平和紙芝居-恵泉女学園大学平和紙芝居研究会KPKA

最新号の議会だよりの最終ページ(市民と議会 つながる)に掲載の恵泉女学園大学平和紙芝居研究会(KPKA)のみなさんが多摩永山中学校で授業をされると伺い、議会だより編集会議の本間としえ議員と一緒に見学してきました。たまたま、一昨日、議会だより編集会議に出ていたのでラッキーでした。もし編集会議に参加していなければ、案内についても知らなかったかなと。

KPKAのみなさんが多摩市内でもいろいろな場面で活躍されていることは存じ上げていたものの(タウンニュースなどでも取り上げられていました)、実際に参加する機会は逸していましたので、とても貴重な機会となり、そしてまた、中学生への授業ということで、生徒の皆さんの反応なども含め直接感じることができ、有意義なひとときでした。やっぱり、「リアル」というのは大事。

戦争を直接知らないというのは、全くもって私も同じ立場でもあり、もちろん「戦争は反対」という考えも同じ。でも、こうして直接、自分自身が「平和の語り部」として活動していくまでには至っていないことを思うと、私よりもはるか若い世代(娘と同じ2000年代生まれ)のみなさんが広島や長崎での原爆について調べ、考え、そして、「二度と戦争はしてはならない」という強い気持ちをもって行動している姿は眩しく、そしてまた心から「素晴らしいなあ!」と尊敬できるものでもあります。

ほとんど多くは「平和であることが当たり前(戦争はしていないという意味で)」の社会で暮らしている中で、「なぜ、今、私たちはこうして暮らしていられるのか」を考えることはしていない。「していない」…しないつもりはないのかもしれませんが、そうすることを忘れてしまうくらいに、日常が続けられているのかな。

そんな私たちに「過去」を知らせ、伝え、学ぶことの重要性と必要性と意義を伝えてくれる活動。本当に尊いものだと思います。そのことを理解し、わかっていたとしても、やっぱり「行動していく」につなげていくことは簡単ではないです。

 

「戦争」「平和」という言葉から生徒の皆さんがイメージすることを言葉にしてもらい、そして、平和紙芝居「二度と」を上演したのち、生徒の皆さんがグループに分かれ、「二度と」の紙芝居を回して読んでいく。お手本で読んでくださった「二度と」の印象を頭の片隅に自分にとっての平和、そして戦争のことを心に思い浮かべつつ、綴られた一文ずつを読み進めているんだろうなあ…と。そもそも紙芝居は知っていても、自分が演じ手になるのが初めて!という場合もありそうですね。

「音読効果」が言われるように、「言葉」を眼で追うだけでなく、自分の声で「音」にしていくことは、何よりも大事。なぜなら、音にするとき、同時にそこには魂がこもるはずなので。「言霊」とも言えるかも。つまり、その言葉が自分自身に返ってくるので。最後に授業に対する謝辞を述べた生徒さんが「読むのはとても難しかった」と挨拶をしていたのですが、まさに、その一言にすべてが集約されていると言ってもいいでしょう。2年3組のみなさんもありがとうございました。生徒の皆さんの素直すぎる反応にはやや驚きもしましたが、「平和」を考える時間を素直に受け止めることができている姿にはいいなあとも思いました。

KPKAの皆さんもただ「紙芝居」を上手に読むだけでない。「その背景」により深い理解を持ち、ストーリーに向き合い、そして、伝わる音と言葉にして紙芝居を演じてくださっているはずです。ぼーっと見学している自分が何だか恥ずかしくもなったというのが正直な気持ちです。「平和の種をまいていきたい。ぜひ、みなさんも一緒に」との呼びかけがありました。こうした活動に賛同し、多摩市からも「平和の語り部」が増えていくといいですね。実際に被爆者など戦争を体験する世代が少なくなっている中、違った形で私たち自身が「語り部」になり、過去を未来につなぎ、平和を守っていくこと・・・できなければいけないし、しなければならないことですね。恵泉女学園大学は学生募集を停止することになっていて、今後についてはちょっと気がかりだったりしますが、以前、恵泉女学園大学を訪問した時にお会いした活動力のある学生さんたちも参加をされていて(女子!)、とっても頼もしい。ぜひ、機会あれば、みなさまもKPKAさんの平和紙芝居、ご覧いただきたいなと思います。議会だよりにもある、リトルシスターズのみなさんの活動にも注目ですね!

だけど、言わなきゃ変わらない。

議会だよりの編集会議がありました。基本的には?…というのか、各会派から1名ずつのメンバーが参加しているものの、何せ、今期の多摩市議会は私を含めて一人会派だけで5名もいますので…交渉会派5会派+一人会派5会派…ということで、「会派ごと」にすると総勢10名になってしまい、結構な大所帯。そんなこともあり、議会だより編集会議には、一人会派は順番に一人ずつ参加することにしています。次号5月5日号は私に順番が回ってきました。

久しぶりに編集会議に参加をしましたが、共産党の小林憲一さんが変わらずに編集長を務めてくださっていて、ホント、会議はスムーズで手慣れたものだなという感じ。結局、これからのことを考えると、ずっと小林さんに任せっぱなしでいいのかしら?とも思うのですが、今のところ余人をもって代えがたいという理由により、ずっと変わらず編集長で引き受けてくださっていて、とにかくありがたいだけの話しです。

先日、市議会議長会の研修会で「議会だよりの編集など、市民にも参加してもらうとか、市民が議会に関わる入り口をつくっていく」という話しを聞いたこともあり、例えば、議会だよりのモニター制度など工夫ができないかなと思ったりもします。紙面が限られている中で、どこまでの情報を盛り込んでいくのか、伝えたいことをできる限り伝えられるように‥‥などなど、文字の大きさ、写真の大きさ、色の使い方やイラスト、レイアウトからもちろん表現の仕方なども含めて、結構、意見交換をしながら、あーでもないこーでもないと作業をしているのです。それでも、特に「文字の大きさ」については「小さすぎる」という指摘もあったり、見た目にも「文字ぎっしり」の印象が読む気を削ぐなどお声をいただくことも多く、「万人受け」がいかに難しいかと悩ましいところです。市民も一緒に参加してもらうことはいいアイデアかなと思いますが、一足飛びに「市民が直接関わった議会だより作成」には行けないと思うので、まずはその前段でモニター制度は良さそうですね。

さて、久しぶりと言えば、おしゃれ素敵なランチ会に参加。こちらも久々集まるメンバーで子どものこと、仕事のこと、活動のこと等などあれこれと話題は尽きず、ノンストップで喋り続けたわけですが。

「誰かが言わないと変わらないよ」とか「変わるものも変わらない」とか、「やっぱり、言うこと大事」とか…疑問があるのにグッと飲み込んでしまうとか、違和感があることなのに黙って耐えるとか…そんなことには何の価値もなく、「おかしい」と感じたことについて、発信していくことは時と場合にもよるのかもしれませんが(と少し冷静にもなりつつ)、やっぱり必要で、大事なことだなと再認識させられた次第です。

「だけど、言わないと。」

って、すごく大切。もちろん、それですぐに何かが動くとか、変わるとか…思い通りに行くとも限らないわけですが、でも、言わなければ「それで良し」とされて、もっともっと自分の思っていない方向に物事が進んでいくことも往々にしてあると感じます。

政治の話題を見聞きすると、気持ちが沈み、「何やってんのかなー…」と自分自身まで落ち込み暗澹たる気分になり、お先真っ暗と感じることも多いのですが、私から率先して、そんな気持ちになっている場合じゃないなと。そんな気持ちを思い出させてくれるというのか、ちゃんと背中を叩いてくれるというのか、思考回路をただしてくれるような仲間には感謝ですね。

質問づくり中。

昨日からの降雪により、今日の予定はキャンセルに。ほぼ一日、市長の施政方針について、演説用の草稿が提出されたので、それを横目にしつつ、質問の原稿を作成しています。もちろん、時々、家事をしつつになるのですが、それでも、ずっとパソコンをつけっぱなしという…。これは、本当に身体によくないなと思います。自宅でオンラインで仕事している知人が「じっとしてる。」と言っていたことを思い出したのですが、今日はそんな一日でもありました。でも、なかなか捗りません。

阿部市長の施政方針について、ベースの原稿を作成しているのは企画政策部の職員と聞いているわけですが、第6次総合計画基本構想から「市民主権」という言葉を削除(むしろ、排除)したことについて指摘してきたことを意識してなのか、「市民主権のまちづくりを進める」と2か所で用いられているのが目につきました。随分、意識してくださっているようならありがたいことで、うれしいこととも言えます。阿部市長がずっと掲げてきたのは「市民主権」」であって、私もここにこそ共感をしてきたわけなのですから。

それ以外、あとは、とても無難ないつもどおりの原稿で、来年度あれもやります、これもやります、気概を持って進めていきます・・・と端的にまとめればそんな感じの内容です。じきに、施政方針の内容は公開されます。広報にも掲載される内容ですね。

ところで、これまで、粉骨砕身とか全身全霊とか…って言葉を用いて、市長の構えを表現していたと理解していますが、今回は「気概」という言葉に。強い心意気、困難にもくじけない強い意志を持つということですね。

阿部市長は凝り固まった考えに縛られず、比較的、いろんな意見を聞いたり取り入れることのできる柔軟さをお持ちで、それは悪いことではないけれど、ともすれば「優柔不断」にも成り兼ねないところがあるので、「気概を持って」絶対に取り組むべきことには取り組んでほしいと期待するものです。ここ、阿部市長になってからずっとずっと変わらず思っていることでもありますが。

 

今は多摩市に限らず、社会全体で「持続可能」が言われているわけで、もちろん、お決まりのように「人口減少を見据えて行財政運営を進めていく」ことが述べられるようです。この点についていえば、「次世代に負を先送りしない」ための市長の取組みは甘すぎるというのが私の評価ですので、ここにこそ、「気概を持って」をしっかり貫いてもらいたいものです。市長の気概を発揮するポイントを間違えないでって思います。

「市民が望んでいることをやる」それこそ、一部の市民ではなく…ここが大事なことですね。全体を俯瞰すること、大局的に考えていくこと、ここを忘れないようにしないと。ここ、自戒を込めて、そう思ってます。フェアな市政を。

立春が過ぎて。

昨日は立春だったので、あとは春を待つだけ…というわけにはいかず、予想通りの大雪となりました。今日は午前中に委員会の打ち合わせがあり、午後から東京都市議会議長会の研修会。法政大学の廣瀬克也先生の講演会でした。いつもながら、的確なアドバイスをくださり、ちゃんと聞いていれば、納得のいく話が多かったのではないかと思います。

「合議制である議会の機能をどう高めていこうとしているか」「議会基本条例は絶えず、見直していく視点が大事」…「議会基本条例をつくる時の熱量が継承されていない」という指摘は痛快だったように思いました。

「(ベテランの議員には)わかりきっていることでも、議会のめざす姿など含めて、きちんと言語化していくことが大切」というのもそのとおりかもしれません。「議会を良くする」という視点で、議会活動の質を高めていくことが市民のためになっていくのはそのとおりだと思っています。ちょっと、気持ちたるんでた自分も反省です。

ところで、先週末、東愛宕中学校で4月から開設される「愛宕スペース」(まだ仮称)について説明がありました。不登校対策として設置される学校内の学級という位置づけ。不登校特例校などと異なり、通常に準じたカリキュラムになるようですが、学校に行かない期間が長ければ長いほど、学習に遅れが生じている場合もあり、そこはきめこまかな対応がなされていくのかな?と期待しています。しかし、教員配置や指導員の配置をどう考えていくのか?とか、決まっているようで、まだ不確定要素も多い感じがしています。4月からスタートするので、現段階でできる限りの説明が行われ、保護者への相談などにも対応しているとはいえ、未定なことも多そうで「選ぶにはなかなか勇気がいるな」という声が聴こえてきます。どうしても、保護者への説明会になってしまうのは仕方ないというか、そうならざるを得ないことも理解しますが…本当は当事者を大事にしたい…つまりは、学校に足が向かない、向きにくくなった子どもたちにも情報を届けることをしていかないと。こうした場所をつくるならば、なおさらのことで・・・当事者が「行きたい場所」をつくっていきたい。

そういえば…今さらながらですが、学校は子どもたちが「行きたい場所」になっているのかな。

今日は市長が3月議会の初日に行う施政方針演説の原稿案が提出されました。一人会派だと代表質問というかたちにはなりませんが、市長の施政方針に対する質問を考えようかなと思っています。明日の予定、キャンセルになったりで、時間ができたのはありがたい。大雪予報に備えて市役所はもちろんのこと、建設協力会や消防団などが備えてくださるのはありがたいこと。子どもたちだけは大喜びしていました…。私はバイト先から娘がちゃんと戻れるか、だいぶ遅い時間までヤキモキしておりました…。

どう優劣がつけられるの?

ずっと行けていなかったのですが、なるべく人混みのない時間帯にと…滑り込みセーフで展示終了時刻間際に駆け込んできました。多摩市内の小・中学校が合同で開催している連合図画工作・美術展。

それぞれに子どもたちが自分なりのパフォーマンスを。どれもが力作だなと思う時、図工の先生、美術の先生たち…何を観点にして評価をしたり、採点をしているのかなあと。「授業態度」も採点する観点の一つになっているのかもしれませんが、そんなことで評価することが馴染むのかどうか…。優劣つけがたいというか、つけること自体が難しいというのか。

「何もしない」ということもまた、その子自身の表現の一つなのかもしれませんし。そういう意味で、どこを観点にして「その子の表現」を評価するのかを明らかにすることの方が大切かもしれません。「なんで、そんな評価されるのかわからない。」という声、聴くこともあるので。相性が合わない指導も時にはあると思い、そのことも含めて、先生や学校がどう受け止めていくのかも…今後ますます問われそう。

さて、力作ぞろいと、たくさんの想像が込められた作品たち。決められた大きさの画用紙の中で描くのとは違い、木工などはいろいろなパーツを組み合わせたりして…どんどんアイデアが膨らむと大きくなっていくんですよね。積み木でのお城づくりなど、どこまでもどこまでも大きく大きくしていけるのが楽しくて…最後には積み木が足りなくなってしまう…みたいな。私は「お家づくり」のようなことがとても好きだったことを思い出します。家で絵を描くときには、昔は…新聞広告などの裏紙をつなぎあわせたりしましたが。

とにかく子どもたちの想像力の広がりはすごいなと。そしてまた、子どもたちの作品を壊さないようにして、会場まで運んでくるのも一苦労かな…とか。いずれにせよ、こうした作品展を見ていると学校ごとに特徴があるというか、先生の経験値が表れてしまうようにも思うのですが、それは別として、全ての作品は素晴らしい。いつの時代も子どもたちは大人よりも縛られず、自由な発想を持っていて、うらやましい。

そして、中学生になるとグンと技術がアップするというのか、技量を磨くようなレッスンを受けているなと思いますが、なかでも、今回の一押しは多摩中学校の「ご当地マンホール」。これはとてもユニークで面白かった。

ハローキティちゃんとか、ラスカルもいいのですが。多摩市のゆるキャラ?「にゃんともTAMA三郎」を活用したり、小野神社をイメージした素敵な図柄、パルテノン多摩の大階段の図…ユニークな作品が勢ぞろいしていて、この中からご当地マンホールに採用したいものもありました。子どもたちの地域への愛着を感じることができる図柄が揃っていて、「なるほどなあ」と感心。

さらに、中学生になると「表現している自分と向きあう」ことが主題になっているのか「自分と向き合って表現する」というのが性格なのかもしれませんが、自分自身の「心」をいかにカタチにしていくのかに挑戦しているんだなあと。それぞれ作品への想いを言葉にして子どもたちが綴っているのですが(終了時刻が迫りすぎていて、残念ながら全部読み切れず)、受験期にある自分、悶々として言う自分の日々、将来に向けての希望などなど…葛藤を表現している子どもたちの姿がありました。心揺さぶられます。自分の昔を思い出しつつ。

作品を通じて、見えてくる子どもたちと、その子どもたちに向き合っている先生の存在と…。何となく学校の先生たちの頑張りも見えてくる感じがあり、学校って大切だなあとしみじみしながら、会場内作品を見ることができました。各学校とも実は各先生たちの力量も無限なはず。もしかすると、その力をどこまで引っ張り出せるのか…そこにはリードする人物の力量もあるかもなと思ってみたり。いい作品展でした。各小中学校での作品展なども本当は見て回りたい。