子どもたちの居場所。児童館の‛いま’。

穏やかに週末を迎えています。平日最後の金曜日は市議会だよりの編集会議、東京都26市の議長会主催の毎年恒例行事になっている研修会。オリンピック・パラリンピックイヤーを意識してなのか、東京都体育協会会長の山本博氏でした。

粘り強さ、諦めない力を身につけていくことの必要性、そしてそのために身体を鍛えるというのか、スポーツに取り組むことの大事さが強調されていて、確かにその通りだと頷ける部分もありましたが、すべての子どもたちにそのことを当てはめることの難しさも感じてしまうのですね。

身体を動かすことが苦手な子どもたち。ちょうど、すくすく子育てで取り上げられていたのは「じゃれつき遊び」・・・これ、多摩市立貝取保育園が取材されていたので、しっかり視聴しましたが、園長先生がホントに素敵なこと述べられていました。「子どもたちが転んだときに(体を支えるために)手が出るとか、友達同士でぶつかりそうになったときに体をそらすとか、そういうことが自然にできていることが見ていてわかりますね」…体力づくりとかスポーツが得意になるようにとか…そんなこと以前の問題で、まずは身体を動かすことが楽しい!って思えて、ワクワクドキドキしちゃうような、そんな心と体をつくっていくというのか、そこが大事だなあって。そこを踏まえ、実践を重ねてきた保育園が多摩市にあることがうれしい。ただ、貝取保育園は3月末で閉園するのです。公立保育園については和田にある多摩保育園のみ存続する方針になり、今日に至るまで、在園児を大切に育みつつ、閉園に向けた準備もしてきたのですね。「じゃれつき遊び」の取組み、これからも大事にしてほしい。

そして、ご縁があって諏訪児童館の「OSJ歌謡祭」に出番をいただいてしまい、久しぶりに…子どもたちの声で賑やかな広場に行ってきました。ちなみに「音楽の森、諏訪、児童館」(ん?あってる?)で「OSJ」らしい。今年で何回目になるんだろう…。

日ごろ、諏訪児童館に親しんでいる子どもたちであふれていました。そして子どもたちを見に来た保護者の皆さんも大勢集まりました。ピアノ、歌、ウクレレ、クラリネットとフルートのデュオ、ダンスなどのパフォーマンスが披露されて大盛況でした。

児童館の職員さんが日々、どんな風に子どもたちと接しているのか、何も言わなくてもわかるっていうこの雰囲気がすごい。子どもたちと同じ目線で、子どもたちと一緒くたになってというのか、子どもたちがみんな児童館の職員さんを頼りにしていて、大好き…という空気があふれていて、職員さんが子どもと一緒にダンスを披露したり、ギターを弾いたりするともう大盛り上がりでした。職員さんたちの体力がすごいです。特にダンスでは子どもたちにの引けを取らない、ものすごいジャンプして、息切れしているのかと思いましたが、全然平気そうでした…。

児童館の存在意義。

ここは、かねてからも考えさせられる部分ですが、児童館は子どもにとって必要な館だと思います。「児童館?何それ?」とか言われることもありますが、やっぱり、あったほうがいい。最近はますます安心安全に過ごせる場所が少なくなっている気がすること、あるいは、子どもたちどうしのコミュニケーションをうまくつなぐ大人がいたほうがいい場合も多いこと、保護者が遅くまで仕事をしていて帰宅してから独りぼっちの時間が長い子どもたちも多いことを考えると、子ども基地にできる児童館はあったほうが良いと思います。ただし、その運営は必ずしも直営である必要がないという議論や指摘はありますね。民間事業者であっても、きっとノウハウがあり、良き運営ができるでしょうし、実際にしているところもあるでしょうし。

でも、児童館が単に子どもたちの遊び場を提供しているだけではない!…という機能にもっと注目したいですね。そこはなかなか語りつくせず、書ききれない部分もあるのですが、児童館でプロ意識を持ち、仕事をしている職員さんたちの志に触れる時、なぜ、もっとその志がしっかりと市政運営につながらないのかなーとも思うのでした。

土曜日の昼下がり。地域の片隅、一角ともいえるような児童館がたった2時間だけ、子どもたちの舞台になる。子どもたちが思い思いに自分自身を表現すること、そして、拍手が沸き起こること、小さな舞台だからこそ、緊張するのもいつもの半分くらいで済むかもしれない…立派すぎないからいい。なぜ、こんな場づくりをするのか?…ここ、肝心で大事な視点だと思ってます。児童館の職員さんたちにありがたいなあって私は思います。誰もが主役になろうと思えば、なれる場所になっていると感じるので。

子どもたちが自由になれる場所がもっとあってほしい。子どもたち、みんな頑張っていると思うからです。家でも学校でも…なので、児童館は子どもたちにとってサードプレイスにもなっているのかなー…。子どもを支援する、子どもたち一人一人の主体性を見守る児童館はいまの時代だからこそ、実はその重要性が増しているのかもしれません。