「地べたから」はじめる。

今日は、市長の施政方針が議会に示され、これから会派でも打ち合わせをしつつ、施政方針に対する代表質問づくりが始まります。阿部市長らしいというか、大胆な発想で取り組むというよりは、とても慎重でこじんまりと言ったらなんですが…当たり前ですが、継続的と言えば継続的で、従来をそのまま継いでいます…というなかみです。

杉並区長の岸本聡子さんには注目をしていますが、「地域主権という希望」というタイトルの著書が発行されたので、ようやく読み始めたのですが「地域主権主義」‥‥ヨーロッパでの経験と照らし合わせながら、日本の政治や地域を捉えられる視点がうらやましいです。

 

「地べたから、私たちの民主主義をはじめよう」

 

すごく共感できる響きです。「政治的に右か左とか、そんなレベルではなく、住民がこれほど地域のことを考えて行動しているのに、それを行政側が聞いたり、活かしたりしていない」というくだりがあり、そのことを「昭和の時代そのままの政治」と表現されていましたが、多摩市の場合はどうでしょう。

多摩市の場合には「政治的に右か左か」があったとしても、一旦はそれをさておきで行政が市民の声を聴いてくれ、受けとめてくれるような風土はあるように思います。最初から「政治的なスタンス」で市民を色分けしたり、色眼鏡で見るようなことは少なく、そこは私は阿部市長だけでなく、前市長の渡辺市長もそうだったと感じていて、良いところだと思っています。

一方、最近の多摩市は「市民の声を聴いてくれる」けれど、その先が…という指摘の声が市民からも上がっていて、確かに対話の場をなるべく設ける努力をしていて、市民との合意形成を重視しているような表現はされているのですが…しかし、最後の最後まで、合意形成を詰め切れずに時間切れで、次に進まざるを得なくなっていたり、タイミングを逸して判断や決断が下されていることもあるのでは?…と感ずることもあります。

なんか、後手後手じゃない?

みたいな感じで、せっかく「いいなあ」と評価できるようなことに取り組んでいても、その印象が最後まで続かないという残念さがあるというのか。そこは行政だけでなく、議会の在りようも振り返っておかねばと思っていますが、もう少し突き詰めておけば‥‥というようなこと多いんですよね。突き詰めると却って難しさを孕むので、あえてそのままにしておく…というのもあるのかもですが。

今までも、そしてこれからも、何か新しいことに取り組もうとか始めようとすれば、それと引き換えに、何かをやめるとか諦めることをしていかなければならない時代。何かの予算を増やすなら、別の何かの予算を減らさなければならない時代。多摩市は他の自治体と比較して、財政的には優良なんだから、多少の借金をしても大丈夫…そんな時代でもありません。世代間の公平性‥‥なんてことで、世代間負担はあっていいようなことも言われていますが、はっきり言って、若い世代には極めて迷惑なお話しでしかなく、ホント「世代間不平等」の状況をなるべく早く解消させることを優先させるべきですし。

そうしたことを「地べたから」きちんと対応し、国のように雪だるまのように後の世代にツケを送り込むようなことはしたくないですね。

ということで、人口増時代に必要に応じて増やしてきた公共施設の老朽化、床面積や数を減らしながら、背負ってるリュックサックのなかみを軽くしましょう…という方向性が、施政方針からはどこにも見えてこず。阿部市長は「次世代への負担を先送りしない」ということを掲げて、市政運営に臨んできたはずなので、その視点から再奮起してもらいたいのです。その心意気、意気込みがじわりとでも感じることができない施政方針。持続可能な市政運営の視点が、気候変動やらを念頭に置いた「多様な生命と暮らしを大切にした分かち合いの環境共生社会」という「持続可能な社会」とかSDGsの「誰一人取り残さない社会づくり」ということにすっかり覆われてしまい、行財政改革が見えてこず。行財政改革、度外視できないはずなんだけれどなあ。