同じ空のもとで。「福島を忘れない全国シンポジウム」。

同じ会派の折戸議員、増田議員、藤條議員と一緒に「第6回福島を忘れない・全国シンポジウム」に参加してきました。以前から、気になっていたシンポジウムでしたが、なかなか足を運べずにいたので、今年は思い切って連休を使って足を運んでまいりました。

折しも、「2020年、東京オリンピックの聖火リレーの出発地が福島」に決まったというニュースもあり、ますます被災地、特に現場には「復興事業への矛盾」を切実に感じる人が増えているような印象でした。特にシンポジウムでは原発被災地である川俣町、飯館村、葛尾村の議員さんが現地の状況をリポートして下さり、脱サラをし飯館村で農業を始めて1年たったところで被災した方からのお話しなど、どれもこれも「復興」という名の下で表面的に報道されているのとは全く異なる厳しい現実を突きつけられ、本当に胸が痛くなると共に、無力感が肩にずっしりとのしかかるような暗澹たる気持ちとなりました。それでも、前を見て元気に進もう、進まなければならないと住民の最前線に立ち闘っている議員の皆さんの姿から学ばされることも多かった。

「諦めてはいけない」

住民がいろいろな矛盾を感じているけれど、「これだけ支援をしていただいているのだから」という気持ちで「この復興はおかしい」と言えない空気が蔓延している…と日々、切実に感じてる想いを吐露して下さった住民の方もおられました。

同じ空のもと…まだまだ復興のための事業が推進されていく。そこに莫大な税金が使われているけれど「全部、東京で吸い上げられているお金」との批判。現地の皆さんが声に出さない憤りがあることをたくさんたくさん感じてきました。語りつくせない思いがあり、私が聞いてきたのはほんの一部。ただ、除染作業後の汚染土が高く高く積みあがっていて、まだまだ現在進行形であること(今、公共事業での再利用をめざした実証実験も進んでいます)、利用者の7割は復興事業のためにやってきた作業員たちであるという「復興拠点商業施設」、もう戻らないだろう児童や生徒…にも関わらず開閉式の屋根をつけたプールのある小中一貫校をオープンさせるなど、地元の人が見れば侘しくならざるを得ないような復興への取組み…「国言われたらやらなければいけないから、やっているだけとしか思わない。」と痛烈な批判は決して的外れではないのだろうと思ったのです。ちなみに再オープンした小中学校は子どもの数が16人ほどで来年になると卒業生が出るから、10人以下になるということ…。開校式には国などから多くの来賓が来られ、仰々し過ぎたとのことでした。想像できるなと思ったりしました。

全てが現在進行形。津波で全滅した地域。高い絶壁の様な、海が見えなくなってしまうような防波堤。川などの護岸工事も進んでいます。その周辺に本当に人は戻ってくるのでしょうか。

川俣町の「とんやの郷」。復興のための拠点施設です。数年前まで被災地の子どもたちのキャンプなどの受入れを行っていたという羽村市議の門間ひで子さん。大学院がご一緒でしたが、ご当地出身だったと言います。門間市議からはふるさとでつながる多くの方々からの声を伺うことが出来ましたが、「賠償金を受け取っているんだから、あなたは働く必要がないでしょう」と言われ、働きたくても雇ってもらえない状況があるという話しには驚きました。

現地の皆さんから「ぜひ、見続けてほしい。年々変わる姿を共有してほしい。」という声をいただきました。折戸議員はこのシンポジウムへの参加が4回目となるそうですが、見続けることの必要を実感していると話されていました。帰宅困難地域では未だにガイガーカウンターがパスの中でさえピーピーとなり始めます。見えないし、におわないし…それが原発の被害です。恐ろしいことだと思います。反対しないわけがないと思いました。

福島市から、川俣町、浪江町、大熊町、富岡町、楢葉町からいわき市までバスでめぐり、それから、また高速道路で新宿駅西口へ。降りたった瞬間、福島で見てきた光景とあまりにもギャップがありすぎて、また、心にずっしり感がありました。日々の生活で私が被災地のためにできることというのは多くはありません。むしろ少ない。何もないとも言えるくらいに、自分自身は無力であることを感じています。ただ、私のできることは忘れないこと、そして現地の皆さんの想いを少しでも理解しようと努めることかもしれません。

そして、私の日常に感謝をすることですね。偉そうなことは何も言えず、ただただここにあることに感謝することが始まり。そんな気持ちを感じながらの2日間でした。「脱原発」。