今日も歩く。

新型コロナウイルスへの対策と対応を優先することは当然。でも、粛々と進められていく事業があり、そしてまた、非日常の中で市民の日常は続いていく。4月も末日。この一か月を振り返りながら、今日もオンラインミーティングに参加して、ウェビナーを受講。beforeコロナ、withコロナ、afterコロナ…耳に馴染んできたフレーズ。

私が最近、とても気になっているのは…学校が休校になり、公園を利用するようになった子どもたちに心無い言葉をかける大人のこと。随分とひどい大人がいるもんだなあとトラブルについての話が聴こえてきます。あるいは、家族同様にかわいがっている犬の散歩をしつつ、公共空間や見知らぬ他人の軒先にふんを放置したままにする大人。季節が良くなってきて、地域にも人が多く、ゆとりある時間を楽しむからなのか犬ちゃんも多く見かけます…しかし、犬の毛を道端で刈う方がおられて、それはどうなのか?…と。また、「喫煙禁止」の看板があろうがなかろうが、喫煙している大人たちも決して少なくない…ソーシャルディスタンスでお店でレジ待ちをしていたら「じゃま」と言われたり…そんなことは日常にたくさんあって、そして、「何とかならないのか?」と訴えてくる方も多いです。あまりにも度が過ぎるとやっぱり、行政が介入しなければならなくなり、厳しくルールを作る、管理をするとなってしまうんです。

公園、あるいは遊歩道、道路…「○○禁止」「○○しないで」「○○してはいけません」…とどうも「ダメダメ」看板が多すぎて、いつの間にこんな風景になってしまったのだろう…と思うことありませんか?

市民の日常、くらしの中に生活の課題があり、そこに「思いやり」があるのかないのかで随分と暮らしやすさが違ってくるということ。「寛容」と「共生」というよりも「共存」をキーワードにして、今の私たちのありようを見直す機会にもしたいものです。

そんなことで、私たちは前に進んでいく。今日も前に向かって歩いていくんだなって思います。「今日も歩く。」…新型コロナウイルスの感染確認者数は数値のうえでは減少しています。でも、緊急事態宣言は延長し「日常に戻るのは困難」とされている。これが続くと「非日常が日常になる」のではないかとも思うものです。いつ宣言が解除されるのか。その見込みなき延長。延長に伴って、さらに広がるだろう社会全体の疲弊。市民のくらしを守っていく多摩市としての責任を果たしていくためにやらねばならないことは何か。私は新型コロナウイルス感染が拡大することなどいとも想像していなかったときに計画されていた事業そのものを点検しなおすことではないのかと思っています。新型コロナウイルスが収束すれば元通りにはならない。前提が変わったこと、私たちは受け止めなければなりません。それが、この事態でも収入は安定している私たちが真っ先にやるべきことではないかと感じています。