「食べること。生きること。」を考える。

暮らしに必要な様々な商品が値上げされていく…あるいは、値段が据え置きでも販売されている商品の規格が変更されていて小ぶりになっていたりして…。賃金も上がらない、増税の話しは出てくる‥‥という状況に、先行きに不安しか感じないという声が聴こえてくるばかり。子どもたちが育つその先の未来は本当にどうなっていくのでしょう。

特に私が最近、とても気にしているのは「食糧問題」であって、もちろん、低すぎる自給率を何とかしなければならないというのはもちろんのことですが、私たちの健康というか、身体をつくるモトともいえる「食べ物」の安全性のこと。遺伝子組み換え食品、ゲノム編集の問題など、「ここまで、やっていいのか」という根本的には私たちの倫理観にもつながることだと考えていますが、地球上の‛いのち’を思うがままに操作できるというヒトの傲りからはじまり、言葉を選ばずに言えば、それが人間の強欲と結びついて、しっかりと金儲けビジネスになり、結局は資本力の無い地域、そこで生きる人々へのしわ寄せになっていく構造へ…堤未果さんの「ルポ 食が壊れる」を読むとますますそのことを実感するわけです。日本は人口減少ですが、世界に目を転じれば、インドやアフリカなどは人口増になっていて、「食べられない」人たちが存在する。地球全体で食糧不足になっていき、飢餓を無くすことができないから…そのための救世主は本当に「フードテック」なのでしょうか。疑問が湧いて仕方のない今日この頃です。

「食べ物の安全安心」という点については、私が子どものころから親世代が関心を持ち、消費者運動も発展してきたように思っていますが、いまやその運動を担う人材が不足しているようにも思いますし、「安全安心」な食べ物を手に入れようと思うと「値段が高い」…欲しいと思っても高根の花みたいなところもあるやに思います。食べることが‛いのち’につながる、健康に直結していくので、もっともっと「食糧」のことを大事に真剣に考えていく必要があるのですが、どうも政策の優先順位としては高まっていかないことが残念でなりません。「食べる」と「生きる」を考える時、やっぱりより多くの人たちに「食べる安全、安心」を届けたいですし、手の届くところにと思います。私たち納税者は、何を望み、税金を納めているのでしょうね。「税金」って何のために使われていくべきなのか。

「異次元の少子化対策」がどんな対策なのかもわかりませんが、増税で行うということなのでしょうか。

さて、「一粒万倍日」でしたので、何かいいことを始めないとと思ったので、再び…「身体を動かす」ことにしました。自分の実感としても、「個食ではない状態」というのは食が進みすぎ、随分と、身体への負荷がかかっていく?なんてことを感じたお正月だった気もします。「もう、若くはないんだし。」と家族からも言われますが、そんなこと言われなくてもわかっています…ということで、年齢相応の振る舞いを心がけていかなければですね。「飲み放題、食べ放題」はもう無理で、若者に合わせることができなくなっております。

地域に配布しているニュースを「とても楽しみにしています」とおっしゃってくださる方にお目にかかり、ありがたいなあと。「選挙の時だけ活動する」ではなく、活動することが特に現職議員には求められていると思っていて、自分なりに実践しているつもりなのですが、いわゆる「無関心層」というのか、市政に対する関心が高くない現状…その壁が本当に高くて分厚い。全然、乗り越えられていないなと。そんなことを思いながら、ここ数日も…ポスティングしています。全部の地域に配布することはなかなか難しく、自分の住んでいる地域を中心に配布していますが、個別に連絡をいただければお届けできます。お手数ですが、どうぞよろしくお願いします。