組織を改編すればうまくいくのか。

認知症が進行するスピードは人によって異なるのだと思っていますが、進行を遅らすことは難しくて、だけど、ズンズン進行してしまうことはあるのだろうと感じています。認知症当事者に接するというのはとても忍耐のいることであって、成長していく子どもを見守るのとは異なるストレスがありますね。この先の希望をどう見いだしていくのか、先々のことを考えたところで、気持ちが晴れやかにはなれず、どよーんとして黒雲が襲い掛かりそうです。

今日は委員会がありました。市行政からの言葉を借りれば「従来の協働ではなく、新たな協働を進めていく」となるのでしょうか?それが「地域協創」の仕組みなんだそうです。「従来の協働」だとまちづくりが上手くいかないらしいです。ここから「新たな協働」に切り替えていく必要があり、そのために「協創」という言葉が必要になるそうです。「従来の協働」…ということは、これからは「新たな協働」とでもなるのでしょうか。線引きやら区分けをしていく意味がよくわかりませんが、そういえば、今は多摩市ではほぼ廃れてしまい、使われなくなりましたが、かつて「新しい公共」という言葉が使用されていたことを思い出します。言葉を変えても、そこにある現実が変わるものでもなければ、言葉を変えれば、何かがより良くなったり、上手くいくものでもなく。ただ、少しは意識が変わるとか、あるいは「何となく、変わった気になる」効果くらいはあって、魔法言葉というか、言葉マジック、マジックワード。

言語明瞭意味不明…ではありませんが、はっきりいって「協創」という言葉の意味がよくわかりません。日本語辞書に載っていません。不存在の言葉であって、市長も「造語である」と明言されていました。

こうした言葉を用い、何となく目新しさを出すことを否定はしません。今回、第6次総合計画に基づいて「協創まちづくり」を進めていくそうですし、そのために「協創推進室」の設置をするそうですが、現状と照らし合わせれば「協創推進準備室」くらいのレベル感であって、わざわざ組織条例を改編して部長職相当を設置する「室」にまで位置付けてしまってもよいのかしら?とも思います。まあ、市役所組織については市長の専権事項とも言われることですし、市長の政策を進めるために必要な組織体制を整えていくべきとも思いますが、組織を改編して、機動力がどれだけあがっていくのか、きちんとフォロー…というか議会の監視機能を働かせる必要があるなあと感じています。

ところで、今日、委員会に出された資料のなかで「あじと」という言葉が用いられていたのでびっくり。みんなで集まり、知恵を出し合い、多摩センターの「まちづかい」を考えていく拠点のことを示す言葉として使用されていたようです。そもそも「まちづかい」という言葉にも賛否両論存在します。「まちづかい」という目新しい言葉が人を惹きつけるとか、そんな効果もあるのかもしれませんが、「まちが使われる」という何とも上から目線で、心象悪い…とおっしゃるかたもいるのです。それに重ねるかのように「あじと」という言葉が使用されていたので、思わず、「この言葉はあまり印象よくないのでは」と指摘しましたが、印象が良くないというか、行政の作成する文書に使うべきではない用語としか思えません。

あじと…「 (agitating point の略) 労働争議や非合法活動などをひそかに扇動する秘密指令所。転じて、地下運動者の隠れ家。さらに転じて、組織的な犯罪者の隠れ家をもいう。」

まあ、他人のこととやかく言える分際でもありませんが、「あじと」という言葉を使用するセンスが‵がらっぱち´というか、なんか、俗っぽいというか。相応しさに欠けるかなと。ことば、大切だなと思います。

そういえば、都市計画税が現行通り、また3年間据え置きの提案がありました。多摩市は都市計画税は0.20%で下限まで下げている状態。今後のことをかんがえると、税率の引き上げを考えていくべきという意見もありますが、目的税である都市計画税をどう使うかを考えていくと、現状で対応できるそうですが…。私としては現状で対応できず、税率を引き上げる方向性に舵を切らなければならないとき、市民にどう告知、周知して、理解や合意を取り付けていくのかな…ってことが気になっています。税率下げれば、みんなに感謝もされ、ありがたがられ、「よくやった」とか言われるわけですが…。

さっき、社会で全体が「よかれ」と思いこまされていることほど、その裏で思いもよらない苦しさや無念さに直面している人いる…という一文が目に入った。ここ、肝に銘じておきたい。