか「よかった」と思ったりもしました。

3月末に定例会が終わってから、毎日が慌ただしく過ぎていくので、こんな暴風雨の日は少し自宅で作業をしたり、読書をしたりできるかなと思いましたが、結局、自宅にいて何をやり始めるかと言えば…真っ先にくるのか「家事」になってしまう。在宅で仕事をするというのは、よほど集中できるような環境づくりというか、きちんと拘束でもかかっていない限りは、つい、他が気になったりで、今日も気がついたら…掃除と片づけをし始めていたという感じでした。

「いや、これではダメ」とばかりに、今月末から連休中に配布できたらいいなと考えている市議会レポートの原稿だけは作成してみて、推敲作業などまでやっとたどり着きましたが。ところで、新商品の「つらターン」ですが、これは、普通のおやつにはなりませんので失敗でしたが、試してみる価値はあると思います。でも、私はリピートないかなあ。

さて、夕刻からは学びの多い会食の機会を得ることができ、とてもありがたく。これから少子化が進んでいく中で、私たちが考えていかなければならないことがたくさんあることを再認識、再確認できました。「おひとりさまの老後」についても、課題が多いなとか。私と同世代は就職氷河期でもあって、いわゆる安定的ではない仕事で生計をつないでいる人数も多いのです。最近、よくこちらを見かけるのですが、「就職氷河期世代への支援」ってどこまでどう進んでいるのか、よくわからないので調べてみないといけないですね。

国民の違和感は9割正しい

これから読みます。「違和感」は具体的な言葉として表現されることが少なかったり、「なんか、モヤモヤするよね」ということで表すのが難しかったりすると思うのです。でも、その感覚を見過ごさないというか、そのままにしておかないことが大事だと考えています。

桜満開で入学式!

市内小学校の入学式でした。ここのところ、例年…桜は卒業式に…という感じでもあって、こうして入学式に桜の花が満開だったのは10年ぶりくらいとも伺いました。私は諏訪小学校の入学式に出席しました。多摩市でいち早く、学校統廃合をして開校した諏訪小学校も今年で30周年を迎えるというのに月日の流れを感じながら、かわいらしい新一年生たちをお祝いすることができました。

そして、諏訪2丁目住宅の建て替えからも10年が経過し、今年の新入生は36名。1名が特別支援学級に所属とのことで、今年は1クラス編成というのにもまた、時の流れと、大規模住宅が抱える人口構成の悲哀というのか、想定内に子どもたちの数が減っていくことを目の当たりにしたような気持ちにもなりました。それでも、子どもたちはとても元気。35人学級編成ですが、これが30人学級だったらなあ…と。そのほうが落ち着いた環境で子どもたちの暮らしがスタートできることは確実。家族も小規模化していることもあって、大人数にも慣れるための時間が必要そうな、そんな気がするのでした。

入学式を終えてから、ゆう桜ヶ丘のギャラリーへ。猫野ぺすかさんの個展を見に行きました。ぺすかさんとはご縁があり、お目にかかったこともあるのですが、多摩市にご実家があるのです。久しぶりに数々の作品を拝見させていただいたのですが、やさしさあふれる原画の数々に、心が洗われるようでした。

焼き絵(ウッドバーニング)を直接見るのは初めてなのですが、こんな技法があるのかと、ただただ感心するばかり。リアルな猫は怖いのですが、ぺすかさんの描く猫ちゃんは本当にかわいらしく、こんな子猫なら飼ってもいいなあと。「はんぶんライオン」。原画を見ながら、お話しの内容を想像してしまうわけですが…せっかくなので絵本を手に取ってみたい。一緒に行った友人は物販がないことを大変残念がっていたのですが、それは私も。

明日は中学校の入学式があります。桜の花がなんとか保ってくれるかなあと思っていますが、天気予報が心配ですね。

「種」を守る。緊急集会へ。

いつもオンラインで視聴するのですが、やっぱりリアルは大事だと思ったので…日本の種子を守る会の緊急院内集会に参加してきました。たまたまお近くに山田正彦さんが座っておられ、直接ご挨拶もできたのですが、「こんなにも集まってくださって、ありがたい」とおっしゃっていました。遠方からも集まってこられ、会場では新潟、徳島、茨城、沖縄、北海道からの参加者もいらっしゃいました。

農政の憲法と言われる食料・農業・農村基本法の改定案が国会で審議入りをしているのですが、その改定案に対して「守る会」では意見書を提出しています。なかでも「種子を守っていく」ことをきちんと明記してほしいと求めているのですが、それについて改定案では一切、触れられていません。この件、多摩市の農業政策という点から言うと、何となく、ピンと来ないのも正直なところ。しかし、私たちはみな消費者である限り、その一人として、全く無視することはできないことなのです。

「食料安全保障」に対しては、少しずつ認識が高まっているように思いますが、そのために、何をするのか、国民を守り、国を守るためにどんな政策をとっていくのかが問われます。日本の風土に合って、ずっと受け継がれてきた種子を守るのは当然のことなのです。その当然が既に崩壊しかかっていて、危機感は増し、高まっているにもかかわらず、今回の改定案の中でなぜ「種子」に対する言及が一切ありません。その裏には一体、何があるのでしょうか・・・。緊急集会では、「誰を見て、どこを向いて仕事をしているのか」「農林水産省は何のためにあるのか」などと憤る意見もありました。

とかく、私は鈴木宣弘さんからのお話しにもあったとおりで、日本の食糧自給率が37%だけれど、そこに肥料、農薬やら、種子の自給率なども加味し、「総合的」に考えると自給率がさらに下がって9.2%になるとも試算される…という数値には驚愕ですが、そのくらい私たちの「食」は自国でコントロールできない状態にあるとも言えますね。そこにこそ私たち国民もまた危機感を持たねばとも思うのです。海外からの輸入に頼みで成り立つのが日本の農業で本当にいいのでしょうか。「いのちを守る」って、どういうことなんでしょうね。

生きていくための「食」の問題に多くの人はどう向き合っているのかも問われます。考えていかなければならないのは私たち一人ひとりなのですが、こうした大事な事実が「知る人ぞ知る」みたいな状態になっていることもまた大問題ですね。そして、担い手不足の問題は今に始まったことではなくさらにさらに深刻で、「農村は消滅してしまう」という現状が吐露されていたとおり、輸入頼みの農業は資材の高騰などにますます首を絞められ、農家を続けられない人が増えているのです。それは、農業が大変だからとか、辛いからとか…それだけの問題ではないような気がします。農業、農村が崩壊しかかっているというか、もう瀕死…それでも、何とか踏ん張っているような状況で、「食」の問題は私たちの想像以上に大変な事態に直面していると捉えています。そこを救うための農業政策は日本にあるのでしょうか。

「安全で安心な食」を考えてみても、私が子どもの頃と比べてもますます。「オーガニックを当たり前に」をめざすような消費者の運動や活動力も低下しているのも現状で、そのくらい、日々が何かに追われて暮らしているのが私たちの現在なのかもしれません。「いのちを守る食」ですから、その源である「種子」を守って当然なのですが、そのために国民的な議論が沸き起こっていない現実が突きつけられ、本当に厳しいとも言えます。私のできることと言えば、こうした集会に参加をすること、あとは、志高く農業をされている方々を応援すること。本当は「マイクロ農業」なんですけどね。「プランターでミニトマトの栽培をやってみよかなー」とつぶやいたら、即効「やめたほうがいいんじゃない」という家族の声…よくわかっていらしゃる。

みんなの食卓を安全で安心なものにしていきたい。そのための政策とそのための税金の使い方を実行していくことが大切。しみじみと感じる今日この頃です。

ちいさなお店が増えるといいなあ。

そうだ!…と思い出して、今朝は唐木田駅前での活動を終えてから、住宅街の中のパン屋さんへ。やっと、買うことができました。朝の8時すぎで、ホッカホカの焼きたて食パンから湯気が。私はバゲットが欲しかったのですが、残念ながら、まだ焼き上がりの時間ではなかったみたい。今度、また、タイミングが合えばいいなと思っています。

帰宅してから、早速、購入したパンを食べてみたのですが、ふんわり甘くておいしい。ミルククリームの挟んであるフランスパンはまた買いたいくらいにおいしい。昔、帰省するたびに買いに行っていた田舎のパン屋さんでお気に入りだった「ミルクパン」を、「孫のために」とばかりに大人買いしていた祖父のことが頭に思い浮かんで、ちょっとしんみりした気分になりましたが。

こんなふうに、地域にちいさなお店があって、常連になれば顔見知りにもなれて、ますます食べて支えていける関係性ができていくっていいなあと思います。これもまた「地産地消」ですね。地域のお店はやっぱりコミュニティのハブになっていきます。

ここ数年、「お米を食べる」に食生活を切り替えていることもあって、パンが食卓に上る機会は以前と比べてもめっきり減ってしまったのですが、やっぱり、パンは美味しいなあと再確認するようなひとときでした。パンを食べ始めると、「パン>ごはん」になりそうな気がしていたりして…。最近は「米粉」を選ぶことは日本の主食を守ることにもつながるのかなと思ったりしているので、「米粉」の良い商品を探していますが、また、時々、ちいさいパン屋さんには立ち寄りたいと思います。

ところで、「多摩市の学校給食無償化」ですが、これも、単に子育て世代の負担軽減とか、それに留まらせてはいけない。多摩市だけで取り組むなら、それで終わってしまうと思うのですが、国全体で取り組んで、「学校給食の無償化」からの「食材を国産に」「食材をオーガニックに」という風にきちんとつなげていくことが大事。なぜ、「無償化なのか」について、もっと奥深く考えたところの政策効果を見ていくことの方が必要。

(※注目される有機給食 農家を支援、給食費も無償化 千葉県いすみ市の取り組み 東京新聞より)

なので、農業生産の多い地域では学校給食の無償化で、そこに投じた税金をきちんと地域の農業に還元していき、「地産地消」で地域経済の循環や地域の農業、土を守っていくことにもつなげていくわけなので、ものすごーく意味がある。東京都の学校給食無償化も、どこを向いているものなのか…私にはいまいち疑問で、自治体の財政力によって取り組む取り組まないの格差が生じていること自体も大問題。都内全域で学校給食を無償化し、そのことを都内すべての農地や生産者、担い手を守っていくような循環形成へつなげる政策をつくってほしい、そこにこそ意義と意味があるので。

とにかく私は「日本の食卓」を守ってほしい。そのために、日本の「土」を守っていきたいと思います。アメリカで家畜のために生産している遺伝子組み換え作物(エサ)を日本にどんどん輸出し、日本はそれを輸入しては国民が消費しているのが実態とも言われます。「私たち、本当に、それでいいの?」なのです。

「学校給食の無償化ばんざい!」ではありません。そこから、もっと一歩も二歩も進んだところに、私たち自身の健康を守っていく、そのために私たちの住んでいる場所(国)を守っていくという意味があること、頭の片隅に置いておきたいですね。そして、政策効果とは何か、政策はどうあるべきなのかを考えさせられる事例にもなっていると思うのです。

せめて、多摩市でも学校給食の無償化をするのであれば、子どもたちが食べる「お米」にこだわるとか、何か、もう一つ策を練りたいものです。