預けて?きました。

休会になったので、とにかく…やっておかなければならないことを…と思い、法務局まで行ってきました!…供託金30万円を持参しました。市議会議員選挙、ルールを守って、きちんと取り組みます…という決意ですね。供託金は選挙後、一定の条件のもとで戻されるものです。「預けて?きました」かな。

それにしても、私、この業界だと…まだまだ「若手」とか言われる割には…既に議員歴21年にもなるので、そういう意味では新陳代謝なく自分が議員であり続けることに対する迷いがないわけではありません。理想は、後継者を探し、見つけ、バトンタッチをすること。ここがやっぱり、私の目標とするところ。今でも、「こんな人が議員になってくれたらいいな!」という方がゼロではありません。でも、「議員になりたい!」という志や選択肢を持たずに歩んでいる場合…ある意味、その後の生活設計のことも含め、安易に誘うことが無責任になることもあるので、慎重に考えてもらわねばなりません。「今がタイミングではない‥‥」という判断も少なくありません。家族の状況を含めて、取り巻く環境を考えるのは当然。勢いだけで「出ます!」にはならないです。家族、自分の暮らしは後回しになることも現実的には多くあります。

「議員への立候補」というのはとてもハードルが高いこと。自分を振り返っても、あの若い時分でなければ、立候補していなかったかもしれない…と思うこともあります。就職氷河期で何とか仕事を得たものの、机に座っているだけが退屈‥‥もっと他のことできないかなあと毎日毎日思っていたこともあり、立候補できたのかもしれません。あとは「捨てるものも、失うものもない人が政治には必要」という恩師の一言が決め手だったかもしれません。「しがらみがない人」という意味だとも思っていますが。‥‥今は、そのころから比べて、どうでしょう。

 

ということで、来月行われる市議会議員選挙にも立候補を予定しています。今しばらく、地道な活動を重ねながら、「市民自身と共に考える」ことをしていきたいと思っているからです。これからの多摩市のまちづくり、子どもたちの未来と私たちの負担と。市民の自治とは何か、市民主権とは何か…「あれもこれも」と欲張りにならず、市民自身も「選択」が求められる時代になっている。だから、市民参画が必要になっていて、市民の声を聴く、反映させること以上に、「共に考える場づくり」がますます必要になっていると思ってます。います。行政にサービスを要求し、要望することが自分たちの負担になって返ってくることも含めて、考えていきたい。市政運営への市民参画もその在りようが問われているように思います。「財政的に厳しい」というと、知恵がない、能力がない、だからダメなんだ…と叩かれることも多い。「大事なことは市民が決める」ということの意味を噛みしめずにはいられないのですが、「何を大事にすべきなのか」に対する議論がもっと深まればよいのにと思ったりします。

 

「何かを新しく始める、何かを増やす…バランスをとって、何かをやめる、諦める、減らす」という議論がされていかないと、財政は行き詰まっていく。それだけは今に始まったことではなく、目に見えているのです。「世代間負担」という美しく聞こえる言葉もありますが、今はその言葉で負担を先送りしているだけのようにも感じてしまう。子どもたちの世代になると「騎馬戦型」から「肩車型」へ(これ、わかりやすい。板橋区産の資料ですね)と社会が変わっていくことから目を背けることはできない。

 

夕刻からお目にかかった方々との会合で「暮らし向き」のことが話題に。電気代が月に6万円という話しを聞いてびっくり。オール電化住宅は大変ですね。どうやったら節約することができるのか、工夫していかないと。プラスマイナス何を削ることができるのでしょう。「その先の暮らし」が不安になりますね。収入が増えるわけではなく、負担が重たくなっていくことを実感する今日この頃。どのご家庭でも同じでしょうね。明日から予算委員会が始まります。