パルテノン多摩の公共性を考えるために

20160913

はたまたパルテノン多摩話題ですみません。今日は、公文協(公益社団法人 全国公立文化施設協会)の情報フォーラムに参加してまいりました。「劇場・音楽堂等における東京オリンピック・パラリンピック文化プログラムを考える」をテーマにした研修会でした。東京近郊のみならず、全国からこちらに参加している方がおられたようですね。東京にいるからこそ、こうしたプログラムにも気軽に参加できること・・・やっぱり恵まれていて幸せですね。残念ながら、多摩市関係者の参加はいなかったようです。個人的には、「地域に生きる劇場」で紹介されていた「しいの実シアター」の園山土筆さんの話を聞くことが楽しみにしておりました。何と言っても日本初の公設民営劇場。ここ、私が今、足を運んでみたい場所の一つです。実際に、お話を伺って、ますます行きたい気持ちが大きくなりました。園山さんがあまりにも的を得た発言をなさり、ただただ今日のお話しには圧倒されたというか、感激もしまして・・・一度ゆっくりと現地に行かねばならないという気持ちを強く持っております。

特に会場からの質問で、「今、劇場に来ていない人、利用していない人たちにもホールを身近に感じてもらうためにはどんな工夫ができるのか?」というものがありました、それに対してきっぱり!

「本当に来てほしいと思っているのか?」

っていうのが開口一番の回答!これ・・・図星って思いました。

もしも、本当に多くの人に来てもらいたいと思っていたなら、自分たち自身で「来てもらえない理由を見つけるために地域に足を運ぶ!」っておっしゃっていました。これって、今、パルテノン多摩を運営している財団にも・・・あるいは、行政にも欠けている姿勢です。行政は指定管理者任せにしているので、どちらかと言えば「我には責任なし」と思っている傾向がみられるし、指定管理者は管理者で・・・・そこまでのモチベーションがないという感じ。とりあえず、前年踏襲と何となく新たなプログラムをやっていて、事業としては地域ニーズを拾い集めて企画立案しているというよりは、財団の(職員)趣味や趣向に基づいた企画立案が成されている感じなので。

これだと生き残りとか言っている場合ではなく、生き残ることを考えないほうがよいと私は思っています。もし、こんな状態なら、いくらパルテノン多摩の大規模改修でハコだけが美しくなり、美観はよくなるかもしれませんが、なかみは伴わず・・・・改修費用がドブに捨てられるがごとく・・・になるでしょう。今のままなら、先行き明るくないので、大規模改修を躊躇するというのは当然のことです。単なる都市景観的な美観を維持するための改修工事ならしなくてもいい。私はそう思います。

なので、本気でやるつもりがあるのか?

が何よりも問われていて・・・・中途半端な気持ちと言うか、その場だけやり過ごせばいいや?みたいな気持ちで取組まれるのは困るんです。市民というか子どもたちに更なる借金を負わせ、負の遺産だけを山積みするだけなので。ですので、本気かどうかを見極めていかなければならず、そこがまず議会としての仕事になるのかもしれませんね。もちろん、最終的には市長の本気度、真剣さにもかかってくるのだと考えています。折れない強さ、ぶれることのない信念・・・が問われると思います。

 

パルテノン多摩というよりか、今日の情報フォーラムでも冒頭の基調講演で確認されたように「文化や芸術は、カネとヒマのある人のための単なる教養・趣味・娯楽ではなく、人々が生まれながら持つ人権(文化権)であると同時に、社会の発展に寄与する様々な公益をもたらすものである」・・・・これこそが、存在意義でもあり価値。だから行政が責任を持って進めなければいけないんです。今日はパルテノン多摩の公共性について、改めて確認できました。まだまだ「文化権」そのものが浸透していない・・・ここに向け、どう取り組んでいくかが問われます。オリンピック・パラリンピック云々とアートプログラムを考える以前の問題ですね。大規模改修のコストだけに捉われて議論するのではなく、本質的な肝心要のところの議論が外せないと思っています!

 

市長は私なんかよりもはるかに文化人なんだけどなあ・・・俄か仕立てでも、いろいろ勉強できて、少しずつ知識が増えるというのは楽しいものです。そんなことで、明日は一日、決算審査に向けた資料の読み込みをしたいと考えています。明後日は委員会なので、そのための準備もしておかなくちゃ!9月定例会のヤマはやっぱり決算審査ですね。まだまだこれからが本番です!