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2009年12月04日

12月定例会 一般質問4日目

 鼻声解消しない今日この頃です。


◆待機児問題

 一般質問で各会派の方から言及があります。認定子ども園の開設(現在は幼稚園が園舎を移転させてオープンします)、認可保育園建替えでの定員増、それから新たな園を増設する予定もあり、とにかく対応せねばならぬと動いていますが、解決しません。今日は新たな園は諏訪地域に社会福祉法人の運営で設置されるところまで明らかになりました。定員は70名を予定しているようですが、諏訪地域・・・・?頭に思い浮かぶ空き地は数少ないのですが、そのどこかの場所で開設されるようです。


 「保育園をつくりたい」
 

 「はい、どうぞ!」


 なんて簡単に事務手続きなどが進むわけではありません。時間がかかります。スピーディに対応できればいいのですが、やはり色々各方面との調整などもあります。でも、決して動いていないわけではありません。


 「行政って本当にのろのろしている」というご批判の声もいただくのですが、状況を見ている限りは「のろのろしているわけではない。」ということもわかるのですが、それでもやっぱりニーズには追いつけていない現状。もどかしいです。初日のブログにも書いたとおりです。


◆ワークライフバランス

 子育ての問題そして男女共同参画の問題・・・・キーワードとして語られるのがワークライフバランス。


 多摩市で行っている調査によれば「男女による地位の平等性に対する認識」について、ずいぶんと認識には変化があるようです。10年も前は「男性の方が優遇されている」と感じている人が男女ともに多かったようですが、もちろん今でもそう感じている人はいますが、割合としては減少傾向。「草食系男子」なんて言葉まで流行る時代ですから、その背景からも減少傾向は理解できる気がします。

 男性の認識も去ることながら・・・実は「女性が女性に厳しい!」って場合もあるような気がしています。「私はこんなに頑張って家事も子育ても仕事もこなしてきたんだから!」と暗に醸し出すような先輩女性が同じ職場にいると・・・肩身が狭い思いを味わうというのはよく聞く話です。


 
 いずれにせよ、ワークライフバランスは誰もが望むところなはず。でも、男性にせよ女性にせよ・・・・先輩から後輩に・・・・「本当は自分も実践したかったけれどできなかった・・・・その禍根を後輩にまで引きずっていく・・・。」みたいな発想はごめんです。


 そういう意味で次の世代に何をどう伝えていきたいのか、そのために今の不具合をどうやったら変えていけるのか・・・・考えていきたいものです。苦々しい思いや体験を次の世代にまで連鎖させないで、しっかりとケリをつけることができればいいのですが、そうも簡単にいかないか・・・・。


 ワークライフバランス。


 行きつくところ、その人一人ひとりのライフスタイルなんだと思っています。周りから見たら「ワークライフバランス」になっていなかったとしても、自分が納得していればいい。実はそんなものなのかもしれませんが・・・・。

 男女共同参画・・・というと男女平等、女性の地位向上みたいに何だか女性ばかりが権利を主張しているような色合いで受け止められがちです。そのせいか、ワークライフバランスがなかなか男性の間に言葉として浸透していないような気がします。女性のためにある言葉ではなく、男性のためにこそある言葉ではないかと私は感じています。


 
◆学校とコミュニティ

 少子化、学校の統廃合をどうしてもせざるを得ない状況です。子どもの数は絶対的に少なくなり、ベビーブーム再来を期待することもできないでしょう。小規模校の良さを否定するわけではありません。でも、これから来るべく人口減少社会に向けて、まちのサイズを最適化していかねばならない・・・これは課題です。
 今日も愛宕地域の2小学校の統廃合問題に関連し、コミュニティをどう考えるのかという問いがありました。まちづくりは白地図に単に色を塗っていく作業ではなく、常にそこには歴史があります。その歴史をないがしろして、その歴史を受け継いでいる人が生活していることを度外視することはできません。
 
 そもそもコミュニティエリアなんて行政が便利なように便宜的に設けた区域わけのようなものと考えていかないと。考えてみれば、「中学校区」なんてものが単位になることもあるわけですが、2つの中学校が1つの中学校になった場合には・・・・それまでは2つの区域に分かれていた中学校区が1つになり、やたらと区域面積が広くなる場合もあります。結局、何を根拠にした「中学校区」なのかがわからなくなる場合も生じるわけです。なので、あてになるようでならないのがコミュニティエリアだなと個人的には考えています。


 なので、学校がコミュニティの核になるとの言い方にも惑わされないようにしないとと最近感じています。もちろん学校が果たす役割は大きいと思います。子どもと大人が交流し合いながら行事をつくることも多く、交流拠点になっている場合も少なくありません。でも、多摩市のコミュニティ施策において学校は「核」と位置づけられているわけではありません。だから、教育委員会が学校はコミュニティの「核」と記述をしていることそのものがナンセンスなのかもしれません。行政のご都合でコミュニティエリアの捉え方やら、学区域や中学校区の考え方が変わっていくことが問題なのです。変更するときに「行政のご都合主義」ではないとする姿勢が不誠実と思われてしまうのです。誠実さに欠けると思われた時点で市民との信頼関係は崩れます。話し合いは成り立ちません。


 その時々では最良、最善だと思われた判断であっても後から見ればそうではない場合も多いと思います。それは多くの歴史に見ることではないでしょうか。その当時は一番いいと思って選択をしてきたことであっても、時代の変化とともに評価が変わることがあるのです。それとは逆の場合もあります。かつては全く売れもしなかった絵画や音楽が後世でものすごく評価されているように・・・・。
 色々な廻り合わせもあるでしょう。ただ、かつての対応が今にはなじまないという場合にはその問題点をきちんと明らかにして、今、最もいい方向にきちんと転換していくべきだと思います。多摩市のさまざまな課題、問題がその岐路に立たされています。

 週末です。私は週明け月曜日にようやく発言順がまわってきます。土日を挟んでの発言順のおかげでのんびりしすぎていました。本腰入れて準備しなくてはいけません。今回は具体的なところでは「児童虐待」を取り上げていますが、「子どもの人権」がテーマです。

投稿者 hisaka : 2009年12月04日

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