愛和小学校で学校ICTに熱意あり取り組んでおられた松田孝校長。私もその熱意を応援してきた一人でしたが、残念ながら3年が経過したところで小金井市の前原小学校に異動され、現在は愛和小学校での取組み実践を踏まえた次の展開に挑戦されています。あちこちから松田校長の奮闘ぶりを耳にしながらも、「いつかいつか」と思っているうちに時間ばかりが経過しておりました。
あ…そう、議長になると気軽に出かけにくく、興味関心の赴くままにあちこちに行けていない…。
それはさておきで、今日は桐朋出身の三多摩議員メンバーで実施をした初企画の視察に参加してきました。ホストは小金井市の沖浦あつし市議です。せっかくの桐朋つながりを活かしたい!・・・と記念すべき活動の初回です。私たち…というよりは、私が無理矢理視察先を選ばせていただき、松田校長のいらっしゃる前原小学校への視察の実現となりました。私たち昭和生まれの議員には経験したことのない「プログラミング教育」は「見なければわからないことがたくさんある!」…松田校長の取組み実践がどこまで進化しているか?というのも私の興味の一つでした。
やっぱり思った通り、松田校長の取組みはパワーアップしていました。そこには小金井市教委の後押しもあると思っておりますが、それ以上に文科省も「プログラミング教育」必修化…に向けて舵を切っていることにも大きく後押しされていると思います。ですので、松田校長の取組みにはさらに注目が集まっている様子。今日の視察には石川県からは副市長に教育長に随行メンバー(10名くらいいたような気がする)、そして静岡市からは市教委、教員と市と協力しておられる民間のロボット製造会社さん、タミヤさん(ラジコンの)、また、都内で子どもたちに’ことば’とプログラミングをっ組み合わせた学習教室を企画しておられるNPOのみなさんもご一緒で大盛況でした。
「説明するよりも、見てもらった方がいい。子どもの姿をぜひ見てもらいたい。」ということでまずは、授業見学。
先ず…これがプログラミン教育をやっている教室内の雰囲気。熱気あふれていてクーラーの効き目も半分になっておりました。子どもたちが入り乱れていて、先生もどこにいるのかすぐには探せないような感じ。シーンとしているわけではないけれど、でも、子どもたちの真剣さが伝わってくる空気。
プログラミングの授業は子どもたちは1人ではなく、2人以上のグループになり「一緒に考える」が基本です。見学をした2年生の子どもたちが使用していたのは「いちごジャム」。とても操作は簡単で、ゲームのカードを組み合わせていくような感じ。まずは、ロボットをどう動かそうかと知恵を寄せ合う子どもたち。ロボットの動くスピードを確認し、そこから何秒動かせばどのくらい進むのか、そして、左に曲がる、右に曲がるなどとそれぞれに考えたことを出し合っています。その考えをもとに、タッチパネルで「動く」「止まる」「曲がる」などのカードを動かしながら、並べ替えていきます。
そして、いよいよ実際にロボットを動かします。しかし、1回目はなかなかイメージ通りの動きをしないロボットたち。「あー!」「そっかー。」と、子どもたちは落胆。しかし、これがこの授業の醍醐味。失敗すればやり直す。もう一度、自分たちの考えた「ロボットの動き」を見直し、プログラムを微修正。そして、また動かします。その繰り返しで、子どもたちはみなでイメージしたロボットの動きを作っていくのです。頭を動かし、手を動かし…そして話し合いもしていく…。
実際に言葉のやりとりを聞いていると、決して互いを責めるような言葉はなく、会話が「こうしたほうがいいよ」「こっちにしようよ」とものすごくポジティブな提案型のやりとり!子どもたちにはチャレンジ精神が溢れ、「失敗が成功のもと」とトライ&エラーを繰り返しが教室内のあちこちで生まれています。途中で投げ出すことはなく、一人で考えて答えを出すではなく、みんなで協力し合う…そこにあるエネルギーというのか、同時に子どもたちの集中力の高さを肌で感じました。
「好きな授業は音楽とプログラミング」「体育とプログラミング」「プログラミング楽しい」と子どもたちの声です。授業の雰囲気はとても明るい。みんなで失敗し、みんなでやり直し、そしてみんなで成功する…そんな経験の積み重ねがあるかでしょうか?さらには、うまくいった!成功した!と他のグループの成功を周りもみんなで喜ぶ…それが「わざとらしくない」んですよね。誰かひとりが発表して、それをみんなで拍手する…みたいな感じではなく、自然と「上手くできた!」を感じ取りながら、褒め合って認め合っていく…その重なりを感じました。
あ、・・・先生は?・・・先生何してるの?ですよね。
機器の動きが悪くなった時だけは、子どもたちは先生を頼るようですね。先生は授業の冒頭で「今日課題」「授業の内容」だけを伝達すれば、あとは子どもたちの「自主性」にお任せ。子どもたちに「まずは、やらせてみる」そして、子どもたちが本当に本当に困った時にだけ…先生の出番有という感じです。そもそも、ロボットの動かし方に「答え」はありません。みんなで「答え」を考える、「答え」を作っていくことに大きな意味があり、そこを授業が成り立ちません。ここが教科の授業と大きく異なるところ。「答え」を教えるのが先生の役割ではないのです。
多摩市でもESDを推進し、「2050年の大人づくり」と目標に掲げ、「答え」をみんなで見つける学びに取組んでいますが、「プログラミング教育」のいいところは、その場でトライ&エラーとできることかもしれませんね。考えたことがすぐに目の前で実現したか、しなかったか、そして、その場でまた修正できるかできないか…。柔軟性、臨機応変の対応力はもちろんのこと、上手くいかなかったときの原因分析などなど探究する力も含め、実は多くの要素を必要としているのがプログラミングだなと思った次第です。
松田校長が「プログラミングが新しい『学び』の象徴!!」とおっしゃる意味はココにあり!と私は現場を見てしみじみ感じたのでした。
私が最も感激したのは小学校5年生のクラス。わりと年配の女性の担任の先生でしたので、「プログラミング教育どうですか?」と尋ねてみましたら、「私は4月に赴任してきたばかりなんですよね。だから、プログラミングのことは子どもたちに教えてもらってるんです。子どもたちから出てきた発想を黒板にまとめているだけです。」と…こちらも基本的には子どもたちにプログラミングの授業でやる「テーマ」を示すだけで、あとは子どもたちに任せながら、その中からみんなで共有したほうがいいことを先生が黒板にどんどんまとめていくのが役割になっていました。子どもたちのアイデアがマインドマップのように板書されています。
要するにプログラミング教育とは「答え」の出ない教育。そして考えた数だけの「答え」がある教育。ただし、「答え」に正解も不正解もなく、そこに求められるのは常に「よりよい」を探し続けるマインド。一見、ゲーム性もあり、昭和の常識に照らせば理解しがたい授業風景かもしれません。しかし、先生たちはこれが「遊び」ではなく、授業であることを子どもたちと共有しなければなりません。ある意味、これは鍵かなと思います。「遊びじゃないよ!」というところで、先生がどう授業を作ることができるのか?・・・そこに力量が問われそうです。
子どもたちそれぞれに「自分たちの考え」があり、そこにプログラムを当てはめていく、…それがピッタリくる場合もあるけれど、来ない場合もある…その時に次のアイデアを出す…そして出し続けなければならないのです。当然一人だけではできない作業とも言えるでしょう。そしてまた、先生が答えを持ち合わせているわけでもありません。「答え」知っていて、「答え」を教えるのが先生の役割…というような教科の授業と同じような先生の態度では成り立たない授業とも言えます。
ですので、「プログラミング教育」と聞いただけで、まずは機器の操作?できない?難しい?「どうしよう・・・」「できない・・・」「やれない・・・」と現場の教師の中には抵抗感を示す人が圧倒的多数であろうと思います。しかし、プログラミング教育の本質を正しく理解することで、実はそれほどハードルは高くないのではないのか?と思うのです。なぜなら、やっぱり先生は先生で、先生が果たすべき役割があるからです。そしてまた、果たさなければならない役割もあるからです。
一番は…話し合いにうまく加われない子どもたちをフォローすることだなあと私は思いました。「みんなで考えを寄せ合う」「ひとりひとりが参加する」をコーディネートすること。子どもたちそれぞれの性格もあるでしょうし、それらを先生は把握しながら、上手に全ての子どもたちが話し合いに参加できるように「必要以上の口や手は出さず」にそっとフォローすること。そして、先生はみんながそれぞれに考えを出し合ったことを筋道として可視化し、あとから確認できるようにすること…私は「プログラミングのことは全然わからない」とおっしゃりながらも、子どもたちの中に入り、一生懸命奮闘する先生の姿を見て、「こんな風に学び合ってくれる大人がいると、子どもたちもきっと楽しいだろうなあ」と思ったのでした。
大人だって子どもから学ぶことが山ほどある。先生に聞けば「答え」が出る、わかるというものではないのです。その一面を見た気がします。大人にもわからないことはあるし、できないこともあるし、失敗することもあるけれど、でも、大人も子どもも一緒になって学びあうこと、知恵を寄せ合うことで解決策を導いていくような・・・これもまた「学びの本質」ですよね。
授業見学を終えた後、視察をされた皆さんと感想を述べ合い、意見交換しました。松田校長は「昭和時代のコンテンツ重視型の教育はそれはそれで否定すべきものではない」としながらも、しかし、これからの時代を生きる子どもたちに必要な能力を磨くための「学び」が求められていると強調されていました。小難しい言葉でいえば、「コンピテンシー」ということになりますが、これまた、手あかがついて何となくわかりやすい言葉に置き換えれるとすれば「生きる力」ということになるでしょうね。「点数で成果を競うだけの時代ではないよ!」ということ。
ああ、これいわゆる「21世紀型スキル」ということで、文科省からの都教委からの、市教委…へと多摩市教育委員会でもやや便利づかいされている「新しい用語」であると思います。多摩市は全小中学校のにタブレット端末を導入したりとか、結構いち早い取組みをしているものの、その先にある’活用’がまさに課題となっています。取組み実践をどう進めていくか、そしてそのモデルとなるような学校が市内にあるわけではなく…今後の行方いかに?って思います。新しいことをやる時、やはり不安になりますし、慎重になりますし、賛否両論もある。しかし、あるべき方向性をしっかりと見定めることで「ブレず」に進むことが必要ですよね。愛和小学校でプログラミング教育をそろそろ実践できるかとの段階で校長先生の異動…そのことで全体的にも市教委の取組みが「後退した」というのは否めない事実。単に機器を揃えただけでは意味がない。一人一台にすることの意味をきちんと検証していく、その必要性があるならば、そのための予算をどこかで調達するのかを考える・・・それこそものすごくクリエイティブな仕事であると思っております。
そういえば、タブレット端末の活用あるいはこれからの教育…なんて点では、ベネッセと包括協定を締結し、「オンライン英会話」を導入した…これもかなり目玉的な取組みですごいなっと思ったわけですが、しかし、中学校2年生で2回、中学校3年生で1回…これが生徒が体験できる回数なんです。それを踏まえて「日本一英語が話せる児童・生徒の育成」と掲げているのですが、そのことは’やや小声’で最後に記しておきたいと思います。
「プログラミング教育は新しい『学び』の実践」・・・そのことは現場から学べ!前原小学校への視察をおすすめします。ついていっている先生たちがいかに大変で、努力をされているのかもわかりますし、でも、情熱で引っ張らなければいけない校長先生の苦労もある。ただ、松田校長の素晴らしいところは「先生たちはみんな子どもたちのより良い成長に関わりたいと思っているはず。プログラミング教育を通じて、子どもたちの姿をみれば、理解できることがあるはず。」と教職員一人ひとりを信じているところですね。そこもまた本質の本質の本質…。その固い信念が少しずつ教育界を動かしてくれるに違いない!って私も信じています。