12月議会 一般質問3日目

ペシャワールの会、中村哲医師が襲撃されて亡くなったというニュースを見ながら、唇をかみしめる夜です。本当に残念でなりません。心からご冥福をお祈り申し上げます。

今日も一般質問が続きました。渡辺議員がとりあげていた公園トイレ問題…大半が和式トイレであって、使いにくい環境にあることを認めつつ、しかし、なかなかそこまで手が回らないのが市の現状?「今後の公園トイレの在り方については、一定の整理をしていく必要があると認識しています。」とのことでした。最近思うことですが、「認識しています。」という答弁が暗に意味するのは「でも、すぐには対応できません」ではないのか?ということ。

今、地域にある公園のトイレについては、その在り方を見直すために地域の声を集める工夫なども行われているようです。

つくることは簡単。そして、工事費の削減に取り組めても、それをメンテナンスするとか、光熱水費とか・・・維持管理に必要なお金は減らせない。その都度その都度の市民要望を叶えることができた財政力、財政環境があった時代を懐かしんでいる暇はありませんが、しかし、お願いされたことに即対応できたらどんなに楽しいか…って思います。要望した市民には喜んでもらえるわけですし、「いいことができたな」ってそんな気持ちで仕事ができていた時代…それこそ、仕事に対し、前向きに取り組みやすかっただろうなあと。

それに比べると、今の時代というのは、将来を捉えて、やらなければならない課題から逃げることなく、まじめに向き合えば向き合うほどに楽じゃなくなるというのか…ある意味、「つらい」ともいえるのかもしれません。ただ、それを引き受けなければ、進んでいけないというのもまた事実。

大隈議員がバスの停留所に屋根やベンチの整備を進めていくべき…と主張されていましたが、それに対し、「整備することはできても、そのあとの維持管理が問題になってくる」という答弁があまりにもご尤もすぎて、涙が出そうだった。「そうなんだよね。そうそう。ホントにその通りなの。」と。

全く同じことが、ほかの場面でもぴったりと当てはまり、「お金になんて変えることのできないくらいの価値」と捉えるべきコトとモノもあるだろうなあと思う一方で、それだけ言っていれば足りるというものでもないわけであって…鈍り気味の脳みそを自分的にはわりとフル回転させつつ、明後日に控えている一般質問に向けて勉強中。