<子ども>と<みらい>を真ん中に。

秋の恵み。秋の収穫祭に参加したような気分になれるいただきもの。私は、ジャガイモよりもサツマイモ派です。少しベランダで秋風にあてて、寝かせてからいただくとします。ありがたいです。不揃いでいろんな形があって、個性的。畑から収穫したての野菜たちをいただくと、本当においしくて、見た目は関係ないのですね。手をかけて、大切に育ててきた野菜を見ていると、子育ても同じことではないか…とか思うんですね。

ということで、夕刻から教育委員会が主催の「教育支援フォーラム2021」の足を運びました。多摩市の不登校に関する取り組みの発表会ですね…昨年策定した「不登校総合対策」をもとにしながらのパネルディスカッションを聴くのが目的でした。ご多分に漏れずというのか、コロナ禍意識で「短時間」を意識したフォーラムはあらかじめ、「1時間10分」という時間設定だったので、どんな運びになるのやら…と思っていたのですが、「もっと突っ込んで話を聴きたい…」というところで以上閉会になってしまったのが惜しい…でも、ギュッと凝縮されていたパネルディスカッションであって、聴きたかったことのエッセンスは聴けたかなあという印象でした。次の議会では、不登校特例校の設置を再検討する間にも必要な対応にどう取り組むのかを質問するつもりなので、参考になるお話しを伺うことができました。ただ、どちらかというと、考え方を学ぶ場だったので…具体的に「じゃあ、どうするのか?」という点についてはもっと深めていく必要があり、行動計画として落とし込んでいかねばなりません。

「話は理解できた」だけでは、結局、何も変わらないわけですから、「どう動くの?」が問われますね。一足飛びにはいかないところもあるかなと思いつつ、でもやっぱり、子どもの成長は日々日々…であることを念頭に置くべきですね。私たち大人の協議が整うことをじっと待っていてはくれません。取り組みの「質」を向上させていかなければならないと感じていることは、昨日も記したとおりです。

つくづく思うのは、「子どもとその未来」について私たちはどこまで考えているのか…ということです。改めて「子どもと未来を真ん中に」していかねばならないと思うのは、いつか地球に住めなくなってしまうかもしれないという思いに駆られるような報道に触れる機会が多いからかもしれません。

新型コロナウイルスのような未知のウイルスのことに対しても、私たちは油断できないことを学び、そしてまた、ウイルスもまた地球上の生き物のうちにあることを認識しなければならない。生態系の一部にあり、生物多様性を語るときに排除してはならない存在であることも私たちは強く意識させられているのだと思っています。

こんなにマスクだらけの世界になってしまい、誰が誰だか顔がよくわからない、表情もよくわからない…その状況に「恐怖感」を覚えている子ども、そして、人との信頼関係もマスクによって遮断され、作りにくくなっているのではないかと思います。パネルディスカッションで「小学校1年生は壁を向いて給食を食べることが‘当たり前’になっていて」…という指摘があったのですが、「黙食」というパソコンではうまく変換できない言葉までが定着してしまった世の中にあって…私たちが今まで当たり前だと思ってきた子どもたちの健やかな成長がどれほど阻まれているのか…ということなんですよね。

そして「今だけ、金だけ、自分だけ」…。「自分はそうはなっていない」ではなく、「自分だけは違う」なんてことではなく、「そこに巻き込まれそうになっている自分もいて、巻き込まれている自分もいるかもしれない」と問うことの必要性も感じています。結局、直接的であるとか間接的であるとかには関わりなく、「子ども」はもちろんのこと、弱い立場に配慮できているとは言い難い社会の一員であることには変わりないので。

さて、今日のパネルディスカッションの最後のところでは「顔を合わせて、つながりをつくっていくことが大切」と締めくくられ、何とも、優等生的なまとめかた…に「よくできました」ってハナマルついちゃいそう。では、そこを起点に何ができるのか、あるいは、何ができていて、何ができていないのかを改めて総括してみたいと思っています。