12月議会 一般質問

12月1日。昨日から始まっているものの、今日から本格的に開会した気分です。つい立ち寄ってしまうコンビニで買ってしまい、食べるか食べないかを迷っていたアイスを開封。これは、リピートしたくなるおいしさ。しっとり感もある作っとしたクッキーとしつこくクリームではないアイス。この間まで、セブンイレブンに行けば、「イタリアンプリンアイス」だったのですけれど。時期を逃すと手に入らなくなってしまうこともあるので、「バニラ香るクッキーサンド」…また買いに行かなくちゃ。

ということで、今日の一般質問はトップバッターは共産党の安斉さんから。いつものように丁寧にヒアリングなどを重ねたうえでの質問構成。共産党の議員の皆さんのスタイルなのかなと思いますが、所属する団体を通じたアンケート調査など活発にされているなという印象です。都営住宅の建替えのことを取り上げておられ、既に完成し、諏訪地域から転居しと落ち着いている永山3丁目にできた新築の建物。移転計画が浮上してから、近隣のみなさんからの反対の声などあったことを思い出します。安斉さんのみならず、他の方も以前から指摘しているのですが、永山3丁目住宅にはまだ空き室のままになっている部屋がいくつもあります。住戸の面積というかタイプがいくつかあるようで、一部の募集が行われているようですが、しかし、「一体、全体としてはどれだけの空き室があるのか?」という点については「東京都からの情報が得られないので、お答えできません。」に留まり、それ以上もそれ以下もなし。東京都と多摩市の…力関係というのでしょうか、ちらつきますね。安斉さんは「もっと、多摩市から情報が欲しいと東京都に言うべきではないか。言ってもいいのではないか。」とおっしゃっていましたが、そうそう強気になれない理由もあるのか?!なんか、変に疑り深くなるというか、勘ぐってしまうというのか「なぜ、情報を積極的に公開しようとしないのか」と思いますね。不信感募ります。公平に公正に公営住宅の運営が行われている…そこを裏付ける積極的な情報公開を求めていきたいものです。

その後、同じ会派の白田さん、社民党のいぢちさんが質問をされましたが、共通して尋ねていた「庁舎問題」については、「令和11年度の建て替えを見据えて」ということのようです。以前は、「平成41年度には新庁舎を稼働させていく方向」ということだったのに、「見据えて」ということなので、多少、意味合いとしては後退しているようにも感じた次第です。気持ち的にはそこを目標にはしたいけれど、取り巻く環境や事情が随分変わってきたので、改めて検討しなおさなければならず、そのためにまた時間をかける必要がある…というニュアンスが込められているような気がしてしまった…。とはいえ、庁舎の老朽化…見た目ではわからないほどに進行しているので、「見据えて」でなく、ちゃんと取り組みを進めていかないことには…という危惧しています。「見据えて」って…単にそこを見つめているだけであって、伴わなければならない具体的な行動はまだ…ということ?!…とか。ここは、現状を改めてヒアリングしておかねばならないですね。

自民党・新生会の遠藤さんの質問は「市民参加」のことについても、「新しい生活様式」に対応していく必要があって、審議会などの傍聴についてもオンラインを取り入れていくべきだと主張されていました。視聴できるようにしていくこと、大切です ね。個人的にはまずは教育委員会からお願いしたいと思っています。やろうと思えば、やる気があれば取り組めること…熊本市教育委員会は既にチャンネルも設けていますし。積極的に開いていく心意気こそがあればこそ。ぜひ、多摩市も教育委員会チャンネルを開設してほしいですね。多摩市議会は委員会の中継も行っていますが、家庭用のビデオカメラを設置するという低コストで実現できています。再度強調したいのは「やろうと思えばできる」ということ。

今日の最後は共産党の大隈さん。子育て真っ最中のパパなんだなあと思いながらやりとりを聞いていました。実は同じ学年で同世代なんですが、なんか、そんな感じがせず、トレードマークの「赤いくま」が頭に思い浮かんでから、なんか、サンタクロースみたいだなと思い始めて…サンタクロースの仮装がぴったりではないかとか…一般質問の一日の最後に差し掛かると、さすがに集中力が切れ切れになり、余計なことを考えている自分にハッとします。大隈さんが「相談窓口」は市民にとっては足を運ぶにはハードルが高い場所だと言っていたことには同感ですね。「どうしてなんだろう」をまずは考えるところから始めないと、相談員の人数を増やしたところで、解決しないと思うんですね。遠藤さんが「受援力」とも言っていましたが、そもそも「助けて」と言えない社会になってしまっている現実…国のトップがあまりにも「自助」を強調するので、「助け」を求めること=良くないこと…のように無意識のうちに刷り込まれている気がするのです。もちろん、「自助」を全否定するものではありませんが、国のトップが「自助」「自助」「自助」と言いすぎだと私は思っていて、「助けて」と言い出しにくくなっているのではないかなと。そしてまた、「助けて」と言っても、誰にも聞いてもらえない…という諦めの気持ちを抱いている人たちも増えているのではないかと。政治がこうした状況に向き合い、解決策を導いていく…自分自身の力不足も感じます。まずは子どもたちの「助けて」を聞いてあげたいと思っているのですが。

コロナ禍で疎遠になっていた方と電話をして、お元気そうなのでよかった。今日一番、ホッとしたことですね。