週末…せいせき桜祭りプレ企画の「3.11を語る会」に参加し、7年前を思い出しながら、「現在」を知り、そして考える機会をいただきいました。お祭りの屋台村に出店する「浪江焼きそば」に合わせいらしていただいた浪江町商工会の原田会長の基調講演と同行されていた製麺やさんの鈴木さんのお話しは「言葉にすること」の辛い気持ち、痛みを乗り越えているだけあり、心に響きます。貴重なひとときであったと思います。にこやかに話ができるようになるまで…その葛藤は味わった人にしかわからないと思うのです。
そしてまた、多摩市内で被災地の支援を継続されているみなさんの活動、そこにある思いに触れれば触れるほど、こうした活動を支援できる環境づくり、後押しのできるまちでありたいなと思った次第です。被災者の皆さんの気持ちをわかった気分になり、被災地の支援をすることができなかった・・・「わかったフリはできない」と述べられた方の言葉がとても印象的でした。
被災地の支援に限らず、私もいつもそのことを心の片隅に置いているからです。その立場立場になっていないとわからないことがある。想像に想像をしても理解できないこともある。それが「当事者性」であるから。意外と、分かった気分になって話をしてしまうこともあるので、気を付けないといけないなって思うことも多いです。
こうした企画を継続されているせいせき桜まつり実行委員会、中心になっている桜ヶ丘商店会連合会の皆さんが「継続は力」、これからもこうした被災地へのまなざしを忘れずに、(かたちは変わるかもしれないけれど)支援はしていくとおっしゃっていたことが心強い。何よりも「風化をさせてはいけない」という言葉は重たいですね。先だって、小学校の入学式に出席したとき、うちの娘が入学したときはちょうど2011年だったなと思い出していたのです。そして、今年入学した子どもたちは「東日本大震災」のことは知らない。
そんなことで、多摩センター商店会が主催する「多摩センターさくら祭り」で、オープニングの祝い太鼓の演奏に感激し、オープニングセレモニーで挨拶をして、すぐに「せいせき桜まつり」へ移動し、こちらもオープニングセレモニーで挨拶をさせていただいてから、一日署長になったハローキティちゃんと交通安全週間に合わせたパレードに参加。それが終わって、急いで…「浪江焼きそば」のところへ…何とかおすそ分けを手に入れることが出来ました。
また、リニューアルした関・一つむぎ館には「お茶っこサロン」が開催されていて、民生委員の皆さんが全面協力。もちろん、どなたでも参加ができる場所ですが、もともと東日本大震災被災地から避難をされてきたみなさんが集まれる場として開設され、毎年継続されているようです。昨年に引き続き、今年も来訪されたという方(多摩市民以外の方ももちろんウェルカム!)がいらしていました。この場を楽しみにされていると話をされていました。「去年よかったから、今年も来てみました。」…この感想は本当にうれしいですね。
今年は桜の開花が早すぎて、満開も過ぎてのお祭り。でも、私、花びらが舞い散った後、今度は急に若葉が噴出してくるかのように木々の葉っぱが青々としていく…これを見るのも結構好きなんですね。すごく躍動感を感じるというか、夏に向かっていく感じがするというか…ただし、毛虫だけは勘弁なのですが。
その後、一ノ宮にある小野神社で末社祭があり、「ぜひ、いらっしゃい!」とお声かけをいただいていたこともあるので、足を延ばし…その後の予定を気にしつつ、神社をずっと守っていらした皆さんのお声に甘え、お御輿にもぶら下がって…まいりました。松田議員、飯島議員、萩原議員はすっかり担ぎ手で参加をしておられまして、そのスタイルもばっちりでした!そして、小田原衆議はナントナント…その場でスーツを脱げば担ぎ手になってしまうという早変わり…その場で地下足袋を履いておられまして…いやあ、その気合いに驚きました。
「散ればこそ いとど桜は めでたけれ うき世になにか 久しかるべき」…満開の桜が散るのもまた良し。そう思える一句です。