2024年第2回定例会、開会しました。

今日から定例会が始まりました。いつものように始まって、いつものように議員の一般質問になり、3番目に発言の機会が回ってきました。自分の質問よりも前の一般質問を聴いている余裕もなかったのですが、しかし、他市議会でやったような「ヴェルディ応援」のために、議員全員が「応援ポロシャツ」を着るとか…との発言は聞き逃さず…。沖縄で「かりゆし議会」があるのと似ていると思う一方で、1つのクラブチームを支援をしていくという意味では、違うような気していて、「それいいね!みんなで応援しよう」みたいにはならないんですよね。私の周り、他のチームを応援している人の方が多いからかもしれませんが。

そして、私の一般質問は「対話ができる学校をつくる」ことを取り上げました。そのきっかけは、市内のとある中学校で、子どもたちの声が置き去りにされているのでは?と疑義を持たざるを得ないような吹奏楽部廃部方針が示されたこと。保護者の方々からお話を伺って、「ちょっとそれはないよな」というような乱暴なやり方を感じたからでした。保護者の方は子どもたちの声なども集め、市教委や学校にも届け、結果的には「廃部方針が撤回」となったのですが、つくづく…「対話」の在り方を考えさせられたことにありました。

今後、中学校では部活動の地域移行についても議論していくことになりますが、地域の方々にどう学校に関わってもらうのか、あるいは子どもたちの想いも大事にし、保護者の皆さんの考え方なども含めて、理解し合わなければならない、そして、もちろんブラックと言われる学校側の事情もあったりする…いろんな立場の皆さんで考えていかなければならないし、協議をしていかなければならないときに必要不可欠なのは「対話」です。そして、その「対話」をどうつくっていくかを考える時、その要になるのが実は「校長」の考え方であり、その在り方ではないかということ。「会話」と「対話」は全く異なるものですしね。「会話」はしていても、「対話」になっていない場合も多かったりで。

すでに多摩市の公立小中学校は全て「コミュニティスクール」でもあり、「校長」の経営力=対話力でもあって、地域や保護者とどんな関係性を構築していくことができているかが問われているのですが…。校長先生の力量が学校の在り方にものすごく影響し、関わっていることは傍観している私にも少しはわかり、そして、校長先生が交代になると、保護者にはくっきりはっきりそのことが実感されてしまうし。

なので、今さらながら「対話」をとりあげたのでした。今後、学校活動を支えてきたPTAについても、時代に合わせた在り方を模索していく必要性もあり、その時にも求められるのが「対話」になっていくだろうな…とも思うし。PTAについては、保護者の皆さんの負担軽減は課題ですが、「何を大事にすべきか」を再確認しながら、考えていくことが必要かなと思っています。

ということで、教育委員会にも「対話」の重要性を今一度確認してもらえると良いかなと思ったのですが、そのことが伝わってると良いのですが。

昨日は「食べることは生きること」の上映会。急遽、やりました。諏訪名店街のリバティを会場にしたこともあり、人数限定のため大々的には集客しなかったのですが、調布や狛江市からも足を運んでいただきました。愛和小学校でエディブルスクールヤードに取り組み始めた当時を懐かしく思い出しながら、実際に保護者として関わってきた古くからの友人からもエピソードが披露されたり、いろんな紆余曲折を辿ってきたことを私も少しは知っているので、じんわり目頭が熱くなったりしました。公立小学校でこの取り組みを実施するのはとても大変なこと。財政的なバックアップも必要となり、それはとてもハードルが高い。

現在、愛和小学校ではアリスウォータースが提唱したエディブルスクールヤードの考え方をベースにしつつも、「自走」できるような在り方が模索されているようですが、日本の公立学校で初めて「エディブルスクールヤード」に取組んだことは紛れのない事実として記録されていますし、そのインパクトは市外への発信力、高かったことも頭の片隅に留めておこうと思っています(参考記事・朝日新聞グローブ)。今回の映画上映会はエディブル・スクールヤード・ジャパンからのご厚意により実現できたものでしたが、「観たかった!」という声もいただいているので、いつかまた、上映会を実現したいと思っています。日本の風景は本当に美しいと思う。そして、この風土で育まれてきた日本の文化、そして日本人の感性をずっと守っていきたいなあ。

埼玉県上尾市の農家さんが丹精込めて作られた「サンロード」。とっても大きくて驚きましたが、すごく甘くておいしかった。心を込めて育てることはもちろん、やっぱり土壌が大事なんですよね。