「もっと、関わっておけばよかったな。」

愛和小学校のエディブルスクールヤード。取組みを始めてから3年が経過しています。前校長先生がはじめたことだったので、昨年4月に着任された今の校長先生になって、継続できるかどうか・・・と心配する声もありました。そもそも「エディブルって何?」を理解することも、なかなか難しいというか、どこの小学校にもある「学校の畑」とどう違うの?という疑問はきっとわいてくるはずで、正直言って、今の学校教育のカリキュラムに入れていくことは簡単ではないそうで、取組みにしても先生たちはかなり苦労して工夫をされていると伺っています。試行錯誤ながら、愛和小学校の先生たち、とてもよく関わって下さっているのではないかと考えています。

実は愛和小学校でエディブルに取組む以前にも、「エディブルスクールヤード」をめざして都内の他の小学校でもトライした経験があるとも伺っています。でも、その取り組みは校長先生が交代したことによって継続できなかったのだそう。ですので、愛和小学校の場合も校長先生が変わってしまうと「エディブルも終わってしまうかも・・・」という不安の声があったわけです。しかし、その時、一から土を耕し、畑づくりに一生懸命取り組んできた卒業生(中学1年生)が、「ぜひ、残してほしい」と校長先生に直談判したような経過もあったそう。エディブルスクールヤードでの体験、そこにある子どもたちの想いが、実は・・・他の公立小学校にある「畑」とはちょっぴり違っていることがこうしたエピソードからも伺えるかもしれません。

たまたまエディブルスクールヤードつながりで、知り合いになった方から「プチ寺子屋エディブル」をやると聞いたので、のぞいてまいりました。「愛和小エディブル」の活動に関わり、週末には草取りなどをしているメンバーを中心に数名が集まった意見交換会。「なぜ、関わっているのか?」などママたちの意見を聴くことが出来ました。実際に「食」に対する子どもの意識の変化はもちろんのこと、「子どもが変わって、私も変わった」という実感、あるいは「自分でやるにはハードルが高いけれど、学校で関われるのはすばらしい体験になるから手伝いをしたい」という思い、「こんなかたちの教育活動があるんだ、新しいかたち」という興味がわいたという話等など・・・・。ただ、個人的に一番ビビっときたのは・・・「校長先生が変わって、エディブルがなくなるかもしれないと聞いたとき、『もっと、関わっておけばよかった』と思って」・・・という言葉。受け身でいるだけではダメだと思ったという発言に、グッときました。

待っているだけではなく、積極的に行動することでもっと学べる、もっと何かがつかめる・・・そういうことって往々にしてありますよね。わかっていても繰り返し、味わう思いだったりもしますが。エディブルスクールヤードは「コミュニティの再生」にも一躍かっているのがアメリカの取り組み事例。愛和小学校の場合も学校の通学区域変更、統廃合などを経た新校でもあり、「新しいコミュニティをつくる」ことが一つ課題にもなっていることを考えると、エディブルの取組みが少しずつでも発展していくといいなと願うばかりです。気持ちだけでしかないものの、今後も取組みを見守っていきたいと考えております。

さて、同世代を中心にメンバーを募り、パルテノン多摩のステージツアーを。行けばいくほど、すごい施設だと思いますし、今回は公園の土止めになっているというコンクリート壁も見てきまして、これ、すごいわ、ほんとに・・・と思いました。「あるものを活かす」をどう考えるか。大規模改修をした後に「どう活用するか」・・・私たち自身の問題でもあります。外側から見ているだけではわからないバックヤード・・・仲良しのママが参加してくれ、「事の重大さというか、金額の高さと規模にビビる。」との感想・・・・そう、「事の重大さ」・・・自分事で考えるとき、事態の重たさ、「ただ、金がかかるからやめろ!」とも言えない、一方、「じゃあ、これをどうしたらいい」とすぐには答えが出せない・・・。

「思ったよりも、きれいだった」ということで、老朽化しているとの前評判にイメージしていたよりも、とても良く行き届いているとの感想もありました。それは実はその通り・・・パルテノン多摩の管理のみならず、多摩市の公共施設の管理は「悪くはない」というか、非常によく手入れがされているほうなのです。なので、一見「老朽化?」・・・別にこれでもいいのでは?・・・という声があっても不思議ではなく。

「もっと、関わっておけばよかったな」・・・知ること、関わることで変わること、見えてくること、動くことありそう。パルテノン多摩の大規模改修のことも、「自分事」として捉え、考えてくれる人を増やしていくこと必要だなと思った次第。それにしても寒さがますます身にしみる一日でした・・・。