多摩市 子どもみらい会議-2023年度

今年は、諏訪中学校で「多摩市子どもみらい会議」が開催されました。多摩市教育委員会が全小中学校をユネスコスクールとし、ESDに取り組んできたのはいつの頃だったかな…と思い出せないくらい昔のことですが、「多摩市子どもみらい会議」が始まったのは平成27年度のことですから、こちらもまた短くはない時間かけ、取組みを重ねてきたとも言えます。

しかし、どうも…大人がぐるっと取り囲んで、各小中学校代表の子どもたちの発表を参観するというスタイルで…私にはとても違和感があるのです。もちろん、子どもたちは毎年入れ替わり、先生たちも入れ替わっていくので…取組みを次へとつなげていくために、こうしたシンボル的な場を設け、各小中学校での動機づけにしていく意味はあるかもしれませんね。

以前とは異なり、行政もきちんと関わっていくという意味では、多摩市役所の各部署からもズラリと一同が集まり、子どもたちのミーティングに立ち合い、助言などをしている風景は昔と比べればバージョンアップしたかもしれません。

「2050年の大人づくり」とか「持続可能」をキーワードとしながら、取り組んでいるESDですが、その成果がきっといつかの未来に結びついていくことを期待しながら、私もこの取り組みを見守ってきた一人です。様々な考え方と価値観があり、違いを確認し合い、そして「違いを力」にしていくことがとても大切なんですが、子どもたちがその経験を通し、学んだり、考えたり、相互作用で深めていく作業を進めていくことが何よりも必要不可欠なんだと考えています。疑問を持つこと、そして、その回答を見つけること考えること…私はずっと考え続けていくことと、それとともに行動していくことが大事で、自分自身も常に「自分のダメさ加減」と向き合いながら、心がけていることでもあります。

やっぱり…「子どもたちにそのことを教育する側というか伝えている側の大人たちはどうなんでしょう?」

ってことかもしれませんね。ところで市長が挨拶のところで、子どもたちの直接話しかけながら、「これから、どうしたらいいと思う?」などと一人ひとりに意見を求め、すべての子どもたちが自分なりの答えを述べていたわけですが…。

「それで、市長は、そうやって子どもたちの意見を聴いてどうするの?」

素朴にそう思いました。途中で割り込みで挨拶をした結果、後から予定されていたスケジュールがかなり押せ押せになってしまったので、参加していた議員たちは「わ、市長、空気読まないと時間が…」と一様に気にしていたわけですが、まあ、市長が子どもたちの直接、聞きまわるという行動そのものは、面白いというか、「市長から直接話しかけられた!」という子どもたちの良き思い出には残るかもしれませんね。ただ、そんなこと以上に私は「わざわざ子どもたちに意見を聴きまわったその先」の方が気になります。

「多摩市はみどりがとても豊かだけれど、暗いところがあって、街灯がないと怖い。」

という子どもの声…。「まさに。」ですよね。手入れができていないみどりは私たちの生活に支障をもたらしている場合も少なくありません。今はボサボサになっているところも多いですから、「街灯が隠れてしまっていて」と子どもたちが「もう少し、何とかしてほしい」という声、その通りだと思うわけです。

「豊かなみどりはいいけれど、暮らしとの調和が大切」

今に始まったことではなく、以前からずっと問題指摘されていることですが、結局は「お金の使い方」に阻まれている現実があることに問題を感じます。市長は子どもたちの声をどう受け止めたのでしょう。せっかく、子どもたちから良き提案があっても、「聞き置くだけになっていないか」…これこそ「多摩市子ども未来会議」の課題の一つになっているやもしれません。ふと、そう感じたのは私だけでしょうか。「結局、大人は聴いてくれない」になっていませんように。

 

緑を保全していく
清潔で安心して住める
健幸で安全、
地域に根差した取組みを行う

→それが住みやすい多摩市

 

今回集まってミーテイングをした子どもたちからのメッセージです。

平和紙芝居-恵泉女学園大学平和紙芝居研究会KPKA

最新号の議会だよりの最終ページ(市民と議会 つながる)に掲載の恵泉女学園大学平和紙芝居研究会(KPKA)のみなさんが多摩永山中学校で授業をされると伺い、議会だより編集会議の本間としえ議員と一緒に見学してきました。たまたま、一昨日、議会だより編集会議に出ていたのでラッキーでした。もし編集会議に参加していなければ、案内についても知らなかったかなと。

KPKAのみなさんが多摩市内でもいろいろな場面で活躍されていることは存じ上げていたものの(タウンニュースなどでも取り上げられていました)、実際に参加する機会は逸していましたので、とても貴重な機会となり、そしてまた、中学生への授業ということで、生徒の皆さんの反応なども含め直接感じることができ、有意義なひとときでした。やっぱり、「リアル」というのは大事。

戦争を直接知らないというのは、全くもって私も同じ立場でもあり、もちろん「戦争は反対」という考えも同じ。でも、こうして直接、自分自身が「平和の語り部」として活動していくまでには至っていないことを思うと、私よりもはるか若い世代(娘と同じ2000年代生まれ)のみなさんが広島や長崎での原爆について調べ、考え、そして、「二度と戦争はしてはならない」という強い気持ちをもって行動している姿は眩しく、そしてまた心から「素晴らしいなあ!」と尊敬できるものでもあります。

ほとんど多くは「平和であることが当たり前(戦争はしていないという意味で)」の社会で暮らしている中で、「なぜ、今、私たちはこうして暮らしていられるのか」を考えることはしていない。「していない」…しないつもりはないのかもしれませんが、そうすることを忘れてしまうくらいに、日常が続けられているのかな。

そんな私たちに「過去」を知らせ、伝え、学ぶことの重要性と必要性と意義を伝えてくれる活動。本当に尊いものだと思います。そのことを理解し、わかっていたとしても、やっぱり「行動していく」につなげていくことは簡単ではないです。

 

「戦争」「平和」という言葉から生徒の皆さんがイメージすることを言葉にしてもらい、そして、平和紙芝居「二度と」を上演したのち、生徒の皆さんがグループに分かれ、「二度と」の紙芝居を回して読んでいく。お手本で読んでくださった「二度と」の印象を頭の片隅に自分にとっての平和、そして戦争のことを心に思い浮かべつつ、綴られた一文ずつを読み進めているんだろうなあ…と。そもそも紙芝居は知っていても、自分が演じ手になるのが初めて!という場合もありそうですね。

「音読効果」が言われるように、「言葉」を眼で追うだけでなく、自分の声で「音」にしていくことは、何よりも大事。なぜなら、音にするとき、同時にそこには魂がこもるはずなので。「言霊」とも言えるかも。つまり、その言葉が自分自身に返ってくるので。最後に授業に対する謝辞を述べた生徒さんが「読むのはとても難しかった」と挨拶をしていたのですが、まさに、その一言にすべてが集約されていると言ってもいいでしょう。2年3組のみなさんもありがとうございました。生徒の皆さんの素直すぎる反応にはやや驚きもしましたが、「平和」を考える時間を素直に受け止めることができている姿にはいいなあとも思いました。

KPKAの皆さんもただ「紙芝居」を上手に読むだけでない。「その背景」により深い理解を持ち、ストーリーに向き合い、そして、伝わる音と言葉にして紙芝居を演じてくださっているはずです。ぼーっと見学している自分が何だか恥ずかしくもなったというのが正直な気持ちです。「平和の種をまいていきたい。ぜひ、みなさんも一緒に」との呼びかけがありました。こうした活動に賛同し、多摩市からも「平和の語り部」が増えていくといいですね。実際に被爆者など戦争を体験する世代が少なくなっている中、違った形で私たち自身が「語り部」になり、過去を未来につなぎ、平和を守っていくこと・・・できなければいけないし、しなければならないことですね。恵泉女学園大学は学生募集を停止することになっていて、今後についてはちょっと気がかりだったりしますが、以前、恵泉女学園大学を訪問した時にお会いした活動力のある学生さんたちも参加をされていて(女子!)、とっても頼もしい。ぜひ、機会あれば、みなさまもKPKAさんの平和紙芝居、ご覧いただきたいなと思います。議会だよりにもある、リトルシスターズのみなさんの活動にも注目ですね!

だけど、言わなきゃ変わらない。

議会だよりの編集会議がありました。基本的には?…というのか、各会派から1名ずつのメンバーが参加しているものの、何せ、今期の多摩市議会は私を含めて一人会派だけで5名もいますので…交渉会派5会派+一人会派5会派…ということで、「会派ごと」にすると総勢10名になってしまい、結構な大所帯。そんなこともあり、議会だより編集会議には、一人会派は順番に一人ずつ参加することにしています。次号5月5日号は私に順番が回ってきました。

久しぶりに編集会議に参加をしましたが、共産党の小林憲一さんが変わらずに編集長を務めてくださっていて、ホント、会議はスムーズで手慣れたものだなという感じ。結局、これからのことを考えると、ずっと小林さんに任せっぱなしでいいのかしら?とも思うのですが、今のところ余人をもって代えがたいという理由により、ずっと変わらず編集長で引き受けてくださっていて、とにかくありがたいだけの話しです。

先日、市議会議長会の研修会で「議会だよりの編集など、市民にも参加してもらうとか、市民が議会に関わる入り口をつくっていく」という話しを聞いたこともあり、例えば、議会だよりのモニター制度など工夫ができないかなと思ったりもします。紙面が限られている中で、どこまでの情報を盛り込んでいくのか、伝えたいことをできる限り伝えられるように‥‥などなど、文字の大きさ、写真の大きさ、色の使い方やイラスト、レイアウトからもちろん表現の仕方なども含めて、結構、意見交換をしながら、あーでもないこーでもないと作業をしているのです。それでも、特に「文字の大きさ」については「小さすぎる」という指摘もあったり、見た目にも「文字ぎっしり」の印象が読む気を削ぐなどお声をいただくことも多く、「万人受け」がいかに難しいかと悩ましいところです。市民も一緒に参加してもらうことはいいアイデアかなと思いますが、一足飛びに「市民が直接関わった議会だより作成」には行けないと思うので、まずはその前段でモニター制度は良さそうですね。

さて、久しぶりと言えば、おしゃれ素敵なランチ会に参加。こちらも久々集まるメンバーで子どものこと、仕事のこと、活動のこと等などあれこれと話題は尽きず、ノンストップで喋り続けたわけですが。

「誰かが言わないと変わらないよ」とか「変わるものも変わらない」とか、「やっぱり、言うこと大事」とか…疑問があるのにグッと飲み込んでしまうとか、違和感があることなのに黙って耐えるとか…そんなことには何の価値もなく、「おかしい」と感じたことについて、発信していくことは時と場合にもよるのかもしれませんが(と少し冷静にもなりつつ)、やっぱり必要で、大事なことだなと再認識させられた次第です。

「だけど、言わないと。」

って、すごく大切。もちろん、それですぐに何かが動くとか、変わるとか…思い通りに行くとも限らないわけですが、でも、言わなければ「それで良し」とされて、もっともっと自分の思っていない方向に物事が進んでいくことも往々にしてあると感じます。

政治の話題を見聞きすると、気持ちが沈み、「何やってんのかなー…」と自分自身まで落ち込み暗澹たる気分になり、お先真っ暗と感じることも多いのですが、私から率先して、そんな気持ちになっている場合じゃないなと。そんな気持ちを思い出させてくれるというのか、ちゃんと背中を叩いてくれるというのか、思考回路をただしてくれるような仲間には感謝ですね。

質問づくり中。

昨日からの降雪により、今日の予定はキャンセルに。ほぼ一日、市長の施政方針について、演説用の草稿が提出されたので、それを横目にしつつ、質問の原稿を作成しています。もちろん、時々、家事をしつつになるのですが、それでも、ずっとパソコンをつけっぱなしという…。これは、本当に身体によくないなと思います。自宅でオンラインで仕事している知人が「じっとしてる。」と言っていたことを思い出したのですが、今日はそんな一日でもありました。でも、なかなか捗りません。

阿部市長の施政方針について、ベースの原稿を作成しているのは企画政策部の職員と聞いているわけですが、第6次総合計画基本構想から「市民主権」という言葉を削除(むしろ、排除)したことについて指摘してきたことを意識してなのか、「市民主権のまちづくりを進める」と2か所で用いられているのが目につきました。随分、意識してくださっているようならありがたいことで、うれしいこととも言えます。阿部市長がずっと掲げてきたのは「市民主権」」であって、私もここにこそ共感をしてきたわけなのですから。

それ以外、あとは、とても無難ないつもどおりの原稿で、来年度あれもやります、これもやります、気概を持って進めていきます・・・と端的にまとめればそんな感じの内容です。じきに、施政方針の内容は公開されます。広報にも掲載される内容ですね。

ところで、これまで、粉骨砕身とか全身全霊とか…って言葉を用いて、市長の構えを表現していたと理解していますが、今回は「気概」という言葉に。強い心意気、困難にもくじけない強い意志を持つということですね。

阿部市長は凝り固まった考えに縛られず、比較的、いろんな意見を聞いたり取り入れることのできる柔軟さをお持ちで、それは悪いことではないけれど、ともすれば「優柔不断」にも成り兼ねないところがあるので、「気概を持って」絶対に取り組むべきことには取り組んでほしいと期待するものです。ここ、阿部市長になってからずっとずっと変わらず思っていることでもありますが。

 

今は多摩市に限らず、社会全体で「持続可能」が言われているわけで、もちろん、お決まりのように「人口減少を見据えて行財政運営を進めていく」ことが述べられるようです。この点についていえば、「次世代に負を先送りしない」ための市長の取組みは甘すぎるというのが私の評価ですので、ここにこそ、「気概を持って」をしっかり貫いてもらいたいものです。市長の気概を発揮するポイントを間違えないでって思います。

「市民が望んでいることをやる」それこそ、一部の市民ではなく…ここが大事なことですね。全体を俯瞰すること、大局的に考えていくこと、ここを忘れないようにしないと。ここ、自戒を込めて、そう思ってます。フェアな市政を。

立春が過ぎて。

昨日は立春だったので、あとは春を待つだけ…というわけにはいかず、予想通りの大雪となりました。今日は午前中に委員会の打ち合わせがあり、午後から東京都市議会議長会の研修会。法政大学の廣瀬克也先生の講演会でした。いつもながら、的確なアドバイスをくださり、ちゃんと聞いていれば、納得のいく話が多かったのではないかと思います。

「合議制である議会の機能をどう高めていこうとしているか」「議会基本条例は絶えず、見直していく視点が大事」…「議会基本条例をつくる時の熱量が継承されていない」という指摘は痛快だったように思いました。

「(ベテランの議員には)わかりきっていることでも、議会のめざす姿など含めて、きちんと言語化していくことが大切」というのもそのとおりかもしれません。「議会を良くする」という視点で、議会活動の質を高めていくことが市民のためになっていくのはそのとおりだと思っています。ちょっと、気持ちたるんでた自分も反省です。

ところで、先週末、東愛宕中学校で4月から開設される「愛宕スペース」(まだ仮称)について説明がありました。不登校対策として設置される学校内の学級という位置づけ。不登校特例校などと異なり、通常に準じたカリキュラムになるようですが、学校に行かない期間が長ければ長いほど、学習に遅れが生じている場合もあり、そこはきめこまかな対応がなされていくのかな?と期待しています。しかし、教員配置や指導員の配置をどう考えていくのか?とか、決まっているようで、まだ不確定要素も多い感じがしています。4月からスタートするので、現段階でできる限りの説明が行われ、保護者への相談などにも対応しているとはいえ、未定なことも多そうで「選ぶにはなかなか勇気がいるな」という声が聴こえてきます。どうしても、保護者への説明会になってしまうのは仕方ないというか、そうならざるを得ないことも理解しますが…本当は当事者を大事にしたい…つまりは、学校に足が向かない、向きにくくなった子どもたちにも情報を届けることをしていかないと。こうした場所をつくるならば、なおさらのことで・・・当事者が「行きたい場所」をつくっていきたい。

そういえば…今さらながらですが、学校は子どもたちが「行きたい場所」になっているのかな。

今日は市長が3月議会の初日に行う施政方針演説の原稿案が提出されました。一人会派だと代表質問というかたちにはなりませんが、市長の施政方針に対する質問を考えようかなと思っています。明日の予定、キャンセルになったりで、時間ができたのはありがたい。大雪予報に備えて市役所はもちろんのこと、建設協力会や消防団などが備えてくださるのはありがたいこと。子どもたちだけは大喜びしていました…。私はバイト先から娘がちゃんと戻れるか、だいぶ遅い時間までヤキモキしておりました…。

どう優劣がつけられるの?

ずっと行けていなかったのですが、なるべく人混みのない時間帯にと…滑り込みセーフで展示終了時刻間際に駆け込んできました。多摩市内の小・中学校が合同で開催している連合図画工作・美術展。

それぞれに子どもたちが自分なりのパフォーマンスを。どれもが力作だなと思う時、図工の先生、美術の先生たち…何を観点にして評価をしたり、採点をしているのかなあと。「授業態度」も採点する観点の一つになっているのかもしれませんが、そんなことで評価することが馴染むのかどうか…。優劣つけがたいというか、つけること自体が難しいというのか。

「何もしない」ということもまた、その子自身の表現の一つなのかもしれませんし。そういう意味で、どこを観点にして「その子の表現」を評価するのかを明らかにすることの方が大切かもしれません。「なんで、そんな評価されるのかわからない。」という声、聴くこともあるので。相性が合わない指導も時にはあると思い、そのことも含めて、先生や学校がどう受け止めていくのかも…今後ますます問われそう。

さて、力作ぞろいと、たくさんの想像が込められた作品たち。決められた大きさの画用紙の中で描くのとは違い、木工などはいろいろなパーツを組み合わせたりして…どんどんアイデアが膨らむと大きくなっていくんですよね。積み木でのお城づくりなど、どこまでもどこまでも大きく大きくしていけるのが楽しくて…最後には積み木が足りなくなってしまう…みたいな。私は「お家づくり」のようなことがとても好きだったことを思い出します。家で絵を描くときには、昔は…新聞広告などの裏紙をつなぎあわせたりしましたが。

とにかく子どもたちの想像力の広がりはすごいなと。そしてまた、子どもたちの作品を壊さないようにして、会場まで運んでくるのも一苦労かな…とか。いずれにせよ、こうした作品展を見ていると学校ごとに特徴があるというか、先生の経験値が表れてしまうようにも思うのですが、それは別として、全ての作品は素晴らしい。いつの時代も子どもたちは大人よりも縛られず、自由な発想を持っていて、うらやましい。

そして、中学生になるとグンと技術がアップするというのか、技量を磨くようなレッスンを受けているなと思いますが、なかでも、今回の一押しは多摩中学校の「ご当地マンホール」。これはとてもユニークで面白かった。

ハローキティちゃんとか、ラスカルもいいのですが。多摩市のゆるキャラ?「にゃんともTAMA三郎」を活用したり、小野神社をイメージした素敵な図柄、パルテノン多摩の大階段の図…ユニークな作品が勢ぞろいしていて、この中からご当地マンホールに採用したいものもありました。子どもたちの地域への愛着を感じることができる図柄が揃っていて、「なるほどなあ」と感心。

さらに、中学生になると「表現している自分と向きあう」ことが主題になっているのか「自分と向き合って表現する」というのが性格なのかもしれませんが、自分自身の「心」をいかにカタチにしていくのかに挑戦しているんだなあと。それぞれ作品への想いを言葉にして子どもたちが綴っているのですが(終了時刻が迫りすぎていて、残念ながら全部読み切れず)、受験期にある自分、悶々として言う自分の日々、将来に向けての希望などなど…葛藤を表現している子どもたちの姿がありました。心揺さぶられます。自分の昔を思い出しつつ。

作品を通じて、見えてくる子どもたちと、その子どもたちに向き合っている先生の存在と…。何となく学校の先生たちの頑張りも見えてくる感じがあり、学校って大切だなあとしみじみしながら、会場内作品を見ることができました。各学校とも実は各先生たちの力量も無限なはず。もしかすると、その力をどこまで引っ張り出せるのか…そこにはリードする人物の力量もあるかもなと思ってみたり。いい作品展でした。各小中学校での作品展なども本当は見て回りたい。

学校の跡地は本当に広い。

学校の跡地がため息が出るほどに広い。その敷地の活用にはとても可能性があるように思え、簡単に手放してはいけないと本当にそう思えるのでした。既に、永山駅前の都市機構所有の土地と旧東永山小学校の跡地を交換して‥‥交換した跡地については活用方針やら活用計画が出され、なんか、もう、最初から既定路線に水面下では進められていたことなのかなとか…あまりにも土地交換した相方の行動が着々と進めているところに用意周到ささえ感じてしまう私。

 

こんな情報もあるよ…ということで、「多摩ニュータウン旧東永山小学校跡地で共同住宅建設へ 諏訪地区でも都営住宅建替え進む」…個人の方でこうして街の様子をフォローしてくださっている方がいらっしゃり、ありがたいですね。発信の力ってすごいなって思っているんですが、この記事をご覧になっている方から、教えていただきました。

 

ここ一週間ほど、どうも調子が出ずにいるので、先週末に予定していたポスティングを終わらせることができず、今日は少しだけ地域を歩きながら、ああ、学校跡地広いなと。しみじみとしてしまったのでした。南永山小学校の跡地、何に使っていくんだろう。市民の財産です。

 

それにしても、車で市内を回っていても、あるいは近隣地域を歩きながらも思うことですが、老朽化して段差が生じてガタガタしていたり、穴が開いているような歩道をなおすこととか、街路樹をきれいに維持することとかに気配りしていくこととかにもっと気を遣っていかなければならないのではないか。もちろん、若い世代を呼び込むこと、否定はしませんし、それも必要なことだと思っていますが、本当にそこを真っ先に優先して、煌びやかさを取り戻すようなことだけに力を注いでいていいのか。

 

「住みやすさ」とか「住み心地」とは何か。まちの状態を見ながら、自問自答しています。古いものを古いままにしておくと、加速度的に劣化が進むような印象さえあります。たぶん、そうだとも思います。

 

いよいよ諏訪北公園も…リニューアルオープンを控えております。駐車場がやったら広いというか。広々しすぎていて見慣れません。

私はなるべく、今あるものを大事に使う…とか、ていねいに長持ちさせて使うすることを心がけているので(娘はそれって「ケチ」って感じとも言ってますが)、本当はその考え方でもう一度まち全体を俯瞰して捉えてみたいなと思うのでした。駐車場がとても広くなった諏訪北公園ですが、拡張できる分だけの駐車場…どのくらい活用されていくのかなあ…というのもまた、これからの観察対象。

「その先の未来」を考えて。

昨年来「認知症」のことも家族として…頭を悩ませるというか、抱えている問題の一つですが、「軽度認知症」の段階で進行を遅らせることの工夫ができないと、その先、とても辛いかもしれないと感じているところ。そもそも「認知症」になっていることも理解ができないので、そこで会話終了…みたいな。コミュニケーションがどんどんうまく図れなくなってくるのだなと実感しています。「耳が遠くなっているからかな」と疑ってみたりしましたが、「いや、そうではないだろう…」と。こちらの話すことは聞きとれず?聞き入れることなく、一方的に話したいことを話す。しかも、脈略ないことを…みたいな?携帯電話の扱いもどんどんわからなくなってくるのは当然のことで、たぶん、携帯電話やエアコンやテレビのリモコンや全部同じようにしか見えていないかもしれないし、ボタンがたくさんあって、「とりあえず、押してみる」ようなことをしているのかもしれないし。「あなたが頑張っていることが大事なんだから、それでいい。」と言われたことに感謝しながら日々を過ごしつつ、「親孝行とは何か」なんてことを、突きつけられている気がします。

「認知症になっても大丈夫」

と言えるような社会があるかと言えば、大丈夫な場合のほうが少ない…きっと…と思っていますが、周りの理解はあったにせよ、当事者として家族が介護することは辛すぎる。何しろ「人手」が必要。足りてないと思う。最近はファミリーレストランでも見慣れない店員さんというか、ネコのロボットが配膳してくれるけれど、それでは取って代われないから。頭ではわかっていても、実際の現場は壮絶で、だんだんと排泄もできなくなってくるといよいよ。「その人らしさが残っている」というけれど、まるで「どこに」と思ってしまったり。断片的に会話に出てくる記憶だけがその人らしさなのか?・・・もはや、理解不能なんですが?とこちらも喜怒哀楽で対応するようなことはなく、ただ、会話をさせてるだけかもしれない自分に時に気落ちします。とにかく時が進むし、抗えないんだなあと。

 

「その先の未来」を考えるのが仕事。

 

それは、決して議員に限らないことであって、私たちはいつも「その先の未来」を考えていく必要があると思っていますが、「よく読んで、考えろ」というのことをいつも父は言っていて、「書籍だけ」は買ってくれたことが思い出。むしろ、一緒に出掛けても「書籍しか」買ってくれないというのか。「よく読む、そして、先を考える。考えることをやめない。」…はあ、父の教えか…。それにしても、認知症の進行のスピードもその人による。「その人らしさを失わず」…という言葉だけが頭の中を行ったり来たり。悶々としないわけがありません。そして、父が認知症になるとか…そんな未来は考えてこなかったなと反省もするのです。当事者になってみなければわからないこともたくさんあり、でも、当事者にならなくても、本当はもっと知っておくべきことが「山」とあるなとも。

 

 

ところで、来月「こどものまち たま」が開催されます。とても楽しみにしています。多摩市でこの取り組みが始まった時、「うわああ!」とすごく感激したことを思い出していますが、子どもたちが「自分」で「自分たち」の「まち」をつくっていくわけで、そこにきっと育まれていくだろう自治意識の「芽」に期待するのです。市内の学校に2度ほど、チラシを配布したとのことです。モデルとなっているドイツの「ミニ ミュンヘン」には実に40年以上の歴史があって、3000人を超える子どもたちが参加しているというのですごい!

「その先の未来」はやっぱり、続く世代が中心になってつくっていき、続いていくものなので、こうした取組みは「子どもたちだけのものではなく」存在し、きっと民主的な社会づくりを分厚くしていくのでしょうね。子どもたちには想像力を豊かにしていくというか、まさに、そのレッスンの場にもなっていくというか。疑似体験が力になっていくはずと思うだけで、すごく期待ができるというか、希望が持てます。こうした取組みに、まちの未来を感じられる、まだまだこれから頑張れると思い直せることもまたプラスなこと。私もほんのちょっとの時間だけ当日ボランティアで参加させてもらうことにしました。

今、まだまだ活動資金が足りていないとも聞いていますが(寄付集め中)、それでも「やろう!」と奮闘している大人たちの志が熱すぎるなと。よかったら応援してください。

議会の傍聴に「親子室」は必要?

本庁舎建替基本計画特別委員会で「議会エリア」をどうするのか取りまとめ、行政側に提示しました。先週末、事前にある程度まで文章内容…一言一句を確認したものを事務局がまとめてくれていたのですが、それについて、「子どもや声を出すことのある障がいのある方の傍聴のしやすさに特別に配慮した対応も必要ではないか」‥‥ということで、いわゆる、「親子室」的なものを念頭にした意見が再度、出されました。

しかし、「親子室」のような部屋は本当に必要なのか?「親子室」のように防音機能のある部屋の有無が議会傍聴のしやすさしにくさにつながっているのでしょうか?

実際に、清瀬市議会に視察に行った際、傍聴席の一角に「親子室」があり、子ども連れでも気兼ねなく傍聴ができるような設えがありましたが、それほどには活用されていないようでした。親子室って…逆に言えば、閉じ込められる空間になっていて、はっきりいって、空気が薄いんですよね。私も昔の記憶でしかありませんが、数回、使ったこともありますが…逆に落ち着かないというのか。親子室だからゆっくり鑑賞できるというものでもありません。むしろ、「親子での鑑賞可能」とか、子どもが声を出してもいいこと前提になっているコンサートなどは居心地よく楽しめるわけで…そのことを思い出しても、「親子室」の必要性はどうなのかなあと。

それに、コンサートや演劇などの演出上「静謐」が必要であれば話は別ですが、傍聴するのは…会議であって、市民の広場…のイメージもわくような「議会」。そうなると余計に、「親子室」などのような場所はなくとも、良いのではないかなあと?

一方で、「市議会」については、荘厳にする必要はなく、市民に身近な存在でありたいとしていることを考えても、それこそ、市民の生活感など含めて、そのまま持ち込むことを良しとすることのほうが大事ではないかなあと?

で、そもそも、議会に傍聴に来ないというのは、「親子室」の有無とは関係ないはずで、足を運ばなければならないということも含めて、足を運ぼうという市民の動機が全く後押しされるような状況になっていないが原因だと思うので。もちろん、足を運ぶまでのことはなく、安定的に市政が運営されているから‥‥とも言えますが、まあ、必ずしもそうは言えず、「関心を持たれていないから」というのがかなり正確に近い回答かも。

いまや多様性の時代。「インクルーシブ」が重要視されている時代のなかで、議会でもその発想を持ち、傍聴席での多様性をみんなで受け止められるようにしていきたいものです。もちろん、ものすごーくものすごーく会議が妨げられるようなことがあれば、そこはきちんと整理をするのが議長の役目かなとも思いますし。

最初から「区別」して、専用エリアを設けることも考え方の一つかもしれませんが、私の考えとは違うかな。

結果的には「親子室」などを設置するようなことではなく、私たちの受け入れる姿勢というのか、気構えも大切になってくるということ、あるいは、もし、傍聴する当事者が気になったときに本会議場の傍聴席から退出しても、そのまま追い返すことなく、ロビーなどでも引き続き見れるような工夫など、クールダウンできるようなスペースというのか、空間があるとか…まあ、とにかく、そもそも場に応じて、最良の対応ができればいいのではないかと考えています。

というか、今度できる本庁舎というのは…そもそもその発想が「市民がわざわざ足を運ばなくてもいい」というのがコンセプトなんですけどね‥‥(私は同意しがたい)。わざわざ大層に足を運ばなければならないような現在地での建替えだから、そのコンセプトを取り入れることになっていることは頭に留めておかなければですね。つまり、気軽に議会に足を運び、五感を使って傍聴できるような環境をつくるとして、最初からハンディがありすぎるってところで。

来年度予算説明などがありました。

久しぶりの活動報告です。先週水曜日に市民の方と一緒に道路課へ行ってから、急に体調が下降線をたどり…今に至る。翌日には来年度の予算説明、本庁舎建替基本計画特別委員会、総務常任委員会と多摩センター商店会のみなさんとの意見交換会があり…そこまでは何とか外出できたのですが、その翌日からはパワーダウンに観念して、自宅養生。娘が買ってきてくれた「邪払のど飴」を見て、声が出ないのに大笑い。私がまるで払われるような感じかと。「いやあ、ママが静かで助かるわあ。ずっと風邪ひいててもらうと、静かでいいわぁ。」と言われながら、気遣ってくれるありがたさですね。それでも、大量洗濯物はそのまま置いてありましたが・・・数日分。午後くらいから、とりあえず洗濯機まわす。

 

さて、道路課で対応してくれた職員さんが市民の要望について、「できること、できないこと」について曇りなく、根拠をもって市民に説明してくれ、しかもとてもわかりやすかった。こうした対応こそが必要で大事。まさに、お手本だわ!…と思うくらいに素晴らしく、ご一緒した方にむしろ「いろいろ難しいことも理解ができたので、とてもよかった。」と‥‥要望事項の半分以上は対応が困難と言われたにも関わらず、不満の残らないやりとりができた気がします。道路ってやっぱり難しいんだなあ…と感じます。警察も関係してくるので、調整にも時間がかかります。

 

「いろいろと道路には要望事項も多くて。あとは、予算も限りがあるので、やっぱり、どこから優先していくか・・・を考えても、なかなか難しいと思う。」

 

中途半端に「検討します」…みたいな期待感を持たせられるより、よほど納得ができる回答でした。他にもたくさんの要請と要望があって、そこから優先度を判断していくことを考えると、「申し訳ないけれど、順位が高くはならないかと思います。」‥‥まあ、やんわりとお断りされているとも言えますが。

 

今回の場合は、ある程度事前に内容を伝えていたこともありますが、きちんと現場も確認されていて、ホント、抜かりなく市民の方に説明していただけたなと思います。市民の方も日常使用している生活道路の現況も把握しているわけですし、理由さえはっきりすれば、そこまで無理強いし「なんでできないんだ!」にはなれません。もちろん諦める…のともまた違うのですが。「何かあったら、困る。」「事故があっては手遅れ。」という気持ちには寄り添いたいわけですが、物理的な無理があったり、それ以外にもいろんな調整事があるんだなという意味でも。

限られた予算をみんなで譲り合って、フェアに使っていくことが大事。道路課と話をしていて、改めて感じたことでした。感謝。

 

来年度予算については、相変わらず「無難に」という阿部市長らしい予算組だったとの印象しか残っておらず、「スクラップ&ビルド」とは縁遠い内容認っていることだけは確か。私にはどうしても問題課題を内包し、それをちょっとずつ膨らませながら、前に進んでいるようにしか見えなくて。

本庁舎建替基本計画の特別委員会は明日も開催される予定ですが、市側に提出する「議会エリア」に関する意見を取りまとめたので、その内容の確認でした。この辺りから、ああああ…やっぱり、かなり体調下降気味をますます実感していきましたが、あと総務常任委員会の公務だけには出席せねばということで多摩センター商店会のみなさまとの意見交換会。

意見交換会は無理してでも参加してよかったと思っていますが、商店会設置の街路灯問題から、多摩センターエリア北側の活性化問題など意見交換することができました。特に、街路灯問題については、また一度状況把握に行ってみたいと思います。「商店街元気出せ!」みたいなタイトルの東京都補助金でも活用して設置したものでしょうか?随分老朽化も進んでいるようです。いろいろご意見をいただきありがとうございました。委員会でも課題認識を共通化し、今後、解決していけるような方策、見出していけるといいなと思いました。

 

とりあえず、久しぶりにパソコンを開いた…迷惑メールに閉口。メール見る気が失せていますが。数日を無為に過ごしてしまった気がして、今週でもう2月に入ってしまうなんて。1月中にやっておかなければならなかった事務作業があったので、明日から、ぼちぼち平素に戻します。