「見て見ぬふり」なのかどうか。

今日は代表者会議があり、明日は議会運営委員会が開催される予定ですが、ようやく定例会も閉会を迎える段取りです。今日は最終日に向けて、各会派から提案されている意見書について協議しました。多摩市議会の場合、国や東京都などへの意見書については「全会一致」で提出することになっているため、代表者会議で「出す、出さない」が話し合われます。私のように、交渉会派ではなく代表者会議にオブザーバー参加している議員たちは、「それでよいですね」を確認されるだけの立ち位置であって、「出す、出さない」に対して直接意見を述べることはありませんが…。個人的には交渉会派どうしで「出す、出さない」を決めるためのやりとりを客観的に聞けるのは、ある意味、勉強にもなります。政治的なスタンスというのか、考え方の違いなどが本当によくわかる場だなと思います。

昨日は休会でしたので、久しぶりにランチハーモニーのお弁当作りに参戦。こうした活動を通じて、「市民活動の担い手問題」を考える機会にもなっているのですが、「何でもかんでもボランティアに頼み」では継続できないことの方が多いことを感じます。

そんなわけで、定例会も終わりに近づき、少しずつ時間にも余裕が出てきたので、「ちょっと、話しを聴いてもらえませんか」と対応しているのですが、なかなか一足飛びに解決できる話題ばかりではなく、相談者と一緒に頭を抱えることもありますが、胸の内を吐き出して、話しができたというだけでもツッカエが取れて、少しはスッキリしたと言ってもらえるのが救いかもしれません。

それにしても、「それ、わかってるのか、わかっていないのか?」「気が付いているのか、気が付いていないのか?」…ということで、地域というか現場というか、市民の抱える課題を把握していないだけなのか、それとも、課題認識はしていても何らかの理由があって未対応で放置されているのか。前者、後者とも、課題解決の方向に動かず、向かっていかない点では同じなのですが、しかし、「知っていて、動かない」ということほど罪深いことはないなと思うことがいくつかあり。私は「見て見ぬふり」がどちらかというと不得意。でも、要領よく生きていくためには「見て見ぬふり」ができないとダメなのかなあ…なんて考えさせられる夜なのでした。