委員会でした。

だんだん冬になっていくとはいえ、ベランダにはさんさんと陽がふりそそぎ、バラの花のつぼみがキラキラしてきて、いつ咲いてくれるのかなあと楽しみになるくらいに膨らんできました。

今日は委員会でした。もれなく委員長を引き受けなければならないという立場になっているので…所属している生活環境常任委員会には、議長がいて、副議長がいて、監査委員がいて…新人議員議員が2名で、そして私…という構成なために、想定外にも引き受けているということなのですけれど、「質疑することができない」とか「意見を述べられない」というのは、私にとってはかなりストレスフルな時間だったりもするのですね。

委員の皆さんが質疑をしていて、行政が答弁していて…とやり取りを聞いていて、「ここ、聞いてほしい」ということがあったりするのです。委員長が発言することも妨げられるものではないとはいえ、やっぱり…議事進行をしていくほうが優先なので、そこはジッと耐えているのですけれど、今日も、陳情の審査、議案の審査…これからの市民の暮らしやまちづくりにも関わる大事な案件があって、「質疑できたらいいのになあ」という思いで過ごした一日でした。もちろん、委員のみなさんの質疑や意見などにじっくり耳を傾けて、学び考えを深ることのできる時間になるとプラスに考えているのですけれど。

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特に陳情案件については「5G」に関する問題であって、市民の立場に立って、私たちができることは何か?をもう少し深めて議論することも大事かなと思っています。陳情そのものに対する判断は今日の委員会で一定方向性を出し、「採択することは難しい」ということで全会一致になったのですが、それでも、電磁波の影響による心身の不調を抱えながら暮らしておられる市民の方がいらっしゃることに目を背けることはできないと思っています。海外のように「予防原則」の立場でしっかりと規制するような…我が国そのものの立場がそうはなっていないところで、多摩市だけで「5Gを規制していく」ということの難しさがありすぎる。ただ、多摩市行政は「市民の方の中には電磁波の影響で不調を訴えておられる方もいる」ことをに認識していること、そしてまた、今日の委員会の場でも「苦しんでいる立場の市民の方を無視することはできない」という発言もあり、実際に、陳情審査の過程でも直接、困難を抱える当事者の方からの声も伺うこともできたので、そこを議会としてもどう受け止めるのか、問われるような気がします。「お気持ちわかりました」ということだけでいいのだろうか…ということかもしれません。市民からの声、たとえ少数者の声であっても、その声に耳を傾けていかねばならないこと、寄り添う立場で議会が行動しなければならないこともきっとあると思うので。

その意味では、結果だけを見るのではなく審査の経過や過程も含めて、市民の方にも見ていただけるといいなあと思ったりします。「市民の立場で議論をする」…それは、「市民全体の立場」に立って議論するということであって、「その人個人」(訴えている人)というわけではないので、そのあたりのバランスというか、感覚は個々の議員の立場や価値観によっても変わってくるのものですが、訴えている当事者の方には「議会や議員の理解が悪い」となってしまうのかな…と感じたのは、陳情ののちに議題となった政策提案で発言された市民の方が結構厳しく「市民の立場」のことを強調されていたからかもしれません。

 

今日のハーモニーカフェは「麻婆豆腐丼」でした。いつものように学習支援に来てくれている小学生が今はやりの「鬼滅の絵を描いてる」と自由帳を見せてくれました。登場人物を自分なりに理解して表現して描いてあるところがいいなあって思います。一人ひとりの子どもに寄り添うってどういうことなんでしょうね。

そもそも「寄り添う」とは?

便利使いされていて、私も便利に使っている「言葉」であり「用語」なのですが、自分で「寄り添う」をどう語れ、言語化できるのだろうか…自問自答すると難しいですね。「寄り添う」っていうのは、「必ずしも、その相手に合わせる」ということではないですね。「あたたかさ」「やさしさ」だけでなく、時には「つめたさ」「きびしさ」が同居するような表現かもしれません。

今日の委員会のことも振り返りをしながら、来週の本会議最終日までに委員長報告を書き上げる。ちょっと一仕事せねばならないなという感じです。あとは、議案に対する意見討論もいくつか書きたいものもあるというか…さて、どこまでこなせるでしょうか…。しかし、今日はいつになくとても疲れた。ずっと座っていただけなのに。