進路の選択と将来と。

将来を考えた進路の選択を考える時期がまずやってくるのは高校生の頃なのかなあと思っていたのですが、発達に凸凹があるという子どもたちの場合、高校を選択するところに「岐路がある」というのです。

今日は実際に、高校選び、進路選択に悩んで葛藤している保護者の皆さんやその経験を踏まえたエピソードを伺うことができ、「多様性が大事」とか「違いを認め合って」とか言葉が飛び交っているわりには、社会の現実がとても厳しく「壁」があることを改めて認識することができました。中学校はとにかく進路が決まっていくことを目的として、助言をしてくれるとは言え、それが本当にその子その子の気持ちを汲み取り、将来につながるようなアドバイスになっているのかと言えば、そこはとっても悩ましい。もともとゆっくりと考え、ゆっくりと決めていくタイプの子どもたちであればあるほど、保護者のみなさんの想いだけでなく、子どもの気持ちにも寄り添いながら、選択をしていくことは難しいことなんだなあと。

こうした進路選択の悩みを共有するとか、もっとその先…に向けた「自立」に関わり、保護者の皆さんが抱える葛藤をシェアする場所の少なさもまた課題の一つになっているような気がします。学校の先生に対しても、どこまで何を聴くことができて、どこまでのアドバイスを得ることができるのか、そもそも学校の先生たちがどこまでの情報を持ち合わせているのか…もありますが、偏差値教育がまだまだ主流のなかで取り残されていく子どもたちの存在にもっと目を向ける必要があるのかもしれません。

多摩市では教育センターが中心となり、発達支援室との連携も以前よりは出来つつあるかなと思いますが、それでも、小中学校の学齢期を過ぎた子どもたちは教育センターの対象外となり放置されるとは言いませんが、手放されてしまいます。ずっと課題になってきましたが、やっぱり、そのフォローの在り方をもっと考えていく必要がありそうです。それはもしかすると、不登校特例校を設置すること以上に大事なことかもしれず…。

最近思うのですが、不登校の子どもたちへの対応は重要ですし、必要なことだも思いますが、でも、「無理やり学校に来なくていい」→「その子たちのための居場所をつくる」…ということで「その居場所に委ねてしまっておしまい」になっていないか?ということですね。もちろん、学校に来ることを無理強いすることで子どもの心が壊れてしまっては困りますし、そこには適切な介入や対応が求められるのですが、「別の場所をつくって、そこがあるならそれでいい」みたいになりがち。ここにはちょっと違和感が生じます。多摩市だけに限らないのですが、不登校になっている子どもたちへのフォロー体制というのは「冷たい」場合も多いです。先生たちも忙しくて、それ以外にもたくさんのやることがありすぎて、配慮が行き届かない場合もあるのかもしれませんが。

先生の中には本当にフォローが上手な先生方もいらっしゃり、コミュニケーションの不得手が理由で友達との関係を築くことができない子どもが不登校になりそうなところで、相談を持ち掛けると、すごく絶妙な感じで対応してくださり、「不登校にならなくて済んだ」という話しも聞くので、やっぱり、先生の力量によって子どもたちの在り方が左右されていく気がしますね。今日も和田中学校や多摩中学校の先生がとてもよく対応してくださった話などを伺うことができたのはよかった。

発達障害のある子どもたちの将来は「15歳で決まる」と思って、学校の選択をした方がいい。そんな切実な思いを聞くと、もっともっとより良い情報提供ができる環境づくり、進める必要もありそう。そのための情報収集に教育委員会が熱心であることが求められそうですね。