地道にやっていく。

今日で1月も末日。早いなあ…「12分の1」が終わったともいえるかもしれませんね。いつものように朝の駅頭街宣から始まって、定例の市議会災害対策連絡会では多摩市医師会の田村会長より現状共有ということでお話しを伺うことができ、その後、会派で意見交換などをしました。そこから、まだ残っていた私の市議会レポートをポスティング。

最新号を掲載していなかったので、相変わらず読みにくく…印刷原稿のままですがこちらに載せておきました。よかったらご覧ください。2022年1月発行 岩永ひさかREPORTほうれんそう

さて、「人権のつどい」として開催された「東京で共に生きるアイヌ」に参加してきました。アイヌ文化アドバイザー宇佐照代さんからのお話し、アイヌに伝わる楽器ムックリとトンコリの演奏、アイヌ語の短編アニメの上映があり、最後にはムックリを参加者で演奏してみるというワークショップという盛りだくさんの内容でした。

子どものころ3年間だけ札幌市に住んでいたことがあり、「アイヌ」のことにもわりと親しみもあり、我が家には「ひさか 〇〇〇 ラムラッケ」(〇〇〇…妹の名前)と文字が刻まれたプレートを持つ小さな木彫りの人形がありました。「ラムラッケ」というのは「幸せを祈る」という意味のようですが、アイヌの方のお店で購入したもので私たちのお守りのような人形でした。今、どこにあるんだろう。うちにはいないなあ。

 

ということで、ルーツを隠さなければならず、自分自身のルーツを知ることさえ許されず、ましてや自分たちの言葉を話すことや歌を口ずさむこともできなかった…自分自身に置き換えて想像してみると、本当に酷な事であり、辛いことだと思われます(当事者になっていないだけに、その心の傷にまで思いを至らしめることなど…そう簡単にできることではないわけですが)。仮にも「日本語禁止」となってしまうと、私のコミュニケーション手段はゼロになるわけですから、そのことを想像するだけで怖くなります。その歴史をずっと背負ってきたアイヌの方々…私たちは目を背けることはできないと思っています。ただ、目を背けてはならないし、知る必要があると思っていても、なかなか一歩を踏み出すことは難しいんですよね。何となくこうした問題に向き合う自分自身が問われる気がしていて、興味本位など甘えた気持ちでは許されないと思うとちょっと縁遠くなってしまう。子どものころの親しみとは違う次元にいるなあと久しぶりにそんなことも感じた時間でしたが、考えてもみれば、ただ単に自分自身が勝手に心理的ハードルを高くしているだけかもしれません。その意味で、私にとっては行政が主催するこうした集いの場は参加しやすくてありがたく貴重。行政が開催するからこそ入りやすく、敷居が低くなる気がしています。

去年も宇井真紀子さんの写真展が開催されるなど「アイヌ」をテーマにし「人権理解」のための取組みが行われていましたが、「人権問題」をどう市民に伝えていくのか…テーマの設定とか、意外と難しいですよね。人権問題への理解を深めるためのアプローチはさまざまな角度がありますが、「アイヌ」のことは、「同化政策」を強要してきた自分たちの過去を歴史もたどりつつ、「多文化共生」を考える手掛かりとしても、とても良いテーマだと感じています。「同化政策」をとってきた一方で、実は私たちの文化には「アイヌ」との交易を通じ、影響を受けているものもありそうですね。

「アイヌであることプライド」をしっかり持ち続けていきたい。自身のルーツを守り抜く覚悟。今回の人権の集いでお話しをくださった宇佐照代さんがアイヌ文化を改めて学びながら、後世にも伝えていこうとするその姿勢が素晴らしく、そっと応援したいなあと思った次第です。

また、今回は新型コロナウイルスへの対応もあり、人数制限を設けて開催された集会となりましたが、個人的には規模的にはとても良いなあと感じます。より多くの人に話しを聴いてもらうというのもアリですが、実は30人くらいの規模のほうが講演も聴きやすく、講師の方と良い距離感になるような気がしました。「人権」というテーマはどちらかと言えばデリケートな課題でもあり、理解を広げることの必要性はあっても、ぶわっと一気にというよりは、やはりコツコツ地道にやっていくことが重要なのではないかなと感じています。熱気があふれるとか、そんなこととは一線を画す「ほどよい規模」が実は大切かも…と思ったのでした。

最近、私は「地道にやっていく」ことの必要性、重要性を感じているのですが、今日は会派でも「まちづくりは地道にコツコツと」という話しが出まして、そこが私たちの共通認識であることを確認。ちなみに、今のところは(今後も?)、白田議員とともに「フェアな市政」の朝の街頭宣伝活動をコツコツとやっていまして、個人的には「フェアな政治」「フェアな民主主義」ということを市民の皆さんと共有したいなあという気持ちでのぼり旗を立ててます。

それにしても今朝の永山駅…ものすごい冷えていて、足元が本当に寒かった。

来年度予算案の概要説明とか。

今日は意外と寒さが緩んでいた気がしました。聖蹟桜ヶ丘駅東口での挨拶のみ。いよいよ4月の市長選挙に向けての動きがにぎやかに?なっていて、昨日は藤原マサノリ議長が立候補について記者会見をされたようですね。明日は遠藤千尋議員が記者会見をするそうです…って、駅でご一緒しているときに演説されていたので伺いました。阿部市長も4期目をめざすと聞いていますし、前回の市長選挙で話題になった「AI市長」…の方も名乗りを上げておられます。

それぞれの方がどのようなビジョンを掲げられているのか、そのためにどんな政策を掲げておられるのか注目したいと思っていますが、現職市議会議員が現職市長に挑むという構図に一言。いわゆる民間人…今は政治家ではない方が出馬を表明するわけではなく、市議会議員として市政運営に関わり取り組んでこられた方々ですので、当然ながら議会においてどのようなスタンスをとっていたのか…その立ち位置も問われますよね。現市長が「ハコモノに多大な税金をつぎ込んでいる」などという批判を耳にするのですが、市議会議員として全くストップをかけることもなく、異論も異議も唱えずに予算に賛成してきたこととの整合性など問われる気がします。

そんなわけで、今日は来年度予算について概要説明がありました。思ったよりも税収が落ち込まなかった…ということでしたが、それでも厳しい状況には変わりないなと感じるのは、「だからと言って、余裕がある」と言えるものではなく、福祉関係への支出の伸びをどうカバーしていくのか、ここをどう死守していけるのか…が課題になっていると思います。市民の生活を守るってどういうことなのか。まちづくりとは何か…いろんな問いを立てながら、考えていかねばなりません。コロナ禍にあり、私たち市民一人ひとり、多少なりとも生活者としての価値観を変えてきたように思います。それを踏まえて、これからの社会をどうつくっていくのか、今、市民が求めていることにどう対応できるのかなど…この辺りは代表質問でも問いたい点なのですが、私たちの会派の見解も問われるところなので、フェアな市政でも議論を深めておかないとなあと。

立候補を表明された議長からは「3月議会の最後までしっかりと仕事はまっとうしたい」という決意も表明されました。そこはとても大切な点だと思っていて、出馬するにあたっても、議長の職にある限り「立つ鳥跡を濁さず」と務めていただけてよかったと考えています。選挙のために職を辞するという選択もあるのかもしれませんが、しかし、少なくとも「市議会議員」として職責をどう果たし終えるのかという点は重視したいですね。

ここのところ、「国分寺の未来を描くシンポジウム」がオンラインで開催されていて、興味深いなあと思いながら視聴しておりました。「選ばれる街」になるために無理やり奇をてらったことをするのではなく、ここに住まう人の気持ちや心を大切にしながら、「よりよい暮らし」が実現できるための場づくりを進めていきたいものです。時間、空間、そして仲間。暮らしを語るときに意識しておきたい言葉ですね。

ランチハーモニー@諏訪4丁目集会所。

今日は月一回のランチハーモニーでした。本日も80食分のお弁当を準備する予定で、まずは40個を完成させてから、次の40個をつくります。

当初始めた時には「お弁当方式」ではなく、集会所で会食していただく形式でスタートした活動ですが、コロナ禍により今は「お弁当」の販売に切り替えて継続しています。でも、会食を楽しみにしておられる方も多く、ここ数ヶ月は感染症対策をしながら集会所内で食べていただけるように会場準備もしていたのですが、今日はまん延防止対応でお弁当配布のみとなりました。月一回のランチハーモニーでお友達と一緒にご飯を食べることができる…「この日」を楽しみに楽しみにしてくださっている方も多く、会食会場を閉じることは心苦しいのですが、仕方ないですね。ちなみに今日は「一口ひれ肉のデミグラスソース煮」でした。高齢者の皆さんは「お肉が食べたい!」と希望される方が多く、私にとっては驚きなのです。ですので、メニューはいつもお肉を使ったものになっています。と言っても、1食300円なので、食材的にはお高めな「牛」ではなく、「豚」か「鶏」を使用する感じなのですが、とにかく「肉」人気です。私はあまり「肉」が得意ではないのですが、やっぱり「肉」にはパワーがあるのでしょうか。

ところで、今日気が付いたのですけれど…手間を省くための「無洗米」をいただいている我が家‥‥そのために、私の中には「お米を洗う」という作業が意識されていないようです。いつもの感覚で炊飯器のスイッチを入れようとしたところで、もう一人のスタッフさんがお米を洗っている姿を見てハッとしてしまいました。「そうだ、ちゃんとお米、洗わないといけなかったんだ…」と。危うくスイッチオンしてしまうところでした。私にとっては「さっとお水で流すだけ」…がすっかり定着してしまったことに気が付きますが、それだけズボラになっているとも言えますね。「便利さにどんどん慣れていく」を自覚してしまいました。あまり良くないなと。本当は農家の皆さんに感謝を込めながら、ていねいにお米を研ぐという作業をすることが大切だと思っているのですが、いろいろ迷ってもやっぱり「無洗米」を選んでしまう…。

最近、「食から日本を考える。ニッポンフードシフト」のことをフォローしていて、立派なホームページがあるんだなあ…と感心しているのですけれど、「消費者行政」に力を入れていくことの必要性が高まっていることを感じています。ベルブ永山には多摩市の消費者行政の拠点ともいえる「消費生活センター」がありますが、市民の認知度は低く、消費者行政への取組みにはあまり力が入っていない印象です。ただ、これから、環境問題を考えるにあたっても、「消費者」である一個人の在りようがますます問われてくるように感じていて「消費者行政」の活性化が求められるのではないかしら。

話しを戻して、ランチハーモニーなのですが、活動が定着してきて、今はほぼ予約制。準備できる食数もあるのでリピーターのみなさん中心にお弁当を提供する感じになりつつあり、単に「食事の提供」に留まらず、地域の見守り機能としても役割を果たしているような気がしています。お弁当を手渡すときに二言三言の会話がとっても貴重だなと思います。そして、「毎週やってもらいたい」というお声をいただけることもうれしいことですね。

本当はもっと多くの人にお弁当を準備できたらいいけれど…と思いながらも、やっぱり限度もある…ここには葛藤があります。当日、飛び込みで「お弁当を買いたい」という人のためにも一定数は準備しているのですが。

 

今日は私は最後の片づけまではできなかったのですが、改めて私にとって「ランチハーモニー」の活動がいいなあと感じているもう一つに、関わっているメンバーが義務感ではなく、お互いにできる範囲をそれぞれ持ち寄り、出し合いながらゆるやかに活動が継続できている点があります。こうした「ゆるやかさ」というのは、市民活動にとって必要不可欠で、居心地よく一人ひとりのポジションがあるある活動づくり…ここ大事だなあと感じています。誰一人見捨てない…とか排除しないというのを実践するのは「言うは易く行うは難し」…でもそこに限りなく近づけていく努力をし続けるですね。

ランチハーモニー…事前の予約があれば、多少の個数が増えたとしても対応は可能です。よかったらお問い合わせください。開催は毎月第4水曜日です。email: gozigen@lagoon.ocn.ne.jp

20個の課題をあげる!

年の初めに飾っていた桜の花。花が終わっても、何となくそのまま枝を大事にしてきて‥‥というよりか、そのまま放置してきた…という方が近いのですけれど、今朝見たら…2か所に葉っぱが!何と、うれしい。生命力というのか、命を感じることができて「ありがとう」ですね。

いのちがある限り…をちょっぴり考えさせられ、すべてのものを大切にする心を忘れないようにしなければと思いながらいつものように朝の活動へ。今朝ほど寒い朝はなかったのではないか?と思うほどに冷え冷えの朝でした。人通りは少なめです。

マイクを使わないでいると、ただ立っているだけなので余計い寒い。「フェアな市政」というのぼり…。撮影していただいた写真を眺めながら、市民の皆さんの印象ってどんな感じなのかなあ。ちょっと気にしてしまいました。私は「フェア」っていうことばが気に入っているのです。

ところで、知人から「課題10個あげ、そこに5個を追加して、その次また5個を追加してみて…」といろんな事象に対してやってみると良いと言われたので、トライしてみたのですけれど、10個書くのも大変なのに、それが5個、また次は5個…というのはホント難しくて、いかに自分が「見えていないか」…に気がつかされますね。何というか、「知った気になっている」「わかった気になっている」ということが往々にしてあるわけですが、そのことを自覚する意味でも、ひとつの事象に対して課題をあげてみること、ゲーム感覚でできるのでおススメです。特に、自分自身の課題とか、まあ、いろいろなテーマでトライしてみると頭の体操になるかも。最後、20個までの課題をあげるとなると、いかに自分が意識しているようで意識してないのか…認識の甘さも含めて見えてきます。

今日も一日、あれやこれや対応したりしている間に時間が過ぎていくわけであって、あっという間に真っ暗になってしまう…という感じ。それでも朝早くに出かける時には、今までよりも明るくて、夕方も少しは陽が伸びていることも感じています。いろいろあっても、穏やかな心になり、空色の移り変わりを感じることができることはありがたいことですね。何はともあれ、感謝の気持ちで一日を終えることが大切で、「今日もありがとう」と心の中ではなく、実際に言葉にして発することがとても大事だと聞いたので、実践中。布団に入る直前に言うのも良さそうです。何となくですが、「音にする」ことの大切さがあるかもね…なんて思っております。「今日も一日おつかれさま」と自分を労うための一言も、案外効果がありそうです。明日も良い一日が過ごせますように…。

縁遠い…CO2の削減を心がける暮らし。

「こたつ」があると怠けてしまうから…ということで、子どもの時から「こたつ」とは無縁。親戚の家、友人の家の「こたつ」がいいなあと思ったことが懐かしく、そしてまた、久々、知人宅で「こたつ」に入り、「足元が温かいことの心地よさ」を実感するわけですが、しかし、背中までは温まらない。今年はいつになく寒さの厳しさを感じるのは年齢とともに…ということなのかもしれませんが、手足の指先が妙に冷える気がします。直ぐに暖をとれるのは電気ストーブはやっぱり優れものですね。そんなわけで、「脱炭素化」に向けて取り組んでいくことを宣言している「多摩市の気候非常事態宣言」を意識して暮らしてみようかと思っていますが、厚着して乗り切るというのは無理ですね。あとは、もう一日中、布団の中にいるとか、そういうことでないと過ごせないくらいに「寒がり」になっている気がします。自分自身の暮らしで二酸化炭素の排出をどこまで減らせるのか実践してみようかと思いますが、夏は外を歩けないほどの猛暑、冬も寒さが厳しすぎて身体を壊すことを考えると、電気器具を使わざるを得ないわけで、ホント難しい。台所でガスを使っているときであっても、足元に電気ストーブが欲しいくらい…。

それにしても、「脱炭素化」に向けての本気度が問われている中で、国の動きも鈍化しているよな報道がありますね。特に「建築物の省エネ」については、建物の断熱性能を上げることが大切な視点で、住宅都市である多摩市にとっても最重要な点だと思っているのですが、ここは国、都の後押しが必要不可欠で、正直、多摩市が一自治体だけで取り組めるとは言い難い。また、多摩市が所有する公共施設についても中途半端ではなく「脱炭素化」を意識していく必要があり、これから公共施設の大規模改修などを進める中でどう取り組んでいくの?がますます問われていくわけですね。実は新設される図書館でさえ…トータルコストを考慮したうえで「ゼロエネルギー建物」にはできておらず、その点では政策の一貫性をどう考えるか、何を重視していくべきかも見極めることが求められますね。

「人流抑制」「人数制限」…どちらなの?が正直、よくわからない。そんな新型コロナ、まん延防止措置を意識しながら行動しようと思っていますが、今日は代表質問の準備がてらヒアリングをしたり、議会の災害対策連絡会に出席をし、あとは知り合いのところにニュースをポスティングして一日終了。

一週間の始まりは…永山駅。「オンラインでは対応できない業務」をされている方はいつもと変りなく出勤されていて、「そうだよなあ」って思うのと同時に、無事をとにかく祈る気持ちですね。電車などで遠くまでお仕事に通われている方が急ぎ足で改札に向かう背中…本当にありがたいなあって思うのです。

この寒さでCO2削減を心がける暮らしとは縁遠いというか、どちらかと言えば…この寒さでますます無縁になりつつありますが、多摩市の気候非常事態宣言に一市民としてどう関われるのかが意外と考えさせられるものです。三寒四温…まだ先かな…暖かさを待ち望みながら、一週間乗り切りたいと思います。

これから、どうなるのかな…という不安の声。

今日からまん延防止への協力…しかし、住んでいる地域によって?対応がまちまちというのか、市内外、都内外…いろいろやりとりをしてみると状況が違っている様子。その対応差に違和感さえ抱きつつ、感染防止対策がどこまで有効なものになっているのか「なんか、よくわからないな」と感じている人も多いような気がします。実際に私の周囲のみなさんからの偽らざる声でもあります。冬休み明け、だんだんと感染者が増えるにしたがって、特に、小中学校ではスキー教室が実施されるかどうかについて保護者はもちろんのこと、子どもたちもとても心配していて、何とか実施できた学校、無事に終えた学校はほっと胸を撫でおろしているでしょうし、数日の違いで中止の判断をせざるを得なくなった学校の子どもたちがどれだけガッカリしているかと思うだけで、申し訳ない気持ちになってしまいます。でも、やっぱり「これから、どうなるの」…という声はあり、学校の先生も口に出さずとも割り切れない思いの行き先というのか、子どもも大人も「気持ちを整えていく」ことの繰り返し繰り返し…しんどいなあと思います。

ようやく11月末から再開した朝の活動。まん延防止措置への対応をどうするのかを検討したのですが、「せっかく始めたのだから」ということで、マイクは使わずにしばらくは続けることにしました。コツコツと地道に継続することを大切に重ねていくこと…が私自身の活動のモットーでもあるので、かなり朝の寒さが身体に堪えるわけですが、とりあえず頑張ります!つま先カイロはほとんど役立たない気がするので、超極厚のタイツを着用しております。

しかし、今日の朝は寒すぎて…起きるのが辛かった。所要時間15分で準備をして出かけられた自分をほめたいくらい。マスク着用必須になり、メイク時間が3分かからないのが助かっちゃいます。

 

 

NPO 多摩ニュータウン・まちづくり専門家会議のサロンで関戸にある「けぇどの会所」オーナーの小林さんのお話しを伺う機会があったので参加。家族の用事で残り30分のところで退出せざるを得なかったのですが、またいずれ直接、訪問して、ヒアリングして、見学もしたいなあと思っています。実は…小林さんとは中学校1年生の時にお会いしているというご縁があり、ほぼ一方的にですが、とても身近に感じております。

小林さんが「食べて、つながる」とおっしゃっていたように、「同じ釜の飯を食う」というのはコミュニティをつくるときに大切にしたいこと。それにもかかわらず、コロナ禍で阻まれているのが本当に残念。私はコロナによって中止を余儀なくされている地域行事など、後々への影響を考えると失われたものは小さくないような気がしています。小林さんのような想いに触れると、なんか、とても懐かしくなり、しんみりしてしまうのは私だけなのかなあ。

明日からの週末予定も急に変更。後回しにしていたことやれるかな…といくつかのことが頭に思い浮かんでおります。「シンプルに生きたいよね」「なんか、断捨離したくなるよね」…って40歳も半ばになってくると…そんな気持ちになるのでしょうか?!…そして、「子どもたち、これからどうなっちゃうのかな」と…同級生との会話です。

 

参考にご覧ください…子どもたちへのワクチン接種を考えるために。
コロナワクチン副反応データベース(15歳以下/重篤)
ファイザー 副反応疑い報告(医療機関)  ●モデルナ 副反応疑い報告(医療機関)

「大人もよかったと思えるように」

朝から…ちょっと盛りだくさんで、オンラインの会議とか面談とかをやっていて…眼精疲労がてき面。一日に頭のスイッチをいろいろ切り替えて対応して、それぞれ分野も別だったりすると、消化不良になるので、小休止をいれなければならないですね。

今日は「広げよう!子どもの権利条約キャンペーン」が主催をしていたオンラインイベントで尾木直樹さんが「大人と子どものパートナーシップこそが最後の最後まで取り残されている」と指摘をされていて、私自身も改めて自分の認識を振り返ったり、我が子育てを反省してみたり…など。

そして、「正しく知って、人権を守ろう!」…子どもへのハラスメントについて再確認せねばならないと本棚より喜多明人先生の監修した本を取り出す。

参加をしたオンラインイベントは「子どもたちと語る いま、子どもの権利を広げるために大切な4つのこと」というタイトル。実際に子どもたちが本音で語ってくれたこと、ズシズシと心に刺さりました。コロナ禍での学校の休校、あるいは部活の中止など…「子どもの声は一度も聴いてもらえていない」…「もし、結果が同じことだったとしても意見を尋ねられたかどうかが大事なのに」と。自分自身の意見など一つの口にすることができないまま一方的に決められてしまうことに対する疑問…。特に「部活が中止になることは生きがいを奪われたのと同じ…。」という意見には「そうだよなあ。」と…活動そのものは中止になってもオンラインを通じてできることもあるのに…と子どもたちが考えるのは当然のことでしょうね。でも、大人たちは何も聞かないままに遮断するような振る舞い…パートナーシップなんてものではないですね。

「結論は同じであっても、意見を聞く」

大人と子どもの関係だけでなく、あらゆる場面で重視すべきことではないかと思っています。そして、やっぱり、「権利のことを学び、正しく理解しないままに義務だけが押しつけられている」という意見にもご尤も…と思うわけであって、「知らなければ、権利を守ることもできないし、権利が守られるということもない」…これはそもそも論、原点として私たちが肝に銘じておくべきことですね。

多摩市でも昨年末、12月議会では「多摩市子ども・若者の権利を保障するとともに支援と活躍を推進する条例」が制定されましたが、子どもや若者に保障すべき「権利」について具体的に理解しないままに支援することはできません。そして、権利の主体となる当事者自身が「権利」に対する理解を深め、自分自身が手にする「権利」を理解し、そして、自分以外も手にする「権利」を理解していくのではないかと思っています。

きっとパンフレットなどを作成しながら、それを配って、まずは「周知した」となるのかもしれませんが、それだけではきっと不十分ですね。条例を制定して、具体的に何に取り組んでくのかなと思っていますが…それを決めるための計画づくりに終始してしまうようでは困るなあ…と思いながら、今後の動きに要注目です。

大人と子どものパートナーシップ。大人だけでなく、子どもも意見を述べて、そこで対話をしてコミュニケーションを重ねて…そして、子どもだけでなく大人が「意見交換できてよかった」「いい議論ができた」って…実は大人自身の経験値も上げていくことなのではないかって感じています。児童館で長く働いている職員の方と話すと「子どもから学ぶことが多い。」って口々におっしゃるんですよね。ここが学校の先生とは決定的に違うところなんです。学校の先生から「子どもから学ぶことが多い。」なんて発言をめったに耳にしないもので。

足りてないのは大人側の体験であり、経験かもしれません。対等平等って難しいですね。女性と男性とか性別役割分担に関しても同様だと思いますけれど、体験や経験値がやっぱりモノを言う気がしています。ただ、社会は遅々としているように見えて、確実に変化を遂げているというのもまた事実。「遅すぎる!」とか「遅れすぎ!」というお叱りの声も飛んできそうですが、「パートナーシップとはなにか」という課題について常に考え続けながら進んでいるような気はしています。子ども基本法…制定を促していく動きもフォローしておきたいと思ってます。

 

ところで、新型コロナウイルス…第6波で明後日から東京都にまん延防止措置となるわけですが、私のところには子どもたちへのコロナワクチン接種に関する意見がいくつか寄せられています。子どもへのワクチン接種は保護者の皆さんの判断によりますが、私自身は「より慎重に見極める必要がある」と考えています。実は、厚生労働省でも「5歳から11歳の子どもたちへのワクチン」をどうするか承認のための議論が行われる予定になっていますが、その審議会が開催される直前になり、小児科学会の方で緊急提言が発表されました。ぜひ、こちら(5〜11歳のコロナワクチン 「基礎疾患のある子どもには推奨するが…」小児科学会と小児科医会が緊急提言)もご一読いただけたらと思っております。

「おうち時間」増。

第6波…オミクロン株は感染力が強いようですね。私の身近なところでも濃厚接触者になり、検査をして陽性、自宅待機などを余儀なくされている方もおられます。症状をそれほど自覚していないのに…という場合もあるようです。まん延防止措置への速やかな対応を進めていくことになると思っています。それに伴って、「おうち時間」が増えることを前向きに捉えていきたいものです。一日中、家に籠っているわけにはいかないものの「おうち時間」が増えるので、頭の中でタイムスケジュールを作成するわけですが、在宅で仕事をするというのはさまざまな誘惑がありすぎて、何と言っても、ちょっとした飲食時間が増えることに注意しなければなりません。ついつい…という感じ。

今日は去年の第1回定例会の会議録を読んでいたのですが、「ああ、そうだったな」とか思い出すこともあったりで、ホント、記憶力低下を自覚するものです。第1回定例会というのは、市長施政方針に対する代表質問が行われているので、他の会派からの質問内容、市長からの答弁と勉強になります。今度の4月に市長選挙があり、まだ、阿部市長から正式には態度表明がされていない中ですが、現在の3期目に臨むにあたっては

①社会で弱い立場にある存在にしっかり目を向ける
②公正自由な社会に実現に貢献する
③持続可能である市政運営のモデルを模索する

以上3つの点をベースに置きながら進めてきたはずなので、その観点からの評価も含め、やり取りする必要があるのかなあと思ったりしています。私たちの会派としては「③の持続可能である市政運営のモデル」…構築しきれていないと判断しているのですが、あくまでも‘模索する’となっているのがポイントかもしれません。要するに、「今はまだ道半ばです…」となってしまいそう。

ざっと振り返れば、市長が進めてきたことに対し、少なくとも私たち以外の会派、議員の態度については「後押し」をしてきた、賛成し推し進めてきた立場。そして、議会としては「お墨付き」を付与した形になっていることを私自身も否定してはならないし、することはできないなと思うと、そこをスタートにしながら、その次、どう考えていくのか?が問われます。この4年間の歩みをたどり、総括をする作業を通じ、今後をどう考えるのか尋ねることが必要なのかなと思っていますが、荷が重い。

今日は諏訪地区の青少年問題協議会は中止となりましたが、今後の行事開催などにも多少の影響は出そうですね。新型コロナにかかわらず、感染症予防の基本的対策「手洗い・うがい」だけは徹底したいと思うのですが、マスク装着もどこまで効果が発揮されているのか微妙…と思われるような情報も飛び交っています。私は新型コロナ云々関わらず、公共交通機関を使用するときなど、冬はマスクをしたいほうでしたけれど、四六時中の着用を求められ、会話をするときにもとにかくマスクで…というのはホント辛いですね。

中学生の子どもたちが「長距離走の時にマスクしている人がいるけれど、逆に苦しくないのかなって心配になる。」て会話をしていて、心底同感…という感じ。むしろマスクをして長距離走、マラソンする方が危険な気がします。教育委員会もその点は認識をしていると思いますが、子どもたちの健康や成長の観点で適切な対応をしてほしいと思います。中学3年生の子どもたち、進学に向けての試験が徐々に始まっていくようですね。無事に乗り切ってほしいと思います。そして子どもたちの学校行事もできるだけ実施する方向で学校、市教委が協力し、危機管理体制も整えて進めているようなので、こちらも何事もなく無事にいきますように…と願うばかりです。

一日でも早く冬から春に…と願い、暖かくなることが待ち遠しい今日この頃ですが、それと同じく、一日も早く感染拡大が収束していくこととともに、とにかくみなさまの無事を祈る日々です。

ふたたび…「自粛」モードへ。

ていねいに包まれたイチゴをいただく。一粒を味わって、残りは明日。週末に最新号のニュースのポスティングをやり、まだ残っているので、引き続きだなあ…と思っていたのに、今日はなかなか気が向かずにタスク終わらず。

新型コロナウイルスもまた急速な感染拡大で、今朝の永山駅はいつもより人が少なめ。在宅勤務に切り替わった人が多いのかも…など感じながら、いつものように、しらた議員とフェアな市政で街宣活動をしてから、いくつか電話をしたり、かかってきたり…。午後から議会の災害対策連絡会があり、コロナ関連のさまざまな情報共有があり、ワクチン接種についても予定通りに粛々と進めていることなど行政側からも説明がありました。まだ、正式にまんえん防止等措置の発出がされていない状況とはいえ、すでにニュースでは東京都が国に要請をすることも報道されているので、再び…「自粛」のスイッチがオンになっていくだろうなと考えています。すでに、議会でも視察の予定を見合わせることや研修もオンラインに切り替えるなどの対応が行われていて、「感染抑制、未然防止」を踏まえたものと理解をしているのですが、次の定例会に向けての準備は滞りなく進めていきたいと考えています。

コロナ対応、コロナ対策に手を抜くことはできず、優先していくべきことと思う一方、それ以外のことを手薄にすることもできませんし、市行政の活動が止まってしまうものではありません。国政を見ていても、報道はコロナ一色になりがちなのですが、報道されていないところで重要法案などが議論されているので、その情報をキャッチしておく必要もありそうです。

市民参加の場づくりというのは、ずっと考えてきたことなのですが、小諸市のまちタネ広場の事例を聴くことがあり、とても興味深いなと思っています。参加の場をどうつくっていくのか、行政だけではないと思っているのですが、多くの人に参加してほしいと思ったとしても参加者の顔ぶれがどうしても限られてしまう傾向にあり…そこを超えていくためのプラットホームを作るというのは一考の余地ありそう。いろんな取り組みが全国では行われているのだなあ…。でも、やっぱりITツールになっていくのかな…。ただ、意見を言うだけではなく、自分事として行動できる人たちを増やしていきたいと考える…とても共感できる。とかく市民参加のためにワークショップを開催し、意見や要望を集めるだけ集め…その中から、取捨選択するところまで市民同士でやることはできないのかなあって個人的に感じることですね。今は、集めた意見や要望を取捨選択するのが市民ではなくて行政…になっているような気がしていて、だから、余計に参加してがっかりすること、徒労感が大きくなってしまうこともあるのかなと。とは言え「市民どうし」というのが最も大事で、しかし、最も難しいところ。やろうとすればするほどに時間がかかることと、あとはやっぱりファシリテーターする人の技量も問われますね。もちろん行政でもなく市民でもない第三者で、ただ…行政よりでもなく市民よりでもなく、ホントに中立で公平な立場から場づくりの運営をできる人。

そんなわけで、引き続き、私の活動…オンラインも活用して、いろいろと情報収集していこうと思っています。インターネットだけの情報ではやっぱりわからないことの方が多いので、現地に足を運んで、「実際はどうなの」についてヒアリングできる日がホントに待ち遠しい。

多くの人が集い、より暮らしが豊かになるために。多摩中央公園の未来。

先週の説明会に続く、2回目の「多摩中央公園改修整備・運営事業」説明会に参加しました。もちろん、内容は前回と同じ。でも参加している市民の方が異なるわけであって、市民の数だけ意見はあり、そして公園に対する想いもあるんだなあとしみじみと感じる良い機会となりました。

今回の改修工事は「公募設置管理制度/Park-PFI制度」によって実施するのですが、市民には馴染みのない新しい手法。「なぜ、こうした制度が必要なのか」という観点も含め、制度概要の説明も行われました。かつて国交省で本制度の成立の中心になっておられた町田誠さんに登壇していただき、全国の事例の紹介も交えながら、とてもわかりやすい解説…町田さんのトークを聴けてよかった…ととても好評でした。実は公園法が改正されたころ、町田さんには多摩市にいらしていただいたことがあります。議会が主催の勉強会という形だったのですが、2017年のことでした。当時、パルテノン多摩の大規模改修の議論が紆余曲折していたころで、議会では特別委員会を設置し、協議していたころの話し。「その時から考えると足掛け5年」…と町田さんがおっしゃるように、確かに、「もう5年も経過しているのか…」とある意味、感慨深くもなるのですが、しみじみ感に浸っている場合ではありません。

多摩中央公園改修に新たな制度を適用していく試みは、そんなに甘くはない。ひとまず、改修から運営までと事業者が決定して、目途が立ったとは言えるかもしれませんが、ここが終わりではなく確実にここが始まり。

 

今回の改修から運営を担う事業者から「市民の皆さんと一緒につくっていく公園にしたい」とする説明があり、その意気込みというのか方向性には賛同するわけです。しかし、それに見合って具体的にはどんな手法になるのか、現段階ではまだ示されているわけではなく、今後に乞うご期待という感じなのかな。それ以上に、「一緒につくりましょう!」…という呼びかけに市民がどれだけ応じることができるか?…実は市民である私たちが試されそうだなあと…そんな気持ちになるとき、説明会の参加者に若い世代が少ない点はちょっぴり(だいぶ)気がかり。

説明会の終わりの方で…各地域で開催されていたどんど焼きなどの行事に顔出しをされてきたのだろうな‥‥と思われる市長が登場。多摩中央公園の取組みは「挑戦」と表現されていて、「チャレンジしながら考えていきたい」ということでしたが、市長の中での「挑戦」とか「チャレンジ」の具体的な内容をもっと深堀したいものです。

個人的には、公園を中心に、どんな「関係性」をつくろうと考えていくのか、あるいは、今も存在するはずの「関係性」をどう捉え、発展させていこうとするのか…など、逆に言うと「今は、何が足りていないのか?」…新たな公園運営を見据え、現状分析をどのように行ったのかなど、事業者の皆さんには伺ってみたい点でした。事業者の提案内容では公園管理事務所の機能を設け、人が常駐するパークセンター、カフェなど飲食スペースも設置される予定になっていますが、それがあるとどう良いのか、無かったらとなぜダメなのか?…なんてところも実はちょっと気になっている点なのです。

市長もどう考えているのかな?今まで管理事務所がなかった不都合はどこにあったのか?…とか。

私は常駐する「人」がいることで、今まで以上に「行き届く」ことに期待はしています。例えば…というか、「きれいな公園トイレづくり」という点では、「人」がいるとその場でトラブルなども解決しやすいかなとも思います。ここは私の最も期待したいところなんですけれど。いずれにせよ、多摩市だけでなく全国各地での経験と実績を活かしてくださるだろう事業者の皆さんがどのような新しい風を吹き込んでくれるのかしら?…と思っていますが、単に公園の改修や運営をするだけに留まらず、「まちづくり」にもつなげていく、多摩センターエリアの活性化にもつなげていくという視点がいかに具現化されていくのか注視していきたいですし、期待したいですね。

あ、事業者提案の内容を見た中で一番気になったのは「トイレの数」。「きれいなトイレ」ということで、衛生環境とかも気になるわけですが、それ以前に「絶対数」の問題も気にすることが重要。何せ、あの公園でイベントをやるときに一番困るのがトイレでしたから。イベントなどを実施してたくさんの人を集める、もちろん日常的にも集客を見込む…というなら、やっぱりトイレは重要。勾配のある公園なので、トイレへの行き来で気分が萎えてしまうこともあるんですね。また、多くの人が集まることは願ったりかなったりですが、人が増えれば、それだけ排泄物も増えます。あと、ごみ箱は配置しない原則になるのかもしれませんが、人が増えるということはゴミも増えます。それへの対応も見逃せませんね。まさに、公園を管理する側のホスピタリティ「おもてなし」の心が公園の評価にもつながっていくように思っていて、「変わった」を感じたいなあと思うものです。

 

町田さんが「多くの人が集い、より暮らしが豊かになるための公園」とおっしゃっていたように、「公園」という公共空間をもっと私たち自身が自分たちの場所として居心地よくしていけるとよいのにと思います。そのためには、市民が「自分たちの公園ルール」を決めていけるような流れになっていくといい。「市民と一緒につくる公園」というなら…。