2024年第2回定例会  本会議2日目_一般質問

前途洋々。荘厳。タイサンボクの花言葉なのですが、常にそうあってほしいなあ…と眺めつつ、てくてく歩いておりました。今日は本会議2日目でした。一日を通して、学びの多い質疑を聴くことができたのですが、なかでも「高齢になっても安心してこの街に住むことができるのか」という問いに対し、10年、20年前と比べても人口構成が変容していることを考えても、深刻さが増していることは間違いがなく、何しろ支え手が不足している現実を感じると、「さて、自分の将来はどうなっていくのか」とも。

高齢者の単身世帯が増えていく、さらに、身寄りのない方の場合の対応をどうするのか…「社会的フレイル」という言葉を用いながら、地域コミュニティの在り方にも深くかかわる問題であることを伊地智さんが指摘されていたのですが、現実的には問題点が認識されていても、解決策を講ずることの難しさやハードルの高さは行政も議会も共有しているとはいえ、それでも、「何かはやっていかなければならない」という状態に陥っているような気がしてなりません。伊地智さんが「悶々としながら問うています」と吐露されていた気持ちには共感します。

「地域コミュニティを編み直していく」

もう何年も何年も重ねながら、取り組んでいること。まったく何もしていないわけではないのに、でも市民は…というか社会全体は全く逆方向に走っていっているというか。もちろん市民の方も同様。地域、コミュニティづくりに熱心に関わっておられる方もいらっしゃいます。でもやっぱり、難しい。昨日、私が教育のところでも指摘した「PTA」の存続が厳しくなっていることとも相通ずる気がしています。

そもそも私たち大多数の暮らしは「自助努力」だけで成り立っているわけではありません。むしろ、すべてに近いくらい、私たちの日常は「誰かのおかげ」で成り立っていると言ってもいいくらい。それが「社会」なので。折戸さんが取り上げていた「食」の問題についても同様で、生産者と消費者という関係性はもちろんあったにせよ、「持ちつ持たれつ」なはずですね。なので、今日も「生産者だけではなく、消費者の在り方も問われていると考えています」という市側からの答弁が繰り返されたのだと考えています。

本間さんが取り上げていた「防災時のトイレ問題」のことは、もっと市民にも「自分事」として捉え、日頃からの備えをお願いしていくひつようがあります。阪神大震災、東日本大震災他、被災地の多くが経験してきた中で、とにかくトイレ問題は深刻なのです。トイレに行かないために飲み食いしないで耐えるという話しも聴いたことがありますが、私もそうなりそう…と思ったりもする。市の防災備蓄品で十分賄いきれるとは言い難い現状で、ここは市民への啓発活動にしっかり取り組んでほしいというのはその通りですね。そして、地域防災を考えるにも、深くかかわるのが「地域コミュニティ」のこと。

高齢化のスピードと地域コミュニティの再構築について、「スピード感をもって」と言うのは簡単で、でも、現実的には…を私たち議員も心得ているだけに、ため息ばかりをついてはいられないものの、しかし、先が開けていかない複雑な気持ちになります。

岩崎さんが「日本医科大学多摩永山病院が多摩市内での建替えを断念したこと」に触れて質問されていました。「(本件に関する)日医大側のホームページ多摩市側のホームページの書きぶりについて、何となく印象が異なる」と指摘されていたのですが、パッと見た限り「『旧多摩ニュータウン事業本部跡地への移転・建替え計画』を断念します」と明記してある日医大側からの苦渋を感じさせる印象があり、一方の市長コメントでは「痛恨の極み」という表現があるものの、何となく物足りなさがある?…市民の方からは「土地交換の確認書を交わす」段階での「見通しの甘さ」が指摘されているのですが、そこは、議会の立場として何といえばいいのかとここ数日悩んでおります。

 

ところで、今はすでに過去…で、すでに忘れられているのかもしれませんが、かつて桜美林学園とも土地交換の確認書を締結していて、その時には「確認書には法的な責任はないが、道義的責任がある」と繰り返し強調していた答弁…耳にこびりついているのです。あれは、何だったのか。当時の副市長と部下であった当時の担当部長(今の副市長)も何かの折には「道義的責任」を強調されていた記憶が(土地交換の話しはなくなっても、旧西落合中学校の土地を桜美林学園が活用するために多摩市が努力するのが「道義的責任」である…としていたけどな)。

思い起こせば、議会では協議するにも「勉強会」みたいなかたちで、記録を残さない「非公式」になっていたことが多いので、記録を探したところですでに発言「不存在」になっているかも。(今回の場合、「道義的責任」が語られることはないのかなと、思わず。それにしても、桜美林学園と交わした確認書についても、どうなったのか‥‥事後報告がきちんとされてはいるとは言えない状態。指摘はしても、はぐらかされてお終い。結局「あの話しはなかったこと」のようになっていくのか…。でも、辿ってきた歴史とは言える。だんだん記憶も風化し、あの当時を知る人も少なくなる。)


(いつか、リンクしたページもなくなってしまうかもなので画面貼付)

…と思って、もしかして、自分で記録してあるかも…と思って検索してみたら、あった!ブログ便利。まるで備忘録…もちろん非公式記録にしかなりませんが。しかし、「確認書」というのは、何なんでしょうね。今回の件でもまた、考えさせられたことだけは確か。市長が交わしている=市民が交わしているにもなりますね。