3月議会 代表質問/一般質問

昨日に引き続き、今日も本会議です。フェアな市政からは大野議員、ネット・社民の会から岩崎議員、それから一般質問が3名と続き、最後に私も質問を行いました。

私の質問では、①「眼の健康」に対する意識を高めていく必要性について教育委員会はもちろんのこと、健幸都市を掲げている多摩市の取組みとしても重視をしてほしいと訴え、それから、②今、検討中の「(仮称)子ども・若者総合支援条例」については、策定する側の大人の立ち位置を問い直す必要があるのではないか…と指摘したつもりなのですけど、伝わったかしら?

①「眼の健康」の問題については、子どもたちが一人一台タブレット端末によるGIGAスクール構想が新型コロナウイルス禍で一気に進んだこともあり、情報モラルとか情報リテラシー教育がなかなかついていけてない…ということも含め、デジタルデバイスに触れる機会が格段に増えること間違いなしの中で、「眼を大事にしていこう!」という啓発活動と合わせた実践にも取り組んでほしいと思っています。参考になるのは「めがねのまちの『目の体操』」ですが、福井県鯖江市の「眼育」ではないかなって思っています。ぜひ、目の体操!…トライしてみてください。とても簡単で、短時間で取組めます。

もともと、スマホと子どもたちの付き合い方などなど…もちろんSNSルールのこともありますが、医学的な見地からも心配な声が上がっていて、日本医師会と日本小児科医会では5年前にポスターを作成しています。小児科のお医者さんなどではたまに目にするポスターですね。まだまだ、デジタルデバイスと子どもたちの健康問題についてはその因果関係などが十分に証明されているとされているわけでなく、ただ、統計的には子どもたちの裸眼資料1.0以下が急速に増えていることだけは統計的にも明らかでもあり、日本眼科医会のほうでも、学校保健関連情報が更新されたばかり「ICT教育・GIGAスクール構想と眼科学校医の関わり ~眼科学校医が知っておくべき25のポイント~」

一人一台タブレット端末を活用した学習環境により、様変わりする学校…もちろん、オンライン学習を含めてその有効性、効果もあり、これからの時代に必要な子どもたちの能力を育む必要という観点で否定するものではありません。ただ、メリットばかり強調するのではなく、やっぱり、「その一方で…」という部分…特に、「子どもたちの心身の健康」という点では今まで以上に配慮をしていくことが求められるのではないかと思っているのです。その点について、教育委員会でも十分に認識がされているようですので、今後の取組みに注目し、期待。

②「(仮称)子ども・若者総合支援条例」については、ネット・社民の会の岩崎議員がかなりやりとりを重ねてくださったので、それも踏まえましたが、結局のところ…岩崎さんも私もたぶん共通しているのは、「子ども・若者の支援」をするための周辺環境を整える条例にするのなら、そこに徹するべき…という主張ではないかなって思っています。いわゆる「子どもの権利条約」を踏まえた「子どもの権利条例」を策定するのとは違い、「子どもの権利」とは何か・・・と個別具体的に権利の内容を規定するような条例ではないはずなので、そういう視点で改めて、条例全体を再構成してほしいということではないのかな~と。

まだ、骨子案の段階で、「これがたたき台」ということで、今後のバージョンアップを期待するところですが…そもそもこの条例を策定する側の「大人」の在りようこそが問われていると感じています。

骨子案とはいえ…。

第4条 子ども・若者の権利・役割
(1)自らが大切にされるべき存在であり、守られるべき権利があることを認識するとともに、他者への思いやりを持ち、他者に配慮して行動するよう努めること。

(2)自らも、子ども・若者の成長・活躍を応援するまちをつくる、地域社会の一員であるという認識のもと、まちづくりへの参画に努めること。

この「たたき台」そのものに問題を感じるのは、この第4条については「子ども」が主語だそうですが…。「守られるべき権利があることを認識する」ことが必要なのは子どもだけではないはずで、大人にこそもっと認識をしてもらいたい。そして、「地域社会の一員であるという認識のもと」についても、子どもや若者が「地域社会の一員である」ということを大人がもっと認めていく必要がある…はずなんですよね。子どもだけにそのことを認識せよ…って求めているところに、不自然に感じるというか(大人の身勝手を感じるというか)、「権利はあるけど義務もあるよ」みたいな、ちょっと「こわい」書きぶりになっているというのが私の印象。そして、自治基本条例に照らしても「まちづくりへの参画」というのは努力義務にするようなことではないはず(なので、「たたき台」を作成したという課長級の職員ワーキングチーム内での議論がどんな議論であったのか、ぜひ傍聴したいとさえ思いましたが)。

ということを、策定している側の大人たちの認識と意識こそが問われていて、子どもたちが自由にのびのびと育つ環境を保障するための条例をつくっていることを忘れないでほしいなって思うものです。そのことを、もう一度問い直してほしいし、理解するというか、わかってもらいたいなと。

「他者への思いやりを持ち、他者に配慮して行動するように努めること。」という点も、大人たちがそういう行動を心がけていれば、自然と子どもたちもそういう態度になっていくし、行動にもなっていく…。なので、お願いだから、多摩市の条例としては言葉にしてこうしたことを書かないでほしいなあと思うのです。子どもたちの育つ力を信じるというのは、たくさんのことを標語として言葉に表さないということだと私は思っています。「他者への配慮などしていない大人たちに、言われたくない!」…という子どもたちの埋もれている叫びが聞こえてくること…ないのかな。

「親の背中を見て育つ」とか「大人の背中を見て育つ」とか…。

私はいつもこの言葉に気が付かされることが多い。子どもの社会は大人社会の縮図。大人社会でいじめがなくならないかぎり、子どもたちの社会でもいじめはなくならないのです。

まさに、こうした条例を制定する過程に浮き彫りにされる大人たちの「子ども観」だったり「子育て観」であったり、自分たちの立ち位置…本当はこの条例を制定した後にどんなことを計画しているのかとか、そういうことまで尋ねたかった部分もありつつ…それはまた今後の予算審議の方で補足していくか…と考えています。でも、条例をつくるというのは一つひとつの言葉の表現も含めて難しい。「認識」と「理解」の違いは何か…みたいな点含めて、どういう文言を用いるのかなどなど全体をおさまりよく、しっくりいく内容にしていくためには時間がかかるなって思うものです。

私は「(仮称)子ども・若者総合支援条例」については、制定する必要性について、優先度的には低くはなくても高くはなくて、条例づくりをするよりも、とにかく、手を差し伸べていかねばならない子どもたちが増えていることを思うと、現場での取組みこそもっともっと…と思ってしまいますが、それはさておき。条例を制定したいとする意義がわからないわけでもありません。

ちなみに条例策定前に市長には「子ども・若者に関する施策検討懇談会」からの報告書、提言が行われているのですが(これが今回の条例策定の根拠にもなっている)、この内容はかなり充実していて、いくつも実行に移したい提言内容が含まれています。それらを実現していくための条例という位置づけになるのかもしれません。そのことへの期待もあり…という意味で、よりよい施策推進につながっていく条例制定を願っています。

決して楽ではない条例策定という道のり…でも、いろんな意見があり揉みくちゃにされてこそ「薄っぺさ」が消えていくのではないかなとも思うのです。まあ、かなりの苦言を呈する質問だったなと思いますが(いつものことかもしれませんが)、いつもそうした私の質問にも丁寧に答えてくださる部長さんたちに感謝します。