第六次多摩市総合計画基本構想、確定に。

秋を感じるようになってきたとはいえ、日中の蒸し暑さには閉口します。でも、9月1日に定例会が始まった時のことを思い出すと、確実に季節が変わっていることを実感はします。

今日は「第六次多摩市総合計画基本構想特別委員会」でした。今日と明日の二日間の予定でしたが、質疑が全く盛り上がらず、今日だけで終わってしまいました。多摩市のまちづくりの将来像、まちづくりの基本理念や政策の方向性などを示すのが基本構想で、ある意味、将来に向けたビジョンとも言えます。議会ともビジョンを共有しておく必要がある…というわけで、多摩市では「議決事項」になっています。議決するわけですから、議会も「議決した内容」については一定程度拘束されますし、それに対する責任を持ち、今後につなげていかなければなりません。

この間、総合計画審議会で議論が行われ、市民の声を拾うためにワークショップなども開催してきた経過がありますし、私も過去の会議開催の経過や議事録にもざっと目を通しました。特筆すべき問題点があるわけでもなく、手続きとしては「参加」「参画」が行われていることを思うと、市長が提出した議案内容どおりを否定する必要はないなと思っていて、むしろ、今日の特別委員会でも、基本構想として掲げられているすべてのことを達成できたなら、素晴らしい街ができる…との趣旨の発言のとおりだと思います。

個人的には最も気になった点と言えば、阿部市長がこだわってきた「市民主権」という表現が言葉として基本構想のどこにも使われていないことくらいですね。市民がまちづくりの主人公であるという表現はあっても「市民主権」という言葉にはなっていない。その点を質疑しましたが、「その精神が変わっているわけではない」ということで、気持ちは宿っているようですが、しかし、「言葉」はとても重要で、基本構想で用いられている言葉は何かの場面で、やっぱり私たちを拘束していくのだと感じます。例えば、市長の施政方針でも「市民主権」という言葉が使われるとか。ですので、「気持ちは変わらない」だけだと弱っちい印象があり、それこそ、自治基本条例がその精神としてめざしている「自治」「市民自治」の実現を考えてみると、少し後退したように感じてしまって残念。

あとは基本構想は10年一区切りになっているので、その間には当然に市長が交代したり、議員の顔ぶれが変わったりもして、政治状況も変化していくとも思います。その中で、10年間、ブレずにしっかりとこの構想を貫けることが求められますが、もちろん、構想を変更するとなれば、改めて、市民参加など、丁寧な工程を経たうえで議決しなければ変更できないことも確認できたので、そこは一安心。

「市民主権」という言葉はなくとも、その精神をしっかり土台に据えた基本構想であることは踏まえておきたいものです。ということで、「つながり 支え 認め合い いきいきと かがやけるまち 多摩」・・・これが将来都市像になります。

第五次総合計画基本構想では「みんなが笑顔 いのちにぎわうまち 多摩」でして、「みんなが笑顔」という表現に私は馴染めなかったのですが、「笑顔を強制される気がする」とも言われて以来、「なるほど」と。その点ではよかったかな。明日は休会になりました。ホッとします。最近、気になっているというか、思うことなんですが、私が新人議員の頃は「新人ほど、質疑しなさい!」みたいな議会文化だったのですが、新人議員の方‥‥ほとんど質疑などされずです。決算審査などでも全く発言せずで、様子を見られているというのか、勉強中ということなのかもしれません。そういう意味で、なんか、変わったなあと思いました。新人であればあるほど、市民感覚があり、「だから、言える」ということも少なくないのになあ。もったいない気がしています。そんなに畏まらなくとも、何らかの想いがあって、議員になったはず。思いっきり、その観点で行政活動などに対する質疑をしてもらいたいですね。もちろん、社会人として、大人のマナーは遵守して…ってところで。