前回よりは少しだけ投票率が上がり、しかし、戦後3番目に低い投票率だった昨日の選挙。多摩市にとっての結果を見れば、21選挙区と23選挙区ともに小選挙区での当選と比例区での当選と…結果的には前職が全員当選ということになりました。自民党の小田原きよしさん、小倉まさのぶさん、立憲民主党の大河原まさこさん、伊藤俊輔さん、引き続き、多摩市民と国政をつなぐ架け橋になってくださることを大いに期待しています。
多摩市だけの結果を見れば、21選挙区は与党候補よりも与党以外候補が票数を上回り、23選挙区は与野党一騎打ちで野党共闘候補の票数が上回っていたところには着目しておきたいと思います。
いずれにせよ、選挙で掴むことのできる「民意」。結果を最大限尊重すべきと思う一方で、「投票には行かない」「投票しない」選択をする大勢がいることもまた受け止めておく必要があります。これは議員の一端にいる私も。しかし、「民意」とは何か。SNSなどによっても世論が簡単に操作(という表現は適切ではないかもしれないが)できるような時代となり、ますますあいまいで、見えにくくなっているようにも感じます。
議員にになったころから、ずっと…市議会議員選挙の場合には50%にも満たない投票率で選ばれていることへの後ろめたさがあり、今ももちろんその気持ちを背負うことを忘れずに活動することが大事だと思っているのですが、先輩議員から「選ばれた私たちは正当性があるんだ」ということを語気強く言われたことを思い出します。確かに選挙で選ばれたということの「正当性」はあるのですが、一方、半数以上の人が投票に行っていないという現実に向き合うと、その「正当性」が揺らいでいるようにも思えて仕方がないのです。
「選ばれたとたん」というよりか、選挙が終われば「投票率をあげましょう」と言って呼びかけていたことを忘れてしまったかのように元通りになる。また、「上から目線の政治」になってしまうようではますます市民と政治との距離は離れていくように感じています。今回の選挙結果を見てみると、多少世代交代しつつあることを感じつつも、まだまだ与野党問わずに「上から目線」のロートルが牛耳っているような感が否めないことにちょっとガックリ。特に与党というのか自民党の「少数派意見も尊重するのが民主主義」という点をさっぱり考慮もしてくれないような国会運営というのか、ロートルの皆さんたちの振る舞いばかりが目についてしまうので(これはマスコミ報道などで受ける印象の方が大きいかもしれないが)。
選ばれれば正当性が付与され、選ばれた人たちで決めたことにはすべて正当性があるので…。だからこそ、私たちは自分たちの意思を一票に託し、選挙を通じて、「決める場」に人を送り込む(代弁者)。一票の価値というのか、「選挙がなぜ重要であるのか」についても私たちはあまり意識していないのかもしれません。すべての人に選挙権がなかった時代がある。投票する権利もまた「当たり前」ではなく、そこには「勝ち取ってきた歴史」があるのですが。「女性参政権」のこと一つとっても、その歴史を考えるとやっぱり重たいと思うのです。
それにしても、「投票には行かない」という選択。
政治への諦め、不信感、やがては愛想をつかし、我関せずになってしまうのか…。「結局、投票に行けなかった」という声があることを心にとめておきたいものです。
今回は「未来選択選挙」という呼びかけもありましたが、低投票率を受けとめると、選択した人もいる一方で、選択しない大勢があることも感じつつ、「選択しないことを選んだ」ということの意味を問い続けながら、政治を進めてほしいものです。一つひとつていねいに向き合い、取り組んでいく。私自身もまたその問いを忘れずに活動を続けたいと思っています。
無関心であっても無関係ではいられないのが「政治」。
10月下旬に配布予定だった市議会レポート、今日から配布しています。「少し内容が難しかった」「言葉がわかりにくかった」という感想がさっそく届いています。なるべくわかりやすく書きたいと思っているのですが、まだまだ修行不足ですね。次の号から、もっと注意深く推敲したり、内容も検討したいと思っています。