子どもと学校と地域と。

この間、児童館でスタンプ集めをしていた時に、落合児童館にとてもかわいらしい飾りつけがあり、「西落合中学校で飾る」と聞いたので、その様子を見てきました。

学校にちょうどいい具合の木があって、そこにクリスマスツリーを。脚立に登ったりして、子どもたちが銘々につくった工作=作品を飾りつけして、キラキラ光っていました。まだ明るいのでキラキラがボヤんとしていたのですが、日がだんだんと暮れてくると綺麗なんだろうなあと想像しました。

夕方から青少年問題諏訪地区委員会があり、参加している中学校、小学校の校長先生から「行事など、子どもたちが経験を通じて成長をしていく」とか「自信をつけていく」という話しなどを伺うと、コロナ禍にいろんなことがストップしていた期間、私たちが失ったものは決して小さくないなと。そしてまた、成長過程にある子どもたちであればあるほどに、そのかけがえのない時間にもしかしたら得ることができたものを手にすることができなかったのかもしれないなと。「我慢」とか「忍耐」とか…「息苦しさ」とか…知らず知らずに身につき、無意識のうちに纏いもので自らを覆ってしまう‥‥そんな感覚も身に着けてしまったかもしれませんが。

青少協の地区委員会も諏訪地区だけでなく、その在り方が問われている気がしていて、イベントを開催するにしてもいろんな意味で難しくなっているかなあと。「子ども、学校、地域」とのつながりを切り離せるものでもなく、結局、ゆるやかなつながりを維持していくことが必要だし大切なんだと思っています。学校が地域に頭を下げまくるようなことも違うと思うし、地域が学校のためにと一生懸命になりすぎることもたぶん違うと思っていて、「学校は本来何をするところ、どうあるべき場所なのか」ということに都度都度、時々の環境やらを踏まえながら、了解しあったり、確認し合いながら、進んでいくことが理想なんでしょうね。

「子ども真ん中」

それって、どういうことなのか。そして、それは地域でどう実践されていくのか。大人たち一人ひとりはそれをどう捉えているのでしょうね。「子ども真ん中」と言っているのに、子どもの出番よりも大人の出番が多いとか、子どものために過干渉になりすぎるとか…そういうのはきっと違うんでしょうね。今、子どもたちが成長している社会の状況をどう捉え、そしてどう変えていくべきと思っているのかが見えない…。お金の問題だけではないはずなので。

明後日は勤労感謝の日。