教員の「やらされている感」をなくすために秘策はあるか?

20151022 

記憶新しいうちに視察内容をまとめます。まずは茨木市。平成20年から3年ごとの学力向上プランをつくり取り組んでいます。特徴・・・全国学力テストの結果を丁寧に分析し、事業に活かしていることだと思います。全国や府全体、そしてまた学校ごとの平均点の比較をし、高かった低かったとか、点数が上がった下がった・・・ということに一喜一憂するのではなく、学力高位層と低位層の分布に注目することで子どもたちの学力状況を捉え、対応していくというものです。そして、学校が置かれている環境や状況により、子どもたちの学力が左右されている事実に着目し、必要な対策をしていくというもの。子どもの置かれた家庭環境と学力との相関関係については、研究者なども指摘をしていますね。茨木市では「校区や地域の状況の影響が大きい」ことを明らかにしています。ここ、薄々はわかっていることであっても、行政は明らかにしたがらないことですね。しかし、就学援助率の高い学校と低い学校では差があると明言されていたことはとても印象的でした。

こうした分析結果をしっかり示すことで、有効で必要な手立てが明確になり、そこに財源を確保していくというサイクル。当然ながら、学校ごとに打つべき対策が異なってくるわけで、その内容に応じて、そしてまた必要度合いに応じて予算配分もされていくという仕組みは目から鱗でした。新しい視点と言うか、従来の発想を抜け出さねばできないこと。「学校に応じた柔軟な予算配分」ということで、「課題のある学校には、傾斜的(重点的)に予算を配分する」となっているのです。「学校ごとに予算配分に差をつけることに校長先生たちからの異論はないのか?」と伺いましたが、「校長先生たちが自身の学校のことのみならず、茨木市全体状況も把握していれば、予算を重点配分しなければいけない学校がどこかもわかるし、子どもたち全体を底上げを考えれば、別に理解することは難しいことではない」というのが答えでした。実際に、手厚く予算を配分しなければならない理由は学力テストの結果分析からも明らかになっているため、校長先生たちが異議を申し立てる余地は見当たらないということなのでしょう。

データの分析がいかに重要かを物語っていると思います。多摩市でもおそらく同じような分析は行われていると思います。ただし、その結果の公表については、多摩市全体状況としてしか明らかにされていません。もちろん、学校ごとの結果を公表することには慎重であるべき・・・そうなんだと思います。しかし、限られた予算をより有効に配分していくことを考えるとき、内部的にはしっかり分析されたデータをもとにしていくべきでしょう。「学校教育の予算だから」「子どもたちへの投資だから」・・・と言って、「金に糸目をつけなくて良い!」わけではありません。現在、多摩市教委でも学校を支援していくための人員配置にはかなり予算を充てていますが、ここも決して、聖域ではないはずですから・・・。

茨木市が取り組んでいること、例えばスクールソーシャルワーカーを配置したり、多摩市で言うところのピアティーチャーのような支援員を配置したり、学校図書館に支援員を配置したり・・・・取組み内容を聞けば、多摩市の方がより充実しているような気もしました。ただ、成果の出方が異なっている気がします。なぜでしょう?

ここが今回の視察の「肝」ですね。ズバリ「学校現場のモチベーション向上」「先生たちのやる気」をいかに向上し、授業の質を高めていくかということ・・・茨木市の成果は、まさにココにこそアリ!・・・と感じます。取組みを始めた当初はなかなか揃わなかった足並みも、各学校に配置した「学力向上担当者」を核にしながら、いいかたちで展開できるようになっているそうです。それはなぜか?

きちんと取り組めば、それなりに成果が上がる・・・ことが実証されているから他なりません。そして、そのことを教員が認識できているからです。学力とそれを下支えする子どもの生活や意識そのものにもアプローチしていく取組み。歯車を上手くかみ合わせていくところに学校現場の努力はもちろんのこと、そこをしっかりフォローできる市教委の存在があるからでしょう。データで検証し、解決策を導き出していく、共に取り組む体制づくりがあると感じました。つまりは、市教委と学校現場が同じ方向をめざし取り組むことができているとも言えるでしょう。単に表面上の言葉だけではなく・・・・。市教委に対する学校現場の信頼の厚さと言ってもいいのかもしれませんね。「信頼関係の醸成」が何よりもカギを握るような気がします。学校現場任せにするわけではなく、掛け声だけをかけるだけではなく、具体的に学校現場から市教委が信頼される存在になっているかどうか・・・このあたりなんだと思います。多摩市教委と学校現場との関係性・・・・さて、ここはどうなっているのか、議員からはなかなか見えているようで見えていないところもあると思うので、安易なる論評は避けておきますが、しかし、チラホラ聞こえてくる声を拾い集めてみて、「バッチリ!」とは言えないかな・・・。

 

それにしても「教員(学校現場)のやらされている感」と言うのは厄介なもの。子どもたちへのいい作用や影響には変わっていかない気分でしょうから。ここを取り除いていくために対策はあるのでしょうか?・・市教委と学校現場との関係性が「命令だけされる」とか「指導だけされる」という上意下達であり、なんかくすぶり感が生じてしまう場合も無きにしも非ず。ここから脱皮していくためには何が必要かと言えば、やっぱり丁寧な市教委の発信ではないかと思います。それにしても、学校の先生たちは子どもたちに「聴く耳を持ちましょう」などと指導する割りには、ご自身があまり「聴く耳」をお持ちでなかったりする場合もありますね。教員経験の長さに知らず知らずのうちにプライドが蓄積され柔軟性がなくなる場合もあると聞いたことがあります。これ以上、あれこれ書くことはやめておきますが、いずれにせよ、市教委が学校現場にどう寄り添っていくかが重要。「子どもたちに寄り添って指導してください!」・・・って学校現場や教員に指導する立場の市教委自身のありかたや姿勢が今、改めて問われているのかもしれません。