まだまだ「イエ意識」に縛られる社会。

20年来のご縁をいただいている丹羽文生先生の「政治学入門」の授業へ。毎年ずっとお招きをいただいて、「女性の政治参加」について話しをさせていただいています。とにかく・・・私が大学を卒業し、就職をした1999年6月に「男女共同参画社会基本法」が成立していて、それから何年経っていますか?…という話しの現在。日本の現状を客観的の捉えることができるジェンダーギャップ指数の低さを考えると、「どんだけ、進んでないの?」との捉え方もできるのですが、一方で、「それでも進んできたと思う」という肯定的な評価もできないわけでもなく。さて、何が、女性の活躍を阻むものは何なのか…ということです。

大教室での授業と先生のゼミにも参加し、ディスカッションをさせていただいたのですが、「親戚とかが集まっても、政治の話しをしているのは男性で、女性の人たちはあまりそういう話しをしていない。男性の方が政治に興味があるような気がする。」とか「出産とか子育てもあるから、女性は参加するのが難しそうだと思う。」「昔から、男性が権力があるというイメージ。」「女性はお金もないから、活動するのが大変そう。」などなど…普段、それほど意識高く政治のウオッチャーをしていなかったとしても、感性というのか、今まで見聞きしていることなどを通じて得られている情報が的を得ているものばかり。私もとても勉強になりました。大学生は性別役割分業を是とはしなくとも、取り巻く環境はそうなっていることがわかりますね。

丹羽先生が授業の導入でおっしゃっていたように「日本社会の気風や文化」に根差して、「日本の政治」があるわけで、正直、「イエ意識」がまだまだ日本社会を跋扈していて、政治の中心を担っている人材の意識に根強く残っている価値観がぐらぐらも動いていないのだなと私は受け止めています。「女性も大いに活躍してほしい」とか「女性の皆さんの感性をもっと社会に活かしてほしいとか」…タテマエと本音…。女性の議員を増やすためには、男性が長年占領してきたともいえる「議席」を女性にお譲りいただくことが必要になるので。

少しだけキツイものの言い方をすると「可愛げがない」とか「生意気だ」とか言われてきたような歴史を持つのが私たち女性。もちろん、その一方、男性も「男らしくない」とか、「めそめそするな」みたいなことを言われてきた歴史もあって、それぞれが「性別」による「らしさ」を強いられてきたともいえるのですが、とにかく、「男女共同参画社会基本法」から24年も経過していて、イマココ…を私たちがどう考え、そしてまた、大学生の皆さんがどう捉え、これからどうしていきたいのかを考え続けなければならないでしょう。

そして、その延長線上にこそ、「政治を選択する」行為があるのではないかと思うのです。「生きたい社会は自分でつくる。そのための一票。」…投票に行くことを躊躇わず、放棄せず。何せ、とある調査によれば、「投票所に行くのがめんどくさい」が若い世代の投票に行かない理由のトップになっているのは、この国の政治教育の結果とも言えます。選挙権が18歳に引き下げられることが注目され、話題になったころは「主権者教育」が取り上げられましたが、今はもうまた元の木阿弥状態にも受け止めています。それほど、定着しているわけではないのに。

「昭和時代」には個性的でキャラクターの濃い政治家が多い印象がある。ゼミに参加して、そんな興味深い話も聞くことができたのですが、若い世代にとって魅力ある「政治家」さんって誰なのかなあ。聞きそびれました…。毎年、好き勝手に?…経験に基づく持論を披露させていただく機会は、自分の振り返りと学習にもなる良い機会です。ありがとうございました。