「俯瞰してみて」

今日は3か月以上ぶりにピアノのレッスンに行ってきたのですが、都合がなかなかつかないことを理由にして、サボりすぎていたので…それだけでやっぱり、指やら腕やらの筋肉が退化していることを実感せずにはいられないのです。毎日10分でもいいので、鍵盤に触るほうがいいと痛感したので、なるべくどんなに忙しくても「10分」を心がけてみたいと思った次第です。さて、いつまで続くか…ですが。

ことほどさように…と言いますか、やはり「継続は力」であって、どんな小さなことであっても自分にとって大切にしたいこと(ちっちゃな習慣とかでもいいはずで)を日々積み重ねることは必要ですね。

久しぶりにお会いした市民の方から、多方面に渡りお話を伺うこともでき、「子ども食堂というのがよくわからない。」と言われましたが、私も「子ども食堂」が「すばらしい取組み」のように語られることにはちょっとした違和感があり、貧困対策的にどうしてもやらざるを得ないような現状があることへの解決を急ぐことの方が優先ではないかと思うのです。「ちゃんと家でご飯を食べることができる」が重要なことであって、何らかの事情があり、それが果たせなくなっているとすれば、そこにこそ問題があるというか。

もったいない・・・ということでフードロスをなくすための活動ももちろん良い活動だと思いますが、消費期限間近のものを集めて、いわゆる貧困対策的に活用されているような現状にも複雑な思いがあるのもまた事実。

「俯瞰して考えて」

と言われたのですが、確かに、本質的な問題がどこにあるのかなど、捉えようとする視点というか姿勢を忘れないようにしたいですね。ところで、市議会レポートで、議員や市長などの期末手当増額のことを書いてみることにしました。 「市議会議員って、議員年金も無ければ退職金も無くて、大変なのに、ほとんどの市民はそのこと知らないよね。」とも言われたこともきっかけで。例えば、市民の皆さんは、3月の議会で議員や市長などの期末手当増額の提案がされたことについてどう感じるのかな?も聞いてみたいなと。来週には原稿を印刷に出せるようにと作業中(でも、なかなか思うようには捗ってない)です。

去年は4月は改選でなかなか忙しかった気もしますが、それに比べると今年は穏やか。「お花を見る余裕がある。季節を愉しめる心を持てる。」ことは幸せですね。

春の嵐で。

今日は市内中学校の入学式でしたが、ある意味、思い出深い入学式になったのではないか…とも思えるようなの春の嵐。体育館の天井を見ながら、ずいぶん傷んでいるけど、まさかの雨漏りはないよね…とか思わず、心配になるほどに強い風と雨でした。私が出席したのは諏訪中学校ですが、やはり事情あってで一クラス1名ずつの欠席者がいることは気がかりなことでもありました。そういえば、東愛宕中学校内に不登校対策として開設されたクラスにも新入生がいたと伺いました。昨日は諏訪小学校で新入生1クラスしかなかったのですが、諏訪中学校は4クラス編成だったことに、なんか「よかった」と思ったりもしました。

3月末に定例会が終わってから、毎日が慌ただしく過ぎていくので、こんな暴風雨の日は少し自宅で作業をしたり、読書をしたりできるかなと思いましたが、結局、自宅にいて何をやり始めるかと言えば…真っ先にくるのか「家事」になってしまう。在宅で仕事をするというのは、よほど集中できるような環境づくりというか、きちんと拘束でもかかっていない限りは、つい、他が気になったりで、今日も気がついたら…掃除と片づけをし始めていたという感じでした。

「いや、これではダメ」とばかりに、今月末から連休中に配布できたらいいなと考えている市議会レポートの原稿だけは作成してみて、推敲作業などまでやっとたどり着きましたが。ところで、新商品の「つらターン」ですが、これは、普通のおやつにはなりませんので失敗でしたが、試してみる価値はあると思います。でも、私はリピートないかなあ。

さて、夕刻からは学びの多い会食の機会を得ることができ、とてもありがたく。これから少子化が進んでいく中で、私たちが考えていかなければならないことがたくさんあることを再認識、再確認できました。「おひとりさまの老後」についても、課題が多いなとか。私と同世代は就職氷河期でもあって、いわゆる安定的ではない仕事で生計をつないでいる人数も多いのです。最近、よくこちらを見かけるのですが、「就職氷河期世代への支援」ってどこまでどう進んでいるのか、よくわからないので調べてみないといけないですね。

国民の違和感は9割正しい

これから読みます。「違和感」は具体的な言葉として表現されることが少なかったり、「なんか、モヤモヤするよね」ということで表すのが難しかったりすると思うのです。でも、その感覚を見過ごさないというか、そのままにしておかないことが大事だと考えています。

桜満開で入学式!

市内小学校の入学式でした。ここのところ、例年…桜は卒業式に…という感じでもあって、こうして入学式に桜の花が満開だったのは10年ぶりくらいとも伺いました。私は諏訪小学校の入学式に出席しました。多摩市でいち早く、学校統廃合をして開校した諏訪小学校も今年で30周年を迎えるというのに月日の流れを感じながら、かわいらしい新一年生たちをお祝いすることができました。

そして、諏訪2丁目住宅の建て替えからも10年が経過し、今年の新入生は36名。1名が特別支援学級に所属とのことで、今年は1クラス編成というのにもまた、時の流れと、大規模住宅が抱える人口構成の悲哀というのか、想定内に子どもたちの数が減っていくことを目の当たりにしたような気持ちにもなりました。それでも、子どもたちはとても元気。35人学級編成ですが、これが30人学級だったらなあ…と。そのほうが落ち着いた環境で子どもたちの暮らしがスタートできることは確実。家族も小規模化していることもあって、大人数にも慣れるための時間が必要そうな、そんな気がするのでした。

入学式を終えてから、ゆう桜ヶ丘のギャラリーへ。猫野ぺすかさんの個展を見に行きました。ぺすかさんとはご縁があり、お目にかかったこともあるのですが、多摩市にご実家があるのです。久しぶりに数々の作品を拝見させていただいたのですが、やさしさあふれる原画の数々に、心が洗われるようでした。

焼き絵(ウッドバーニング)を直接見るのは初めてなのですが、こんな技法があるのかと、ただただ感心するばかり。リアルな猫は怖いのですが、ぺすかさんの描く猫ちゃんは本当にかわいらしく、こんな子猫なら飼ってもいいなあと。「はんぶんライオン」。原画を見ながら、お話しの内容を想像してしまうわけですが…せっかくなので絵本を手に取ってみたい。一緒に行った友人は物販がないことを大変残念がっていたのですが、それは私も。

明日は中学校の入学式があります。桜の花がなんとか保ってくれるかなあと思っていますが、天気予報が心配ですね。

「種」を守る。緊急集会へ。

いつもオンラインで視聴するのですが、やっぱりリアルは大事だと思ったので…日本の種子を守る会の緊急院内集会に参加してきました。たまたまお近くに山田正彦さんが座っておられ、直接ご挨拶もできたのですが、「こんなにも集まってくださって、ありがたい」とおっしゃっていました。遠方からも集まってこられ、会場では新潟、徳島、茨城、沖縄、北海道からの参加者もいらっしゃいました。

農政の憲法と言われる食料・農業・農村基本法の改定案が国会で審議入りをしているのですが、その改定案に対して「守る会」では意見書を提出しています。なかでも「種子を守っていく」ことをきちんと明記してほしいと求めているのですが、それについて改定案では一切、触れられていません。この件、多摩市の農業政策という点から言うと、何となく、ピンと来ないのも正直なところ。しかし、私たちはみな消費者である限り、その一人として、全く無視することはできないことなのです。

「食料安全保障」に対しては、少しずつ認識が高まっているように思いますが、そのために、何をするのか、国民を守り、国を守るためにどんな政策をとっていくのかが問われます。日本の風土に合って、ずっと受け継がれてきた種子を守るのは当然のことなのです。その当然が既に崩壊しかかっていて、危機感は増し、高まっているにもかかわらず、今回の改定案の中でなぜ「種子」に対する言及が一切ありません。その裏には一体、何があるのでしょうか・・・。緊急集会では、「誰を見て、どこを向いて仕事をしているのか」「農林水産省は何のためにあるのか」などと憤る意見もありました。

とかく、私は鈴木宣弘さんからのお話しにもあったとおりで、日本の食糧自給率が37%だけれど、そこに肥料、農薬やら、種子の自給率なども加味し、「総合的」に考えると自給率がさらに下がって9.2%になるとも試算される…という数値には驚愕ですが、そのくらい私たちの「食」は自国でコントロールできない状態にあるとも言えますね。そこにこそ私たち国民もまた危機感を持たねばとも思うのです。海外からの輸入に頼みで成り立つのが日本の農業で本当にいいのでしょうか。「いのちを守る」って、どういうことなんでしょうね。

生きていくための「食」の問題に多くの人はどう向き合っているのかも問われます。考えていかなければならないのは私たち一人ひとりなのですが、こうした大事な事実が「知る人ぞ知る」みたいな状態になっていることもまた大問題ですね。そして、担い手不足の問題は今に始まったことではなくさらにさらに深刻で、「農村は消滅してしまう」という現状が吐露されていたとおり、輸入頼みの農業は資材の高騰などにますます首を絞められ、農家を続けられない人が増えているのです。それは、農業が大変だからとか、辛いからとか…それだけの問題ではないような気がします。農業、農村が崩壊しかかっているというか、もう瀕死…それでも、何とか踏ん張っているような状況で、「食」の問題は私たちの想像以上に大変な事態に直面していると捉えています。そこを救うための農業政策は日本にあるのでしょうか。

「安全で安心な食」を考えてみても、私が子どもの頃と比べてもますます。「オーガニックを当たり前に」をめざすような消費者の運動や活動力も低下しているのも現状で、そのくらい、日々が何かに追われて暮らしているのが私たちの現在なのかもしれません。「いのちを守る食」ですから、その源である「種子」を守って当然なのですが、そのために国民的な議論が沸き起こっていない現実が突きつけられ、本当に厳しいとも言えます。私のできることと言えば、こうした集会に参加をすること、あとは、志高く農業をされている方々を応援すること。本当は「マイクロ農業」なんですけどね。「プランターでミニトマトの栽培をやってみよかなー」とつぶやいたら、即効「やめたほうがいいんじゃない」という家族の声…よくわかっていらしゃる。

みんなの食卓を安全で安心なものにしていきたい。そのための政策とそのための税金の使い方を実行していくことが大切。しみじみと感じる今日この頃です。

ちいさなお店が増えるといいなあ。

そうだ!…と思い出して、今朝は唐木田駅前での活動を終えてから、住宅街の中のパン屋さんへ。やっと、買うことができました。朝の8時すぎで、ホッカホカの焼きたて食パンから湯気が。私はバゲットが欲しかったのですが、残念ながら、まだ焼き上がりの時間ではなかったみたい。今度、また、タイミングが合えばいいなと思っています。

帰宅してから、早速、購入したパンを食べてみたのですが、ふんわり甘くておいしい。ミルククリームの挟んであるフランスパンはまた買いたいくらいにおいしい。昔、帰省するたびに買いに行っていた田舎のパン屋さんでお気に入りだった「ミルクパン」を、「孫のために」とばかりに大人買いしていた祖父のことが頭に思い浮かんで、ちょっとしんみりした気分になりましたが。

こんなふうに、地域にちいさなお店があって、常連になれば顔見知りにもなれて、ますます食べて支えていける関係性ができていくっていいなあと思います。これもまた「地産地消」ですね。地域のお店はやっぱりコミュニティのハブになっていきます。

ここ数年、「お米を食べる」に食生活を切り替えていることもあって、パンが食卓に上る機会は以前と比べてもめっきり減ってしまったのですが、やっぱり、パンは美味しいなあと再確認するようなひとときでした。パンを食べ始めると、「パン>ごはん」になりそうな気がしていたりして…。最近は「米粉」を選ぶことは日本の主食を守ることにもつながるのかなと思ったりしているので、「米粉」の良い商品を探していますが、また、時々、ちいさいパン屋さんには立ち寄りたいと思います。

ところで、「多摩市の学校給食無償化」ですが、これも、単に子育て世代の負担軽減とか、それに留まらせてはいけない。多摩市だけで取り組むなら、それで終わってしまうと思うのですが、国全体で取り組んで、「学校給食の無償化」からの「食材を国産に」「食材をオーガニックに」という風にきちんとつなげていくことが大事。なぜ、「無償化なのか」について、もっと奥深く考えたところの政策効果を見ていくことの方が必要。

(※注目される有機給食 農家を支援、給食費も無償化 千葉県いすみ市の取り組み 東京新聞より)

なので、農業生産の多い地域では学校給食の無償化で、そこに投じた税金をきちんと地域の農業に還元していき、「地産地消」で地域経済の循環や地域の農業、土を守っていくことにもつなげていくわけなので、ものすごーく意味がある。東京都の学校給食無償化も、どこを向いているものなのか…私にはいまいち疑問で、自治体の財政力によって取り組む取り組まないの格差が生じていること自体も大問題。都内全域で学校給食を無償化し、そのことを都内すべての農地や生産者、担い手を守っていくような循環形成へつなげる政策をつくってほしい、そこにこそ意義と意味があるので。

とにかく私は「日本の食卓」を守ってほしい。そのために、日本の「土」を守っていきたいと思います。アメリカで家畜のために生産している遺伝子組み換え作物(エサ)を日本にどんどん輸出し、日本はそれを輸入しては国民が消費しているのが実態とも言われます。「私たち、本当に、それでいいの?」なのです。

「学校給食の無償化ばんざい!」ではありません。そこから、もっと一歩も二歩も進んだところに、私たち自身の健康を守っていく、そのために私たちの住んでいる場所(国)を守っていくという意味があること、頭の片隅に置いておきたいですね。そして、政策効果とは何か、政策はどうあるべきなのかを考えさせられる事例にもなっていると思うのです。

せめて、多摩市でも学校給食の無償化をするのであれば、子どもたちが食べる「お米」にこだわるとか、何か、もう一つ策を練りたいものです。

10年間ふるさとなみえ博物館@関戸公民館

今週末に開催される「せいせき桜まつり」にあわせて、「10年間ふるさとなみえ博物館」の展示が行われています。少し前までは、多摩第一小学校でも展示がされていて、先月末から関・一つむぎ館、そして、明日から関戸公民館のギャラリーに場所を移しての展示となります。展示準備のお手伝いをさせていただく機会に恵まれ、関・一つむぎ館での展示物を片付けて、関戸公民館ギャラリーに運んできました。(東京新聞にも記事掲載されています)

桜ヶ丘商店会連合会のみなさんが中心となり、毎年、東日本大震災が発災した3月には福島の子どもたちとの交流を積み重ね、桜まつりにちょうど合うタイミングで、私たちの記憶を少しでも風化させず、そしてまた、そこから私たち自身が学ばなければならないことを伝える機会をつくってくださることは貴重だと感じています。私も可能な限り、多摩市の子どもたちと福島の子どもたちでつくるコンサートなどに足を運んでいるのですが、「大人、もっと頑張らないといけないのにな」という心境になり、自分の未熟さを感じたりもするのです。

こうした取組みも、継続することは簡単ではありません。「あれから10年以上」にもなってしまうと、残念ながら、私たちもあの時に感じたこと、考えたことから遠ざかっているのが正直なところではないかなと。

もちろん、それは、ある意味で時間の経過の中で、それとともに前向きに歩んできた、いろんな意味で立て直しをしてきたとも言えるのかもしれませんが、でも、やっぱり「忘れてはならない」のだと考えていて、特に、私たちは福島の原発事故のことはまだ現在進行形で自分事として捉えながら暮らすことが必要ではないかと。だから、継続して取り組んでくださっている商店会連合会のみなさんの志には頭が下がる思いです。「継続は力」…蓄積されているものを感じているのは私だけではないと思っていますが。

 

それにしても、あの時、東京に住んでいる私たちに問われたことは何だったのか。そして、計画停電なども含め経験をしてきた私たちは、今、どう私たちの暮らしの中に教訓を生かすことができているのか。本当はあの震災で私たちすべてに「暮らし方」「生き方」の問い直しがされたのだと考えていますが、それでも、自分自身も根本的な問い直しができているとは言い難いかな。反省。

 

だからこそ、こうした展示に触れ、改めて考える機会を持てたり、新たな学びに出会えることが大事。子どもたちが心を込めて制作した数々の作品にはどんな想いが込められているのでしょうか。「なみえっ子カルタ」に綴られている子どもたちの心情とは…そこに私たちは何を受け止めることができるでしょう。

 

ぜひ、多くの方に足を運んでいただけるといいなと思っています。

新年度はじまり。

週末の暖かさで、花盛りになってきた。花壇のお花も満開で、本当にきれいだなと思います。今日から新年度となり、私も心機一転で。1月1日があって、4月1日がって…と何となく、気持ちがリセットできるのはありがたいことかなと。進学、進級とあとは新社会人などなど、それぞれのみなさんの良きスタートになりますように。

南永山小学校の跡地はやっぱり広い。尾根幹線も拡張していることもあり、沿道沿いである当該地はどんな活用が考えられるのか…とも言われていますが、住宅地と隣接しているので。

もうひとつ、図書館本館のあった旧西落合中学校についても、今後の活用がどうなっていくのかしら?…とも思っていますが、過去の記憶を思い起こせば、図書館本館をどうするのかの話しが協議されていた当初の桜美林学園との確認書はどうなった…ですよね。図書館本館を中央図書館として現在地に建設することが決まった時には、土地交換はしないのだから、「確認書」についても白紙に戻すのかなと思っていましたが、当時、、「道義的責任」がものすごく主張され、協調され、桜美林学園の小中一貫校の計画に向けて多摩市は最大限協力しなければならない…くらいのことが言われていました。

なんか、現在進行形の永山駅前の土地。日本医科大学多摩永山病院のためにURと土地交換やら、その後の諸経費含め、約5億円ほど市民の税金を使っているのですが、今後、どうなっていくのでしょう…。「病院が移転建替えするまでの間、駐車場などとして活用していく」という考えが示されていることが意味することは何?…と目を向けてしまうのは当然のことですね。「いつ、新しい病院が建つのか」としばしば尋ねられるのですが、「移転してくれるかどうかも微妙によくわからないというか、まだ、確定していないようです。」という回答しかできません。市長が交渉をしているはずですが、議会にはほとんどと言っていいほど、その動きが見えていません。

最近、運動不足を実感しているので…新年度切り替わったタイミングで、ポンコツぎみな自分を鍛えてみようかと思ったりするのですが、長続きを考えるとやっぱりウォーキングが良さそうですね。

「正しいことを言ったら、嫌われるんだよ。」と教えていただいたりして、今日も収穫の多い一日になりました。