マスクが苦しい子どものために。

新型コロナウイルス禍のマスク着用。その効果についてはさまざま評価がありますが、「効果がある」ということで、マスクをつけることが日常になり、この一年間でファッションアイテムの一つもなっていて、マスクコーディネート…も言われるようになってきて…。以前から、味気ないというのか布ではない不織布で白いマスクをつけていた私にはついていけず。それにいても、いろんなマスクがあって、違った意味で街中へ行って、人とすれ違ったり、電車に乗ってくる人の顔面をチラッと見てしまうというのか…どんなマスクをしているのか知らず知らず見てしまう自分に気が付く今日この頃です。

一方、私のところには学校におけるマスク着用について相談をいただき、新年度に備えて、マスクの不着用を認めてもらえるようにと医師の診断書を準備されている保護者の方も多いです。子どもがどうしてもマスクをつけたくなくて、苦しくて…でも学校には理解してもらえなくて(多摩市に限らず)、保護者もともに悩む時間を過ごしてきたご家庭が決して少ないとは言えません。子どもとともに保護者が一緒にマスクを外すという選択で周りからの白い眼にも随分さらされて時間を過ごしてきたという方もおられます。

でも、マスク…やっぱり、苦しくないと言えば嘘になりますよね。マスクをせず、ベランダに出て、深呼吸をするとどれほど心が開放されるか…大人である私もそのことを実感し、痛感してきた一年でもあったので、子どもたちの辛さ、そして、親子で抱えてきた苦しい気持ち、想像するとこちらも胸がチクチクします。

学校の本音…どうなんでしょうね。子どもたちを「密にしない」という心がけはしていても、やっぱり子どもたちって群れて、じゃれあって生活をしていくものですよね。しかも「協働学習」なんて、「密」を前提とする学習ですし。いろんな場面で矛盾を感じ、大人も子どもたちも過ごすのが「新しい生活様式」なのかもしれない…と思う今日この頃です。子どもたちが公園でマスクはしていたとしても、群れて遊んでいる姿を見ると、こっちがホッとするくらい。去年の今頃は、誰も公園で遊んでいなかったし、子どもの声も聞こえることはなかったことも既に過去になっていて、私たちは時計の針とともに前に進んでいることを感じる一方で、マスクをすることで無意識のうちに身体が「閉じる」になっていることでの見えない影響を頭の片隅に置いておきたいものです。

「マスク着用問題」…保護者が直接学校に出向き、子どもの状況に理解を求めるための行動…それへの応対。多摩市でも学校ごとというか、担任ごとというか保健室にいる養護の先生ごと…というのか若干差異はあるようですが、いろいろと話しをしながら「折り合い」をつけているような状況にあるようです。「診断書」がどうやら決め手にはなるようですが(これは、多摩市に限らず)。ただし、文部科学省は「強制はしていない」ということをもう少し現場にも浸透すると良いのかもしれませんね(多摩市以外の事例で感じております)。保護者の方が学校との交渉をして心が折れている話も実際に耳にしています。何度も何度も学校に足を運んでいる例もあります。そして心身ともに疲れ切っている状況もあること…見て見ぬふりはできないなと思っています。

 

実は市内のとある学校の校長先生が「健康上の理由で、お医者さんにマスクをつけないで良いと言われている子もいる。」と始業式の場で全生徒に伝えてくれたという話しを伺いました。校長先生のひと言は大きいのだと思います。ただし、何が何でも「マスクをつけられない」ではなく、場合によっては「マスクをつける必要がある(校外学習、給食の配膳など)」ということも保護者との間では理解がなされていて、それはやっぱり互いの立場を理解する「対話」があることを忘れてはなりません。マスクを着けないといけないと思うだけで「学校に行きたくないな」という気持ちになってしまうお子さんがいることも私たち大人側が理解をし、対応できるような環境づくりは大事ですね。マスク問題に限らず、多様性を相互理解しあえる社会環境をつくるためには必要不可欠なこととも言えます。管理管理になりがち…というか、「既にそうなっている」学校に最も求められることかもしれませんが。

それにしても、子どもたちに思いっきり合唱をさせてあげたい…子どもたちと話していて一番思うことですね。ご入学おめでとうございます。 子どもたちのマスクが苦しい…苦手などご相談がありましたら、ご連絡いただければと思います。hisaka_box@yahoo.co.jp。