改革みらいのメンバーで沖縄の普天間基地、辺野古のテント村、平和祈念資料館、ひめゆりの塔に行ってきました。1泊2日でしたので、かなりタイトなスケジュールでしたが、このタイミングで行くことが大事ではないか?という折戸さんの意見があり、日程を組みました。普天間基地のある宜野湾市は、そもそも視察の受入れに関しては「基地問題を抱えている地域」に限定しているそうですが、多摩市の場合は米軍のサービス補助施設の一部が立地していることから、引き受けていただくことができました。市役所の屋上から基地を眺め、その規模があまりにも大きいことに改めて驚きをもち、基地問題を抱えている自治体の苦悩を感じさせられました。宜野湾市では、「普天間基地移設」が決定して以後、県などと協力を重ねながら、「基地の跡地利用」に関する取組みを進めており、その話を中心に伺いました。基地移設反対問題などには触れないでヒアリングをするということで・・・・。当然のことながら、行政の職員は上意下達で動いているわけで、「基地問題移設問題」への言及はできないでしょう。しかし、移設に関するご意見(苦情に近いようであるが)など電話対応もしているようで、「答え難い場合もある。」と苦しい胸の内を吐露しておられました。普天間基地が返還されてから、跡地利用を考えるのでは「遅い」ということで、土地所有者の相続問題なども抱え、将来的な代替わりなども見据えながら、若い世代の市民も巻き込んだ懇談会、小中高校での啓発活動(総合学習など)、できることに取り組んでいるようです。基地が返還されてすぐに使用できるものではなく、その後、土地の状態調査(環境アセス、文化財の発掘、不発弾がないかどうかの点検etc)と長い時間がかかることが見込まれているとのことでした。宜野湾市のように「基地対策部」のある自治体は沖縄でも珍しいとも伺いましたが、基地返還問題から連なるさらに多くの課題を知り、問題の深刻さがさらに理解できた気がします。
宜野湾市役所から、普天間飛行場の全体が見える嘉数高台に行く途中、飛行中のオスプレイを見ることもできました。アメリカは土地が広く、基地の周辺に住宅地が貼りついているようなことはないようですね。でも、ここは違います。「基地があるのが当たり前・・・・そんな中で子どもたちは育っているんですよね。」という担当者の方の言葉が耳に残って離れません。
さて、翌朝は朝7時過ぎに辺野古へ向かいました。今、なお運動を続けておられている方々にヒアリングができたらと思って足を運んでみました。ゲート前では市民の方々と民間警備会社、警察の方の姿がありました。騒然とする場面もあり、写真を撮っていましたら・・・・地元の警察の方が顔を見られないように覆面着用し、金網の向こうから、逆に私たちのことを撮影する姿も。ドキッとしました。
その後、現地の方にお話を伺うこともでき、今度は南下して平和祈念資料館、ひめゆりの塔へ。現地に足を運んだのは初めて。辺野古の海の色が忘れられないです。「一緒にがんばりましょう。」・・・テント村の方にこう声をかけられました。東京都の新聞と、現地地元の新聞・・・私たちがいかに情報少ないなかで沖縄問題を考えているかも思い知りました。この問題について、もっと想像力を働かせて考えていかねばならないと痛感します。認識の甘さも。「他人事にはしない」・・・まずはここからスタートですね。