「平成30年」第2回定例会…来年ってどうなるんだろう?

今日は自民党・新生会からきりき議員、生活者ネット・社民の会から伊地智議員が代表質問。その後、一般質問と続きました。伊地智さんが「元号」について質問をしていた時にふと思ったことですが、議会の定例会は来年は3月は「平成31年第1回定例会」になると思うのですが、その次はどうなるのか?とか考えてしまいました。行政が発行する文書などを見ているとどちらかと言えば「和暦」に親しんでいるようですね。議会の定例会も2018年第2回定例会とは言わず、「平成30年第2回定例会」となるわけであって、このままいけば、来年の6月には元号が変更しているので「○○元年(新元号)第2回定例会」になるのだろうか?

それはさておき、昨日からの代表質問を聴きながら思ったことですが、議員たちは「もっと必死に生活をしている市民に向き合う」ことを市長に求めている感じがしています。そしてまた、「評論家的」に語る市長に対し「もっと本音を披露してほしい、語ってほしい」と願っているとも感じ取れました。市長が本気で取組もうとしていること、やろうとしていることが「伝わる言葉」として届いていないのかもしれませんね。「まるで他人事のよう」に捉えているのか?と思えるような、市長自身の言霊が伝わってこないことを議員それぞれに立場は違えど、さまざまな質問や角度から指摘をしていた気がします。

とは言え、各議員とも市長に対し「3期目を集大成として」あるいは「3期目なんだから思い切って本領発揮を」とちゃんと労いを忘れないところが’感じがいい’なあとか個人的には思っています。

所信表明でも、市長が最近の会合などの挨拶でも必ずPRしている「シビック・プライド」ということについて、「それも悪くはないけれど、もっと切実に生活をしている市民の人たちに向き合ってほしい。シビック・プライドなんて言葉とは無縁に必死に必死に暮らしをたてている市民の存在に寄り添ってほしい。」と主張されていた議員の皆さんの声の方にむしろ私は共感をしましたし、行政の役割である「セーフティネット」に綻びが見えているのでは?という暗に指摘していることにつき、どこまで理解しあえているだろうか?とも思ったわけです。そこが私の感想でした。

ところで、多摩消防署の建替えのために、古い建物がどんどん建て壊しされているのですが、たまたま信号待ちの時に写真を撮影して気が付いたのですが、やっぱり建物の高さって大事ですね。空の見え方とかが変わってくるんだなーって思いました。建物のデザインもそうですし、高さも…。そして思い出したのが、今日も質問で話題になっていたけれど、多摩中央公園に建設されるという図書館本館のこと。圧迫感のある建物にはならないことをまずは祈るわけですね。きっとそうはならないはずですが、あの公園の持ち味とか良さについても…まあ、その感じ方は千差万別であることを感じています。私はもともとあの公園がどんなコンセプトにデザインされていたのか?をどんなストーリーのもとであの公園がデザインされていたのか?も紐解いた上で次に進んでほしいと願っていますが、その作業はどんな風に行われ、そして歴史として記録されていくのでしょうね?

さて、今日の一般質問ではあらたに議員が「文化財」問題をテーマに質疑をしていて、とても興味深かったのですが…「文化財行政」を前に進めていく時に「軸」となるような部署を設置すべきとしていたのには同感。先日、子ども教育常任委員会でも文化財ツアーを行ったわけですが、保管をどうしていくかについては、頭が痛くなるほどのボリューム・・・・その問題解決も急がねばなりませんが、それ以上に文化財行政を担う職員をどう配置していくのか?どう確保するのか?どう育成していくか?などについてもまだまだ課題がありますね。今日のところは、パルテノン多摩の大規模改修後の博物館機能と教育委員会の役割分担を明確化していく必要の認識は示されていましたが。

その後、藤原議員は「家庭教育支援」の必要性を語っておられ、それは確かにそうなんだけれど…そのことを条例化するというのはあまり私は好きではないですね。市の考えとしては、現段階では条例化については慎重に取り組む必要があるという姿勢でしたし、藤原議員も恐らくは議会全体の空気を読みつつで「今日明日に策定すべきという主張はしない」と前置きされていましたが、家庭の教育力を高めていくことについては誰しも否定はしないと思うんですよね…ただ、「なぜ家庭の教育力が低下しているのか?」を考えるときに…「母親を責める」方向に議論が向いていくことだけは避けたいですね…「母性神話」に苦しんでいるママたちもたくさんいるのだから…とこれは私の考えです。

最後は藤條議員が「孤独死」についての質問をしていましたが、市で実態を掴む、把握するというのはなかなか難しいんですね。そういう仕組みにはなっていないことと、もともと「孤独死」には法的な定義がないことも余計に難しくしているのかも。何だか、今日のやり取りを聞いていて、結局、多摩市として「孤独死」の捉え方については明確化されていないんだなということはわかりました。

いただいた黄色いガーベラ。お部屋の中に黄色があると元気になれます!