2021年度一般会計 予算委員会始まりました。

あの日から10年。14時46分には議場で黙とうを捧げました。静かに眼を閉じるとゆっくりとあの時のことが甦ります。先日、会派のメンバーで関戸公民館の展示を見に行きました。聖蹟桜ヶ丘の商店会連合会が毎年行っていた復興支援の活動が今年でひと区切りを迎えることになったといいます(タウンニュースより「桜ケ丘商連被災地交流10年)。これまでの足跡が展示されてあるということでしたので会派で足を運んだのでした。2年前、会派でも浪江町に伺ったご縁もあります。これからもそのご縁を大切にしていきたいとの思いを強くしています。10年を心に刻むために、被災地に再び、足を運ぶことをしたい。

さて、今日は各会派からの総括質疑が中心でした。会派の人数によって発言時間があり、今日は新生会、公明党、共産党、それからフェアな市政と4つの会派が総括質疑を行いました。それぞれの会派の皆さんの考え方、スタンスなどを共有することもできるやりとりだったなと思います。

私たちの会派は「地方自治」というのは、国や東京都から財政的な自立ができていることが大事であって、「財源がないところは国や東京都に要望して」という発想からまず脱皮しておくことが必要であること。そして、地域の自立をめざすからこそ、そのために求められる自己改革というのか、市でできる行財政改革に取り組む必要があること。その取組みの中心にあるのが「公共施設の見直し方針と行動プログラム」であるはずだよね…ということ。新たなニーズにへの対応が求められるものの、そのための財源の捻出はどうなるの?…もちろん、新たな歳入の確保という視点もあるけれど、現実的には新たな歳入確保をめざせるような状況にあるとも思えない…だからこそ、べたな表現で言えば「身の丈に合った」にしていかないといけないのかなと。

阿部市長が遡ること、2012年の施政方針のむすびで

 「今、この国は、いや、世界は、登山ではなく下山の時代に入ったように思う」、「そして下山の先に新たなスタート地点がある」と作家の五木寛之氏は著書「下山の思想」で著しています。今、市民生活を守り、新たな行政需要に対応するためには、行政サービス全般にわたって量から質へ転換していくことが求められています。将来世代に引き継げる持続可能な財政構造へ転換を図り、みんなが笑顔でいのちにぎわう多摩の未来に向けて、不退転の覚悟で改革の取り組みを進めてまいります。「このまちの主役は私たち市民です」あれもこれも求める時代から、必要なものを選択し、地域で豊かさを分かち合える社会をめざして、まちづくりを進めて行く所存です。

と述べていましたが、私も「量から質へ」という視点で、まちづくりを捉えなおさねばならず、そのための取組みや行財政改革を後押ししていきたいと力を注いできたんだけれどなあ…(遠い眼)…と思うものです。

今、進んでいる方向性が「量から質へ」に合致していないような違和感があり、それは私や私たちの会派だけの危惧なのかもしれませんが、大規模改修後のパルテノン多摩の運営コスト、中央図書館が完成した暁に必要となってくる新たな運営コスト、それに、旧北貝取小学校に新設される「恒久施設」としての市民活動・交流センターやふるさと資料館についても新規の運営コストとして増加追加の一途…これで、本当に将来世代に負担を先送りせずにやっていけるのか…って、別に行政のあら捜しなどするつもりもなく、自然とわいてくる疑義なんです。当初、廃止するといわれていた豊ヶ丘や東寺方の複合館についても存続方向であって、地域に点在する集会所についても地元自治会への移譲を断念し、結局は市の直轄で維持されることに方針変更もしていますし…「量から質」への転換に舵を切ったとも思えない状態に「下山の思想」を語っていた時の市長の意気込みはどうしちゃったのかなあと。

「コロナ禍」にあり、今まで以上に厳しい査定を行って編成されたのが来年度予算になっている様子。コロナであろうがなかろうが、本来は厳しい査定を行うべきであったのだから…と良い方向に捉えることとしましたが、「そこ、削減するところなの?」ということで予算カットされているような事業も散見されます。なのに、「未来への投資」への手綱は緩めずということで、中央図書館建設や旧北貝取小学校の大規模改修は意地でも進めていくような印象です。進めたその先にどんなビジョンが描かれているのか。市長が掲げてきた「将来世代に負担を先送りしない」持続可能な市政運営がどう実現されていくのか…をもっと具体的な金額でも明らかにしてほしいものです。

私たちの会派では新型コロナ禍にあり、ますます浮き彫りになってきた「社会的孤立」という課題に対し、もっと向き合っていく必要があり、そのための「お金」「人」が必要だと思っているのです。「人」の確保にも当然ながら「お金」が必要ですから、やっぱり「カネ」になるのか! いずれにせよ、何に優先的に取り組む必要があるのか。もっと、突っ込んで議論をしていく必要があるそうです。もちろん議会の役割と責任も大きいですね。

私たちの会派は反対していても、「議会」の決定では、中央図書館建設にしても、北貝取小学校の大規模改修にしても、パルテノン多摩の大規模改修にしてもどれもこれも「進めるべし」というお墨付きを与えてきたわけですから。その責任を議会がどう果たすのか、私もその一員であることを自覚するとき、次の対案を描かねばならないなとも思うものです。だからこそ、ちゃんとした情報が行政から共有されたり、提供される必要があります。
その意味で、今日は「中期財政見通し」の表記の仕方を変更したことも確認しましたが、現段階において「今後4年間で約44億円の歳出超過の見込み」としっかり記述されるようになった事実は見落とせません。あえて、書くことにした‛意味’があると思っています。

今日の話からすると、「徹底的な内部事務経費の見直し」については、まだまだできる余地があると言っていた。それもまた聞き逃せない事実だなと思った次第。それから、今日の感想ですが、会派で考えて、私が質疑をした内容は、はっきりいって答弁者側にとっては「答えにくく、めんどくさい質疑」であっただろうなということ…にも関わらず、私の受け止め方では、ついつい言い訳がましいなと聞こえてしまう部分もありながら、丁寧に回答しようとされていた部長や課長のみなさんの姿勢が見受けられたかな。それはありがたいことと思いますが、「経常経費が下がったな」と実感できる取組み(もしくは、これから実感できるようになるだろう取組み)が予算書上どこに反映されているのかもう一回、おさらいしないといけないな。枝葉の部分で調整したところで、持続可能な財政運営になっていかない気がしているので。

さて、明日からも予算審議が続きますが、しばらくは質疑することはなく、聴くだけになりそう。