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2009年06月02日

6月定例会 一般質問2日目

 今日は5名の議員が一般質問を行いました。民主党TAMAからは遠藤さんが「男女共同参画社会の実現」をテーマに発言しました。ワークライフバランスをどう捉えているのか、そしてどのように市役所の中でも実践していくのかについて、そしてまた「男女平等条例(一応・・・仮称)」の制定に対する考え方を質問しました。

 ワークライフバランスについては民主党の政策でもかなり重要に位置づけをしていますし、男女共同参画社会についても民主党都連には「男女共同参画委員会」があり、学習会もしています。先日の勉強会の感想についてもブログに書きましたが、意識を変えるというのは相当に大変なことで、それについては行政の見解と私の見解は一致しています。そもそも市議会でも市役所職員でも「私はワークライフバランス実践できています!」なんて言う方はどのくらいいるのでしょうね?
 それにしても「ワークライフバランス」・・・・仕事も生活の調和(っていう言い方も最近ますますよくわからないけれど)も両方とも充実していて「自分らしく」というのは、極めて個人的感覚による部分も多いような気もします。「残業が減ったからワークライフバランス」というわけでもないでしょうし、「家庭で過ごせる時間が増えたからワークライフバランス」というわけでもないでしょうし、「趣味の時間を増やせたからワークライフバランス」でもないでしょうし・・・。
 ということで意外と曲者な言葉だと思っています。「働き方」をどう変えていくのかについては大事な視点だとは思いますが、働き方を変えただけで「ワークライフバランス」にはならないところがミソなのです。


 男女平等条例の制定については、過去に私も質問をしたことがありますが・・・当時から制定しない理由の説明は「市民の機運の盛り上がり」。市民の機運の盛り上がりを待つのではなく、市民意識の醸成をするために制定をしていくとの考え方もあるような気がしますが、その立場ではないようですね。「気運の盛り上がり」をどこの時点で判断するのかもわかりませんが、全く機運も土壌も存在しないところに条例を策定することの意義を見出して制定した条例が存在するのも事実。つい先立っての定例会で「寄附条例」を制定したときには「寄附文化の醸成」が滔々と述べられた制定理由になっていたのは記憶に新しいところです。
 見解の矛盾に対する説明の不十分さは行政の信頼度を低下させますね。残念。


 ところで、その後にネットの向井さんが「子どもの権利条例の制定は時代の要請」という立場で質問をされていました。彼女は「権利・権利と主張することを嫌う人もいるのかもしれませんが・・・・」とおっしゃっていましたが、男女平等条例の制定については「女性の権利」、子ども権利条例についてはそのものズバリ「子どもの権利」を全面的に主張するだけのものだと考える方もいらっしゃるのかもしれません。でも、実は両方とも根幹の根幹の部分では「人を尊厳を大切にしよう」というところで結びつくもので、両方に対して私たち一人一人が問われるのがいわゆる「人権感覚」になるのだろうと思っています。


 行政は「理念的な条例」を制定することにはかなり慎重になっていて、制定をするなら「実効性のあるものを」と考えているようです。条例を制定することでどうなるのか?その先を描きながら条例の存在意義を問うとすれば、慎重にならざるを得ない意味が「ちょっとはわかる」というのが最近の私。
 まあ、条例制定をする過程において男女平等や子ども権利バッシング論者の意見が頭をもたげてくるとしたら、それは制定したいと考えている側の意図がストレートに活かされない条例内容になる心配も十分にありますし。


 そういう意味では何でもかんでも条例がいいというわけではない・・・・という行政の立場も汲み取って、行政活動の実践の積み重ねの中で、市民一人ひとりの人権が守られていることをきちんと確認することが議会の役割。私は当面は条例制定についてはそっとしておいて、行政活動がどう進んでいるのかをじっとチェックしてみたいと思っています。


 どんなことに関してもそうですが、市民一人ひとりの意識や価値観を変えることは簡単なことではありません。大事なことはいろいろな考え方があると認めた上で、だけどあるべき姿を提示しながら進むべき方向性に理解と共感を広げていくことですね。そのためには理念等を振りかざすのではなく、自分自身がその実践者になることが必要なんだと感じます。

投稿者 hisaka : 2009年06月02日

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