ほりたての!

大きくて重たい。たけのこは皮向きが楽しいのですが、そこに時間はかけてはいられませんが。ここのところ連日、懐かしい人や友達やらに会ったりして近況報告をしていますが、数年ぶりに会うと、やっぱり互いの状況は変わっていたりしますね。自分だけ、全く変わらない日々を送っているような気がしますが、変わっているというのは年齢、子どもの大きさかもしれません。

ところで、新型コロナワクチンの接種後に家族が亡くなった遺族のみなさん、健康被害に苦しんでおられる皆さんが国に賠償を求める訴えを起こしました。しかし、国のワクチン推進の広報活動が、副反応や死亡例を適切に報告せず、リスクに関する情報提供も不十分であったことが理由です。裁判所がどのように判断を下していくのか、もちろんその過程もフォローしていきたいと思っていますが、国に連なり、都道府県レベル、市町村レベルにまで関わってくる問題にもなってくるようにも思っています。新型コロナワクチンの接種が原因と思われる(断定しない)死亡、健康被害などに国が対応している事例は、他のワクチンに比べても比較にならないほど多すぎる。健康被害の救済制度にたどり着けていない事例はその裏にはまだまだたくさんあるのではないかと私は思っていますが。

今、3月末で「無料接種」も終わりましたが、それに伴って、「予防接種健康被害救済制度」における位置づけというのか、取扱いも変わってきます。こうしたことも、新型コロナワクチン接種のことを調べ始めて、初めて分かったことなのですが、知識を得ておくこと、そして正しく情報を得ておくことがどれほど重要であるのか。そしてまた、正しい情報を得られるような環境をつくっておくことが大切で、その環境をつくるがわの姿勢こそが何よりも問われていくのだと感じています。

新型コロナの感染症で社会全体が停滞するというのか、動きが止まっていたときの記憶もどんどん過去になっていきますが、「新しい生活様式」とか、阿部市長もまた「ニューノーマル」という言葉を使って政策を語っていたことを思い出します。今、どれほどの人が「新しい生活様式」とか「ニューノーマル」とか…そして、今を「ポストコロナ」として意識しているのでしょうね。なんか、私にはとてもピンと来なくて、一番の実感はやはり人間は社会的動物であるということかもしれない。そしてまた、やっぱり、「リアル」は大事ということですね。会議をするとか、相談をするとか…「直接」の必要性を痛感するということです。

今はいろんなことがある程度、インターネットなどでわかる時代にもなっていますが、それは「わかって気になっている」場合もとても多いことを意識しておきたいですね。「百聞は一見に如かず」…まさに、これかなと。そんなわけで、今週末から、時々参加している勉強会のメンバー企画の視察に行くことにしました。コロナ禍で方々に足を運んで調査活動をすることへのハードルも随分高くなってしまったので(受け入れてもらえないことも多く)、何となく、自分の活動もすごく狭い範囲になっているかもなあとしみじみと。

その前に、まだやることもあるのですけどね…。書き物の宿題を終わらせておかないといけない。