今年は、諏訪中学校で「多摩市子どもみらい会議」が開催されました。多摩市教育委員会が全小中学校をユネスコスクールとし、ESDに取り組んできたのはいつの頃だったかな…と思い出せないくらい昔のことですが、「多摩市子どもみらい会議」が始まったのは平成27年度のことですから、こちらもまた短くはない時間かけ、取組みを重ねてきたとも言えます。
しかし、どうも…大人がぐるっと取り囲んで、各小中学校代表の子どもたちの発表を参観するというスタイルで…私にはとても違和感があるのです。もちろん、子どもたちは毎年入れ替わり、先生たちも入れ替わっていくので…取組みを次へとつなげていくために、こうしたシンボル的な場を設け、各小中学校での動機づけにしていく意味はあるかもしれませんね。
以前とは異なり、行政もきちんと関わっていくという意味では、多摩市役所の各部署からもズラリと一同が集まり、子どもたちのミーティングに立ち合い、助言などをしている風景は昔と比べればバージョンアップしたかもしれません。
「2050年の大人づくり」とか「持続可能」をキーワードとしながら、取り組んでいるESDですが、その成果がきっといつかの未来に結びついていくことを期待しながら、私もこの取り組みを見守ってきた一人です。様々な考え方と価値観があり、違いを確認し合い、そして「違いを力」にしていくことがとても大切なんですが、子どもたちがその経験を通し、学んだり、考えたり、相互作用で深めていく作業を進めていくことが何よりも必要不可欠なんだと考えています。疑問を持つこと、そして、その回答を見つけること考えること…私はずっと考え続けていくことと、それとともに行動していくことが大事で、自分自身も常に「自分のダメさ加減」と向き合いながら、心がけていることでもあります。
やっぱり…「子どもたちにそのことを教育する側というか伝えている側の大人たちはどうなんでしょう?」
ってことかもしれませんね。ところで市長が挨拶のところで、子どもたちの直接話しかけながら、「これから、どうしたらいいと思う?」などと一人ひとりに意見を求め、すべての子どもたちが自分なりの答えを述べていたわけですが…。
「それで、市長は、そうやって子どもたちの意見を聴いてどうするの?」
素朴にそう思いました。途中で割り込みで挨拶をした結果、後から予定されていたスケジュールがかなり押せ押せになってしまったので、参加していた議員たちは「わ、市長、空気読まないと時間が…」と一様に気にしていたわけですが、まあ、市長が子どもたちの直接、聞きまわるという行動そのものは、面白いというか、「市長から直接話しかけられた!」という子どもたちの良き思い出には残るかもしれませんね。ただ、そんなこと以上に私は「わざわざ子どもたちに意見を聴きまわったその先」の方が気になります。
「多摩市はみどりがとても豊かだけれど、暗いところがあって、街灯がないと怖い。」
という子どもの声…。「まさに。」ですよね。手入れができていないみどりは私たちの生活に支障をもたらしている場合も少なくありません。今はボサボサになっているところも多いですから、「街灯が隠れてしまっていて」と子どもたちが「もう少し、何とかしてほしい」という声、その通りだと思うわけです。
「豊かなみどりはいいけれど、暮らしとの調和が大切」
今に始まったことではなく、以前からずっと問題指摘されていることですが、結局は「お金の使い方」に阻まれている現実があることに問題を感じます。市長は子どもたちの声をどう受け止めたのでしょう。せっかく、子どもたちから良き提案があっても、「聞き置くだけになっていないか」…これこそ「多摩市子ども未来会議」の課題の一つになっているやもしれません。ふと、そう感じたのは私だけでしょうか。「結局、大人は聴いてくれない」になっていませんように。
緑を保全していく
清潔で安心して住める
健幸で安全、
地域に根差した取組みを行う→それが住みやすい多摩市
今回集まってミーテイングをした子どもたちからのメッセージです。