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2010年12月16日

今さら指摘されても困る・・・のか?

 第5次基本構想案に関する特別委員会。質疑することも特にないかもしれない・・・と思いながら、他の議員の皆さんの意見を拝聴していたけれど・・・・・途中でやっぱり将来都市像のことについて質疑をしてしまいました。

 というのも、萩原さんの質疑を伺っていて、私は自分なりに「将来都市像」を掲げる意味と意義がすっきりと理解できたのです。
 
 萩原さんは「多摩市は航空写真で見ても、みどりが豊かだしとてもきれいな街」と評価をなさっていたのですが、これを聞いて私はとても納得。なるほど・・・・萩原さんが評価している都市、私も享受しているこの環境は、第1次基本構想から第3次基本構想まで一貫して掲げ続けてきた「太陽と緑の映える都市」という将来像があったからこそ!


 って私は思えたのです。


 自治基本条例の前文にも「多摩市は太陽と光あふれる、緑豊かなまちです。」としっかりと記述がありますが、実は・・・「太陽と光あふれる」とか「緑豊か」なんてことは多摩市に限らず言えること!なんて味わい深さを感じてこなかった自分に反省します。


 やっぱり「太陽と緑に映える都市」を曲がりなりにも追求してきたから、「今」につながっているんだなあとしみじみと感じたのです。


 と同時に・・・・「将来都市像」に掲げておくべき理想像やらビジョンってなにかなあと改めて考えた時、第4次基本構想の将来都市像である「市民(わたし)が主役のまち・多摩~夢と希望をかなえる“手づくり”ステージのまち~」はもちろんのこと、今回第5次基本構想で将来都市像として紡ぎだされた「みんなが笑顔 いのちにぎわうまち・多摩」というのは、実はわかりやすいようでわかりにくい、その通りだとは思うけれど、「都市像」として将来目標に掲げたときの「街の姿」が何となくぼやけるような。


 今度の基本構想はニュータウン60年を見据えていること、都市の更新を考えてみても、例えば、・・・かつてに戻るという意味ではなく、「太陽と緑に映える都市」を再掲するということもいいのかなあと思ってみたり。何よりも大事な「健康」という言葉を含めたわかりやすい表現はないかなと探してみたり。市民が主役とか、みんなが笑顔でいのちにぎわうとか・・・・市民主権とか人権尊重との意味が含まれていることを否定はしないものの、これは副題にしておいたほいがいいかなと思ってみたり。一日中ほとんどそれについて思案していました。


 「『みんな笑顔』って言っている意味は悪くはないけれど、そんなこと都市像で掲げて、強制はされたくない。」・・・・なんて傍聴席からのご意見としても頂いたところです。みんなが幸せな状態にあることを願っている表現であることは確かなのですが、「笑顔あふれる」くらいにしてほいた方がいいのではないか?との指摘もいただきました。

 ・・・・と言っても、市民からはパブリックコメントを募集したり、議会に対してもその都度その都度の説明や報告をしているので、「議案を提出したこの段階で、今更指摘をされたって、困る。」・・・というのが行政の立場のよう。確かにそれもわかります。会派内でも大野さんは、「今頃にあれこれと指摘をし、変更を迫ることは行政に対して申し訳ないから、ちゃんと謝罪すべき・・・・」と言っていて、「今さら、気が付いたって手遅れ。それはこちらの落ち度としか言いようがない。変える必要性はない。変えたところで大差わない。どこか大きく誤っているところがあれば変更を求めるべきであるが、そうでないなら、変えるという手続き的な問題や信義上のことを考えてもすべきことではない。」とのことでした。


 私と遠藤さんは「よりよいものが追求するために、議会がその機能を活かして修正案などを提出することは否定されるべきではない。」という立場。今回の場合、基本構想については総合計画審議会が策定してきたものをほぼ尊重している形でもあり、議員個人などがあれこれと指摘をしたり意見を述べたところで事前に何とか調整できたかと言えば、私はできなかっただろうなと考えています。結局のところは「市民が市民の手で」をものすごく大事にしてきたわけなので、議案提出され、正式に議論ができる場で意見を深めて最終議決をするというのが望ましい感じもします。
 

 でも、総合計画審議会では議会との意見交換を過去に数回求めたこともあるようですが・・・・議会側が「それは必要ではない。」と拒否してきた経過もあるみたい。

 ということで、議会サイドのあり方もまさに問われていて、基本構想等の議論をしていくとき、または基本計画の内容を確定させていくとき、どのような関わり方をしていくのかが今後のまちづくり、市政運営でも大きな課題だなと感じます。

 そんなこんな大野さんの主張なども踏まえ、会派で協議しましたが、私も改めて総合計画審議会の委員で答申書を出すための議論をしてきた方に連絡をし、当時の状況などを確認。私には「みんな笑顔 いのちにぎわうまち 多摩」は「都市人間像」という感じがあり、「都市像」にするにはちょっと違和感もあるということを伝え、意見を伺いました。総合計画審議会では・・・今さら・・・「太陽」とか「緑」とか・・・「太陽と緑映える都市」のような都会的ではない表現は避けようという意図やハコモノ・ハード重視ではなくソフトの方が大切だから、都市像としてもソフト面を強調していく時代だ・・・という意見があったそう。

 なるほど・・・ととりあえずは理解。

 その後、さらに会派内で意見交換をし、基本構想全体の構成などを見ながら、どうして「わかりにくくなるのか」とか「提出されている議案を最大限尊重する」という視点で議論をし、とりあえず、会派としての修正をするのであればとの意見をまとめました。別途、安藤さんが「主語のない文章表現で書かれていて、このまま表に出すことは恥ずかしい。」という厳しい指摘をされており、修正したほうがいいのではないかとのご意向があるようです。


 議会全体として意見をまとめていけるのかどうか。全会派、全議員が意見を出し始めると収拾つかなくなるとの意見もあり、「これくらいのところはまあいいか。」でさらりと議決してしまうこともできると思います。


 ただ、20年後までこれがずっと永続的に生き続けていくもの=基本構想


 それを議決する責任ってとても重いと思うのです。「市民が主役のまち・多摩」を基本構想として議決した際に議員だったみなさんは、今・・・・これがいかに実現されているのか、実現しているのか・・・・どんな風に評価しているのでしょうね。そこも聞きたい。

 20年後について今、決める。「激動の時代で、将来予測がなかなかつきにくい。」


 そのことを考えれば、基本構想の期間についても本当に20年を見据えたものである必要があるのか・・・も改めて議論してみる必要がありそうです。そもそも前市長の時代に基本構想20年間で計画すると聞いた時にも「長い!」と思って、意見を述べてきたこともあります。でも、その時の意見は単なる参考どまり。記録されているわけでもありません。「立ち話」くらいの程度にしかなっていないなあ。


 構想づくりとか、計画づくり・・・・やっぱり議員や議会は蚊帳の外に置かれている感じがしてなりません。そういうつもりはないのかもしれませんし、事前に十分なる説明などをしていると主張するかもしれませんが、「官僚主導」「行政主導」・・・・でも、現実としてはそうならざるを得ない現行の議会運営の手法やら議員の活動のあり方。ここを変えない限りは、行政のやり方はおそらく変わらない。これが今日一番痛感したこと。議員は一般質問もできるんだから、そこで発言して指摘をすればいいとの考え方もあるわけですが・・・・はっきりいって一般質問の有効性すら私は疑問視しています。一般質問は議員の「意見お披露目会」にしかなっていないと感じるいことも多いので。
 

 議会スタイル変えなくちゃ!


 特別委員会の議決は明日。議論白熱するかな?!・・・・って、言っても特別委員会では単なる「質疑応答」がなされるだけで、そもそも議論になることは想定されていないんです。

投稿者 hisaka : 2010年12月16日

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