「じどうかんもあるよ」

今日は東寺方児童館へ行ってきました。ここも豊ヶ丘児童館と同じく、公共施設統廃合論議の中で一旦は廃止方針が決定していた「建物」内にあります。要するに、この児童館も建物と運命共同体なので、一旦は「無くす」方向になっていたのですが、豊ヶ丘児童館とともに存続方向にあるようですが…。「児童館」には「人」がいることを忘れてはならないと思いますし、その役割と機能をごまかすようなこともしてはならないと思っています。「人」がいなければ「児童館的な機能」など果たすことができるわけもありません。

以前、諏訪地区市民ホールのところに図書館があり、今もその名残で本棚もあり、本も置いてあります。でも、「図書館的機能」など果すことはできていません。昔のことを知っている人は、「かつては図書館だった」という認識がありますが、新しく転入してきた方は「どうして、古ぼけた本ばかりが置いてあるのかと思った」と話していて、「図書コーナー」とも捉えてはいません。公共施設統廃合の議論は建物の老朽化と大規模改修とその後のメンテナンスに関わる費用のことだけではなく、今後の人口減少社会を見据え、市役所そのものもスリム化する時代(職員も減っていく)をも考慮し、「将来を見据える」ことが最重要事項だったことを思い出していますが、「図書コーナー」は「図書館的機能」には全くならないことと同様に、「児童館的機能」という言葉が意味することを慎重に検討しなければと思うものです。

さて、東寺方児童館へ足を運び、真っ先に目についたものが小さなポスター。

「じどうかんもあるよ」

そっと話(はなし)をきかせてよ
ほっとひと息(いき)ついてほしい
きっと力(ちから)になれるとおもう

じどうかんはここにあります

他の児童館にも貼ってあったのかもしれませんが、目に入らず。複合施設の入り口のところにも貼ってあり、目に飛び込んできました。児童健全育成推進財団が広げている取組みのようです。ここにもあるように、話しを聴いてくれる人がいる、力になってくれる人がいる…それが児童館なんだと思います。

東寺方児童館の館長さんは女性。諏訪児童館でもたくさんお世話になっていた職員さんで顔見知りです。学童クラブや児童館でずっと仕事をされてきた方でもあり、「子ども支援」「家族支援」という視点からの児童館の役割に対するお考えなどヒアリングすることができました。聞けば聞くほどに、「福祉的な視点」で児童館を捉え、評価していくことの必要性を感じます。事務室の入り口には「ものをかえすときには『ありがとう!!』」「ものをかりるときには『かしてください!!」という掲示。子どもたちが言えなくなっている言葉だとおっしゃっていました。こうして掲示をして、子どもたちの視覚に訴える工夫。子どもたちが事務室にやってくるたびに、大人がいちいち声掛けするのではなく、自然と意識ができるように、そして、自ら言葉を発せられるように…という思いがあるのだろなあと思います。児童館ごとに子どもの育ちを考えていろんな工夫がされているのですが、何よりも子どもたちの「自発性」を大切にすることを柱にし、大人が口出ししすぎない児童館であることは大事なことです。「口出ししすぎない」という塩梅やさじ加減はまさに子どもたち一人ひとりの個性を正しく理解したうえでの振舞いであり、単に来館者を迎え入れ、好き勝手遊ばせるのとは全く異なります。

それにしても…「ん?」と思ったのは、東寺方児童館の職員さんって「みんな女性なの?」ということ。性別に関わりなくというのはわかりますが、それでもジェンダーバランスは重要ではないでしょうか。小学校も高学年以上になってくると身体が成長し、立派になってきますよね…「力負け」してしまうのでは?…と心配になります。ある意味…児童館活動を正しく捉え、理解しているなら…こうした人事配置にならないのではないかと…私のようなズブ素人目にも思えてしまうのです。きっと館長もいろいろ思うこともあるだろうなあ…と私は思うのですが、「与えられた環境の中でベストを尽くす」という姿勢で仕事に取組んでおられることは話しを聴くだけでも伝わってきます。組織に属さず仕事をしている私のような立場では言いたい放題できることも、組織に所属して仕事をするというのは時に言えることもあれば言えないこともあって、言えないことのほうが多いのかもしれませんね。地域に住んでいるママに聞いたところ、館長が敷地内?の草枝剪定なども自ら行っているようで、結構な剪定枝の量があり、ママたちがびっくりしたらしい。とても努力をされているのだと思います。児童館に限らずで、いずれも予算には限度があり、なるべく「職員ができることは職員で」と心がけている証拠ですけれど、頭が下がります。イメージ的には草枝剪定とか…力仕事ですから、私だったら男性にお願いしてしまうなー。虫とかいろいろ出てきそうだし。

ところで、児童館にはそれぞれ愛称があります。東寺方児童館は「ビーボ」…でも、「ビーボへ行こう!」とか言われてもよくわからないですよね。諏訪児童館の場合には「ヴィヴァーチェ」なんですが、これまた、ビーボよりも難しい。「ヴィヴァーチェで待ち合わせね!」…と言われても、誰も諏訪児童館だと思わないような気も。やっぱり、素直に「児童館」という言い方がわかりやすいですが、東寺方児童館のビーボというのは、かわいいゴリラのキャラクターとともにあるようです。なので諏訪児童館の愛称よりは親しみ持ちやすい(ちなみに、児童館の愛称についてはこちらでご確認を)。「おたすけビーボ」ということで、突然の雨降りに備えた貸傘。これは、児童館の子どもたちでなくとも、同じ建物内にある地区市民ホールや老人福祉館などの利用者向けにもなっているそうですが、「何かあったら、児童館の職員にも声をかけてくださいね!」という呼びかけにもなっていそうですね。まさに…複合施設にある児童館が対象とするのは「子ども中心」にしながらも、それ以外も…ということですね。何しろ、「子どもの声が騒音」と受け止めてしまう大人への対応をしながらも、コミュニティを維持するための仲介も行っているような気もします。複合施設に限らずですが、児童館があるからこそ維持され、保たれる「和」もあるのではないかと感じるものです。

まだ言葉で上手に表現できない小さな子どもが事務室へ来ると、子どもと同じ目線になるようにスッとしゃがんで話しを聴く…自然な身のこなしで、対応される館長さんの後ろ姿を見ていると「これが当たり前の日常なんだろうなあ」と思うのですが、この光景を「当たり前の日常」とするまでにはやっぱり時間がかかるように思いますね。「言われてできること」もあるのですが、やっぱり、一つひとつの行動は「理解して、納得して初めて、自ずから…」となっていくわけで、児童館職員としてのスキルもまた時間をかけながら磨かれていくものではないのかしらと垣間見れる場面です。子どもの育ちも同様ですね。

「子ども一人ひとり語彙力も違うし、そもそも語彙力がないのが子どもたち。その子どもたち一人ひとりに理解してもらえるように『伝える』ように努力をしたり、工夫をしたり、児童館の職員は日々の業務の中で身に着けていくし、学んでいくんです。」

一人ひとりにわかるように必要なことを伝達する力。

これは、まさに市役所の窓口業務に求められるスキルそのもの。「読めばわかるでしょ」と説明書きを渡すだけの対応では不十分であることを児童館業務を通じて体得していくのではないかしら?と思います。そんな観点からも「児童館」を捉えてみると、市役所職員として一度は経験してほしい職場でもあるとさえ感じます。接遇とかマナー研修など高い研修費用を支払わなくとも、良き学びとスキルを得ることができそう。「児童館」の立ち位置、多摩市にとっての「児童館」の在り方を今一度、考えるきっかけをつくることができるような質問がしたいなあと思います。さて、どうなるやら。