偶然に偶然が重なっていく。

廃校になった学校備品を活かしたベンチ。ハードルを見て、その形から…こんな風に想像力を発揮できるって尊敬しかありません。「ひらめく力」を感じますね。私には無縁の能力。どうやったら、こうした才能が開花できるのかしら?

カフェ・リバティ(諏訪商店街にあるハーモニークラブの活動場所)があまりにも混みあっていて…キッチンが忙しそうだったので、2時間くらい…お皿洗いを手伝ってしまう。本当にたまたまで…その代わりに自分の用事は後回しになったものの、妙な充実感を味わう一日で、その後も夕刻から、いつもの子ども支援でテイクアウトのお弁当作りと学習支援のボランティアを引き続き…。使い慣れない洗剤を使ったので、指がカピカピになるというのか、洗剤の液を薄めているはずなのに、それでも指先の指紋が消えてしまったかのような感覚になって帰宅しています。

それにしても最近、一人ひとりに「寄り添う」という言葉に何となく「わかった気になるな。」という感じを覚えていて、この言葉を多用することの危険性を感じています。ちょっぴり上から目線風な感じもしていて、自分自身がどんな分際なんだ…ということを問うことも必要。最近は「聴く力」という言葉にも注目が集まっているけれど、何ともあてにならない言葉ではないかという気もしてくるわけなので、いずれにせよ、「わかった気にはならず。」を自分自身の振る舞いに刻み込みたいなあと思っているわけです。

今、カフェ・リバティでは絵本の原画展をやっていて、これがまたとても素敵。活動しながら、壁を眺めては、癒されていますが、「きかせてあなたのきもち 子どもの権利ってしってる?」とタイトルに触れるだけでも考えさせられるものです。

そして、驚いたのは…お皿洗いをしていたおかげで、お店に足を運んでくださった絵本の出版社のひだまり舎を主宰されている女性の方にお目にかかることができたのですけれど…なんと…議員にまだなりたての頃にお目にかかり、意見交換などをさせていただいたことのあるとても素敵な先輩ママだったんです!偶然の再会にお互いにびっくりするやら、うれしいやら…。こんなご縁に恵まれてしまった今日に感謝するしかありません。

お皿洗いをしたのもたまたま。そして、再会できたのもたまたま。そして、さらに帰宅をしたところ、いつもいろいろな場面でアドバイスなどを下さる方が河合隼雄さんの「こころの処方箋」という本を届けてくださり、その1番目にあるのが「人の心などわかるはずがない」というものであって、なんか、自分の最近考えていることとぴったりくるのですね。「寄り添う」という表現に違和感を感じるのは、あまりにも便利使いされているというのか、「寄り添う」という言葉があちこちで発せられている割には、そうなっていないような現実を突きつけられるから他ならないので。

しかし、今日はあまりにも偶然の偶然の偶然が折り重なりながら、一日が終わり。学校に馴染めないことや学校での悩みなどを耳にすると、「子どもたち一人ひとりに」ということがなんともむなしく響いてくるというのか…そんな感じですね。まさに、「きかせてあなたのきもち」ってところで「子どもの権利」を伝えていくことが今こそますます求められている気がしています。

絵本の原画展は今週末、15日金曜日まで。よかったらお出かけください(明日水曜日は定休日なのでご注意を)。