笑顔になれる秋晴れ!

週末にかけた台風への備えはいかがでしたか?台風の進路も刻々と変化し、多摩市ではいつもよりもたくさん雨が降った…くらいのレベルで週明けを迎えることができたのは安堵しています。各地の被害の様子は報道などでも伝え聞く通りですが、地球の温暖化や気候変動を実感させられ、暮らしの見直しを問いかけられていることをさらにさらに実感しています。そして、今日は週末の曇天を忘れてしまうくらいに汗ばむような陽気でもありました。見上げた空の色はきれいな青!空を見ているだけで幸せな気分になれる一日だと思ったのでした。

ここのところ国の政治の話題と言えば、学術会議の人選に関わる問題。大事なことですね。論点のすり替えなどが指摘されようが何だろうが、見識のある学会などからの申し入れも相次いでいるのに、ビクともしないというか平然を装い、動揺を見せまいとする方々に痛々しささえ感じます。しかし、そのニュース一色になってしまうメディアやらSNSやらに「他の話題はないのだろうか」とついつい思いますし、どさくさに紛れて他のことがしれっと決められていたりしないだろうか…と勘ぐってしまうものです。

地域のママたちと話をする機会があり、「学校に疑問を持っていても、子どもが人質にとられているようで、余計なことを言うと眼をつけられるのではないだろうか」と心配をしていると伺いました。

私には仮にもそんなことがあったら、許されないと思いますし、「あり得ない」とも信じたいわけですが…しかし、それは現実なのかもしれませんね。世の中全体がそれこそ同調圧力というのか、汲々としていて、そのことに息苦しさも感じなくなっているかわりに、しかし、辛さや苦しさが別の形で表出をしているとして…学校の場合には子どもへの対応に表れているとしたら…重大だと思います。しかし、「感じない」ということが次に深刻な点でもあり、無意識のうちに表出していることでもあるため、いくら保護者が先生とのやり取りをしたとしても…理解されないということも少なくないらしい。

「子どもの置かれている現状を知ってもらえるだけでも救い。」

話しを伺うだけに留まることも多いのですが、学校現場の状況が想像以上に厳しいのではないのか…と思えてきます。ふと学校のことに疑問を持ったところで「余計なことかもしれないし、言うのはやめておこう」と…やり過ごすというのか、我慢するというのか、時間の経過を待つだけの場合もありそう。とはいえ、学校の場合、担任の先生は一年間…原則変わらないわけなので(二年間の場合もある)、相性というかそりが合わない場合は苦痛と苦悩の連続ではないのかと思わずにはいられないのです。

「人間なんだから合う合わないはあって当然」

というのはその通りなのですが、先生というのは「合う合わない」ということで言えば、子どもたちが先生に「合わす」のはおかしな話。なぜなら、「先生」という職業であって、プロなんだから…。しかし、今は子どもたちが必死に先生に合わせている印象も。違和感ありすぎる(だから、合わせられない子たちは学校が辛くなる)。

市教育委員会は…というよりも、学校の教育内容やら教育指導面から言えば…「東京都」になるわけですが、都の教育委員会はこうした現場の状態と状況をどう掴んでくれているのでしょう。ここは私にとっても、過去からずーっと不信感が拭えない点のひとつでもあります。

これ、読んでみます。「いわゆる『良い子』や『いい人』ほど現代社会では生きづらさを抱えている」・・・帯に書いてありました。