#新聞記者 #新聞記者みた

話題の映画「新聞記者」を観てきました。このタイミングで、映画が封切りになるという…いろんな意味で勇気を感じずにはいられませんでした。そして、「歪められる」ということの恐ろしさ、辛さ、葛藤渦巻く自分の心との向き合い方…現実とオーバーラップせずにはいられないようなストーリーは物語を超え、登場人物に自分自身を重ね合う瞬間に息が詰まりそうになりました。これは物語であるのに、「でも、決してそうではないだろう」…と感じさせられる。深いところからの問題提起がされているのだと思っています。

「おかしいことはおかしい」と言う。むしろ、みなが「おかしい」と感じていることであっても、「おかしい」と言えなくなっているような雰囲気。こうした空気感があるところで、活き活きとなにかができるわけない!社会、地域も活力が湧かないだろうなと改めて感じるのでした。

さて、3連休が穏やかに終わりましたが、文部科学省が「幼児理解に基づいた評価」なる冊子を発行していることを知りましたので、早速入手してみました。「主に幼稚園の教師を対象としている」内容だそう。付け足しのように「適宜、保育所でもご活用ください」くらいのことで案内がされているものの、まだまだ縦割りなんだなあと思うわけですね。幼稚園は文部科学省で、保育園は厚生労働省…というしきたり、そこにある分厚い壁は未だに残存し、「就学前の子どもたち」という括りのなかで「子ども子育ち」が考えられているのかと言えば、結局は省庁の縄張りは守られているのだなあと感じずにはいられない。と思いつつ、とりあえず、どんなことが書いてあるのか読んでみようと思っております。

今日は横浜市、川崎市でそれぞれ議員を経験し、今は、すっかりと議員を引退して新たなチャレンジをされているお二方にお会いしました。渋谷にあるオフィスまで足を運んできましたが、「場所の価値」という話しを聞き、すごく参考になりました。私は横浜と聞くと、すごく都会ですし、オフィスを構えるにしても良さげな場所と言う感じがしますが、「東京都」であって、「渋谷」とは比較にならないほどだというのです。私には共有しがたい経験に裏打ちされていることばなのですが、「なるほどなあ」と思うのでした。多摩市でも創業支援云々とかいろいろやってきたわけですが、流行らない理由…というか、流行るわけの無い理由がそもそも存在しているというわけですね。一つの境界線には「多摩川」があるのではないか?と考えてみたり。

彼らは「地方議員の持つポテンシャル」に注目をしているとのことですが、その話を聞いていても、私にはいまいち’ピン’とくるわけでもなく、新たに立ち上げようとしている事業があるそうで、その説明を聞きつつ、「公民連携」を進めるときの課題やらコツやら…いろいろ情報交換などしてまいりました。

自分の持ち合わせている24時間をいかに使うのか?…とかって普段、あまり考えることもないのですが、「一度きりの人生なんだから」という言葉を聞く機会が多くなっている今日この頃。「より楽しく」「より充実して」ともっともっと心がけていくことも大切かなあなんて気が付かされるものです。周りから見れば「楽しくなさそう」であっても、まあ、本人が「楽しい」とか「充実している」と思えていればいいと思うんですけれどね。