今年もまた、中央大学の授業に参加しました。

木が大きくなっていて…図書館の2階の窓が見えなくなっていました。今年も中央大学のキャリアデザインの授業にお招きをいただき、「ジェンダー、子育て、ワークライフバランス」というテーマにて話しをしてきました。私が伝えられることはどこまであるのかなあ…といつも悩みますし、それと同時に…気が付けば、子どもと同級生たちが目の前に並んでいるということで、「もう時代が違うのでは?」という気もしているのですが、毎年お声掛けをいただくことはありがたく、お役に立てるなら…との気持ちで再びという感じです。

しかし、どう考えても、私の人生には「キャリアデザイン」というものが存在せず、もちろん学んだこともなく。それは「なりゆきまかせ」なのかな…とも思ったりするのですが、とは言え、節目になるような出来事はあり、その都度その都度、出会ったハプニングに対しては逃げずに向き合ってきたのかな?とか。 話しをするとなると、そうしたことを自分でも振り返ることができるので良い機会にもなります。

それにしても「ジェンダー平等」については、つい先だって発表された「ジェンダーギャップ指数」についても、日本はまた振るわない結果。昨年公表されたときには世界146か国中116位でしたが、今年は125位になっていて後退しているという。

私が大学を卒業した1999年3月、そして、その年の6月に「男女共同参画基本法」が成立してから、もう何年経っているのか?という話しです。最近は、「子どもまんなか」ということで、ようやく本腰を入れて、「今まで以上に真剣に」と取り組まねばと思っているのかもしれませんが、家族のかたちが多様化していて「昭和モデル」から「令和モデル」へ…なんてことが言われていて、個人的には今さら…と感じないわけでもなく。

いずれにせよ、時代とともに、そしてまた、受けた教育(学校教育だけではなく)があり、自分自身の育ちの過程、全ての取り巻く環境が「自分」の価値観や考え方をつくっていく。ジェンダー問題を理解するというのは「学校で平等であることが大事」と学んだところで、理解し、認識し、解決に進む…というような問題でもなく、なんか、すごく身体に染みついているというか、もっともっと根深いところの意識に気がつくこと、アンコンシャス・バイアスにハッとさせられることからしか始まらないようにも実感します。自戒を込めて…。自分自身の生き方、考え方を定点観測のようにしていくことが大事なのかもしれませんね。

というわけで、最近の大学生の真面目な授業態度にはこちらが恐縮してしまいますし、とにかく、授業をサボるなんてこともあり得ないくらい、きちんと授業に出席し、講義が終われば必ず課題が出され、それを提出する…出欠確認も合わせてという景色には時代を感じるというか、「随分と大学の在り方も変わったなあ」という印象。ちょっと堅苦しくなったというか…。大学の先生たちも気が抜けないでしょうね。単に学者の研究成果を発表する場=授業というので、自由にやっていた時代の雰囲気とは様変わり。それはそれで、これが大学に対する時代の要請と理解すべきなのでしょう。

「自由にものを考える」「考えるためには学びが必要」

そういえば、週末…多摩市立中央図書館が開館を迎えますが、どんな風に学び溢れる場になっていくのか楽しみですね!私は中央大学の図書館、また、使いたいなあと最近思っているところですが。卒業生だと利用できるのはありがたいですね。明日は6月議会の最終日です。