決算審査でヒシヒシと感じること。

決算審査も今日と明日と残すところ2日のみとなりました。今日は世の中的には一大行事があり、ワサワサしているというのか、日本の政治に対する揺らぎを感じていますが、私たちはいたって・・・平素であって、弔意を強制されるとか、半期を掲揚するようなこともなく、いつも通りでした。

私は今回の決算審査でヒシヒシと感じていることがあります。今までも、人口減少やそれに伴う税収入の減少などが言われ、行財政改革に取り組んでいて、多摩市の場合は、阿部市長時代以前のかなり早い段階から「将来に備えて」ということを重ねてきました。渡辺幸子前市長の時代の「行財政診断白書」のころを思い出すと、本当にシビアで、市民活動への補助金など含め、‵既得権′にもきちんと切り込んで対応していこうとする意識もあり、その路線を市職員も共に歩いていたような気がします。もちろん、それに対する評価は賛否両論ありましたし、私も賛成するものもあれば、「それは違う」と感じるものもありましたが、それでも、改革を進めなければならないという精神的な強さと言うか「芯」があったように思っています。

阿部市長に代わっても「行財政改革」はもちろん進めなければならず、むしろ、ますます進めていかなければならない状況。特に、時間の経過とともに公共施設はますます老朽化していきますし、手を入れていかねばならない・・・渡辺前市長の時よりも、突きつけられている現実はもっともっと厳しく、改革を加速化させなければならないという意識が私はあり、たぶん、市長にもあったと思います。でも、やっぱり、既得権というのか、改革を進めていくというのは、当然ながら、痛みを伴うというか、犠牲にしなければならないこともたくさんあり、そこも含めて、政治も引き受けることがどこまでできるのか?が問われることを常に感じてきましたし、ハードルの高さ、難しさを思い知らされ、簡単にはいかない…、今に至っています。市民と共に現状をシェアしていくって本当に難しい。物分かりが良すぎる人ばかりでは困るのですけれど、でも、「将来を思えば」…というときに描く「将来」の長さと言うか、そのスパンの違いはあるでしょうし、市民一人ひとりを頭に思い浮かべると…踏みにじるようなことはできないですしね。

そうこうしている間にも、目の前に降り注いでくるというのか、対応していくべきところは次々と。老朽化した施設は年限が経過すれば、最低限かもしれませんが維持補修はしますし、大規模改修が必要な場合にはそれなりの対応をしていきます。コミュニティセンター、パルテノン多摩、学校、公園、・・・道路、橋・・・などなど、それ以外にもまだありますが、手放すことのできないものに次々と「みんなのお金」を使っていく必要があります。

どれも私たちの生活、暮らしには必要不可欠な公共施設なのかもしれませんが、改めて、全部全部が必要であるのかを考えていかないと、この先、本当に本当に大変になっていくなと。決算書、決算内容を理解するための事業報告書のページをめくるたび、そのことを自分自身が背負ってる大荷物だと感じているのは私だけではないと思います。

市職員さんたちは一人ひとり、自分の受け持っている業務と向き合って、誠実に忠実に事務を進めていくことが求められるわけです。一つひとつの事業に着目し、そこに関わる職員さんたちにヒアリングをすれば、大抵の場合・・・「ちゃんとやっている」となるのです。まさか、議員のヒアリングに対して、適当なる対応をするわけないのですが。

でも、そこを聞いて、納得しているだけでは、いよいよ、市政運営が行き詰まるのではないかしら?‥‥という感触が今までとは異なった感覚で自分の中に印象づいてきた・・・というのが、今回の決算審査を通じて、私に得られつつあります。ちょっとこのままいくと…まずいかもと。

それは、「みんなのお金」を使ったパルテノン多摩の改修が終わったから?…まだ、コロナ禍だからと積極的な活動を打ち出せていないパルテノン多摩の現状を見ているから?…教育や福祉には一切関係のないお財布(都市計画税)から財源を活用しているので安心ください…とはとても言えなくて。

あとは、今日も多摩中央公園の改修問題を取り上げましたが、今後、Park PFIにより運営を進めていくというその先を想像するとき、まだ私の中には「明るさ」を感じることができていないから?これから、公園内を見渡してみると…市民活動を支援することを目的の一つにする「活動室」「会議室」なるものが…一体、いくつ設置されていくのでしょう?「使い倒す」なんて言葉も仕切りに語られていたことがありますが、そんなに多くの諸室があって、使い切ることができるのでしょうか?常に諸室は「稼働率」が問われることになりますが、それに耐えられるのかしら?…と。

こうした一つひとつ、もちろん、GOサインを出していくところに議会があり、議員がいるので、責任放棄をすることができないと思うと、現状と照らせば照らすほどに…将来にわたって、私たち議会も共に「GOサイン」を出した結果に、市民も巻き込んでいくことを強く意識しなければならない気がするのです。

 

「わあああ!パルテノン多摩が新しくなってうれしい!」

とか

「公園がきれいになるのが楽しみ!」

とか

「新しい図書館ができるのがうれしい!」

とか

 

こんな風に思えない自分のマイナス思考を変えていかねばならないのですが、「わあい!わあい!」みたいになれていないのは、たぶん、私だけでもないというか。

 

児童館や公園で遊んでいる子どもたちのにぎやかな声を聴いていると、大人が下を向いていてはいけないと反省するのですが、多摩市政に関わる様々な課題、そしてまたそれ以外のところで、社会全体を捉えてみても、私たちは「今だけ、金だけ、自分だけ」になっていないかどうか、問われているのでしょうね。

「より良く未来に残していく」

ここ、ちゃんと貫いていかないと。

今回の決算審査、もう一つ感じているのは、提出されている資料に訂正箇所が多すぎるということ。決算審査に入る前に資料の訂正があり、再点検したはずが、また、しらた議員の指摘によって「資料の誤り」が見つかったというわけで。昨日はそのことで会議を中断したのですが、決算ですからやっぱり「数字」って大切ですよね。「て、に、を、は」を間違うとか、誤字脱字レベルではない誤り。市政運営の「質」にも関わる事項であると…会派内の話し合いで、そのことを重く捉える意見が出ています。こうした間違いが発生してしまうことの深刻さがあるなと…。確かにその通りですね。「ここだけのことなの?」と思わずにはいられない…という意見もあって当然です。